芥川龍之介 手帳2―25
《2-25》
○齒――裝飾品
靴――人皮
何を書いても一度前に書いたやうな >Los Caprichos
氣のする小説家の話――過去身
水夫の妻――老乞食
[やぶちゃん注:底本では「齒――裝飾品」から「水夫の妻――老乞食」まで総てが「>」の斜線に含まれて「Los Caprichos」に収束するように書かれている。芥川龍之介にはスペインの画家フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス(Francisco José de Goya y
Lucientes 一七四六年~一八二八年)の寓意的幻想に満ちたエッチング連作「LOS CAPRICHOS」(ロス・カプリチョス:スペイン語で「気まぐれ」の意)に因んだ同名の散文詩風の作品があるが、決定稿と一致するのは「氣のする小説家の話――過去身」が同作中最後の「幽靈」ぐらいである。ゴヤの「LOS CAPRICHOS」は好きで何度も全作を見ているが、そのメモというのでもない。]
○長崎でお菊さんに遇ふ話。
[やぶちゃん注:鹿鳴館で老婦人明子がフランス海軍将校(実はかの「お菊さん」(Kikou-San :Madame
Chrysanthème 一八八七年)を書いたピエール・ロティ(Pierre Loti 一八五〇年~一九二三年))と出逢った若き日のことをロティと知らずに追懐するという、芥川龍之介の佳品「舞踏會」(大正九(一九二〇)年)の逆転的構想か。]
○作家が己の作品の immortality を得る爲に soul を devil に賣る話 紫式部 or 羅貫中
[やぶちゃん注:遺稿「闇中問答」(昭和二(一九二七)年九月『文藝春秋』(芥川龍之介追悼号))は芥川龍之介と「或聲」の対話形式ながら、一番、こうした悪魔の硫黄の臭いを感じさせるものではある。但し、これは悪魔に魂を売らなかった龍之介の自裁直前のぎりぎりの懺悔のようにも私には思われる。或いは、龍之介はキリスト教にも帰依しなかったから、彼はまさにあたかも現世に現われた「リンボー」(辺獄:ラテン語::Limbus/英語:Limbo)の永遠の闇の錯覚の中で、この「或聲」と対峙しているようにも読めなくはない。それにしてもその作家を「紫式部」又は「羅貫中」に擬えていたというのは、これ、面白い! 実に、面白い! 個人的には紫式部で、お願いしますよ! 芥川先生!]
○精神的に冒險的精神つよきものあり これをデカダントを云ふ 猛獸使
○人は苦難に處する case すら第三者の地に身をおく程茶氣を有す(己が死ぬ時は aromatic に想像する如き)
[やぶちゃん注:「aromatic」これは「かぐわしく」ではなく、「しみじみと趣深く」の意であろう。]