宗祇諸國物語 附やぶちゃん注 武藏野の休らひ
武藏野の休らひ
むさしのゝ草より出て草莚(くさむしろ)、足、休むべき木陰もなき永き日、陽(ひなた)を分けくらして喉(のんど)かわき、息苦し、行くべき方に人家ひとつを見つく、茶を乞ひ休ひてなど、𣿖(たど)りつく心や嬰兒の乳房(にうばう)を慕ふに似たらんと自(みづか)らたとへらる。昔も我がごとき喝(のどかは)きの在りしにや。
むさしのゝほりかねの井もある物を
嬉しく水のちかづきにけり
と古歌(ふるうた)をひとりごちて、家につきぬ。主(あるじ)の女とおぼしきが表の障子、ほそくあけて、夕日さしこむ影、翳(まばゆ)く、錦にはあらぬ玉川の、さらす細布さらさらに、ちかづく夏の用意とや、單なる物を縫也けり。宗祇、外面(とのも)によりて、申し兼ね侍れど涯(はて)しなき野邊に疲れたる法師にて侍る、御茶ひとつ給ひなん、といへば、女、肝をけしたる風情(ふぜい)に、つと立て宗祇を一目見やりながら、障子をひしとさして奧に入ぬ。茶やくるゝと、暫し彳みて待てども音もせず。休めといふ聲もなし。打ちはらだちて、あな、つれなの女や、なくばなきにてこそあらめ、あはじとも見じともいはぬ思ひこそとぞ、いふつらさより數(かず)まさりけれ。日もはや暮れに成りぬ。先(さき)より出て行かば、多くの道を行べき物を、と打つぶやきて、
引たつる障子がおちやになるならば
門(かど)の口こそのむべかりけれ
と狂歌(ざれうた)して立歸りなんとするに、彼の女、茶を持ちいで、宗祇の袖をひかへ、腹(はら)あしの御僧(おんそう)や、とほゝえみながら、
おちやひとつぬるむほどだにある物を
いかに瞋恚(しんい)のわきかへるらん
といへば、祇も笑ひて呑みぬ。かゝる東(あづま)のはてしながら、かく迄やさしき女の在ける事こそ、何さま、故有なんかし、尋ねまほしけれど、くれなん道のほどに、こゝろいそぎけるまゝ、出て行ぬきぬ。
■やぶちゃん注
・「むさしのゝ」……「古歌」これは「千載和歌集」の藤原俊成の一首(一二四一番歌)、
法師品(ほつしほん)、
漸見濕土泥(ぜんけんしつどでい)、
決定知近水(けつじやうごんすい)の
心をよみ侍りける
武藏野の堀兼の井もある物をうれしく水の近づきにけり
である。「法師品」は法華経第十品。「漸見濕土泥、決定知近水」は「漸く見る 濕めりたる土泥 / 決定す 水の近きを知るを」の意。一首は、同品の偈に「渇乏須水 於彼高原 穿鑿之求 猶見乾土 知水尚遠」(渇乏(けちぼふ)して水を須(もち)ひんとして 彼の高原に於いて 穿鑿して之れを求むるに 猶ほ乾ける土を見ては 水 尚ほ遠しと知る)とあるのを受けるもので、「堀兼」に「掘りかねる」(掘り悩んでなかなか水(正法(しょうぼう)が得られない)の意を「兼ね」る、掛けてある。なお、この古来、歌枕として有名な井戸であるが、比定地は埼玉県狭山市堀兼の堀兼神社などにあるものの、最早、定かでない。
・「單」「ひとへ」。単衣(ひとえ)。
・「彳みて」「たたずむ」。
・「引たつる障子がおちやになるならば門(かど)の口こそのむべかりけれ」茶その他の掛詞の連打が宗祇の苛立ちをよく表現していて面白い。以下、やぶちゃん勝手自在訳。
――音高にピシリと「引きた」てた「障子が」、それでお茶「になる」ものだとするなら……それなら、こんなに待つまでもなく、この家の「門(かど)」、角ばったとげとげしい性質(たち)の、この主(あるじ)の「口」つき、雰囲気を早く察して、門口にてさっさとそれを飲んでしまった方がよかったことだ(さすれば今日の旅の歩数も稼げたものを)。――
・「おちやひとつぬるむほどだにある物をいかに瞋恚(しんい)のわきかへるらん」同じく、やぶちゃん勝手自在訳。
――御茶を一つ淹(い)れ、ただ、お飲み頂くのに、ほどよきぬるさになるまで待っておりましたのに……どうしてあなたさまはそのように、湯の煮えたぎる如く、「瞋恚」(怒り恨むこと・腹立ち・怒り)に「わきか」えっていらっしゃるのでしょう。――
画像は国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミング、補正したもの。