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2016/07/23

宗祇諸國物語 附やぶちゃん注   武藏野の休らひ

    武藏野の休らひ

 
Musasinonoyasurai

 

むさしのゝ草より出て草莚(くさむしろ)、足、休むべき木陰もなき永き日、陽(ひなた)を分けくらして喉(のんど)かわき、息苦し、行くべき方に人家ひとつを見つく、茶を乞ひ休ひてなど、𣿖(たど)りつく心や嬰兒の乳房(にうばう)を慕ふに似たらんと自(みづか)らたとへらる。昔も我がごとき喝(のどかは)きの在りしにや。

 

   むさしのゝほりかねの井もある物を

       嬉しく水のちかづきにけり

 

と古歌(ふるうた)をひとりごちて、家につきぬ。主(あるじ)の女とおぼしきが表の障子、ほそくあけて、夕日さしこむ影、翳(まばゆ)く、錦にはあらぬ玉川の、さらす細布さらさらに、ちかづく夏の用意とや、單なる物を縫也けり。宗祇、外面(とのも)によりて、申し兼ね侍れど涯(はて)しなき野邊に疲れたる法師にて侍る、御茶ひとつ給ひなん、といへば、女、肝をけしたる風情(ふぜい)に、つと立て宗祇を一目見やりながら、障子をひしとさして奧に入ぬ。茶やくるゝと、暫し彳みて待てども音もせず。休めといふ聲もなし。打ちはらだちて、あな、つれなの女や、なくばなきにてこそあらめ、あはじとも見じともいはぬ思ひこそとぞ、いふつらさより數(かず)まさりけれ。日もはや暮れに成りぬ。先(さき)より出て行かば、多くの道を行べき物を、と打つぶやきて、

 

   引たつる障子がおちやになるならば

      門(かど)の口こそのむべかりけれ

 

と狂歌(ざれうた)して立歸りなんとするに、彼の女、茶を持ちいで、宗祇の袖をひかへ、腹(はら)あしの御僧(おんそう)や、とほゝえみながら、

 

   おちやひとつぬるむほどだにある物を

      いかに瞋恚(しんい)のわきかへるらん

 

といへば、祇も笑ひて呑みぬ。かゝる東(あづま)のはてしながら、かく迄やさしき女の在ける事こそ、何さま、故有なんかし、尋ねまほしけれど、くれなん道のほどに、こゝろいそぎけるまゝ、出て行ぬきぬ。

 

■やぶちゃん注

・「むさしのゝ」……「古歌」これは「千載和歌集」の藤原俊成の一首(一二四一番歌)、

 

   法師品(ほつしほん)、

   漸見濕土泥(ぜんけんしつどでい)、

   決定知近水(けつじやうごんすい)の

   心をよみ侍りける

 武藏野の堀兼の井もある物をうれしく水の近づきにけり

 

である。「法師品」は法華経第十品。「漸見濕土泥、決定知近水」は「漸く見る 濕めりたる土泥 / 決定す 水の近きを知るを」の意。一首は、同品の偈に「渇乏須水 於彼高原 穿鑿之求 猶見乾土 知水尚遠」(渇乏(けちぼふ)して水を須(もち)ひんとして 彼の高原に於いて 穿鑿して之れを求むるに 猶ほ乾ける土を見ては 水 尚ほ遠しと知る)とあるのを受けるもので、「堀兼」に「掘りかねる」(掘り悩んでなかなか水(正法(しょうぼう)が得られない)の意を「兼ね」る、掛けてある。なお、この古来、歌枕として有名な井戸であるが、比定地は埼玉県狭山市堀兼の堀兼神社などにあるものの、最早、定かでない。

・「單」「ひとへ」。単衣(ひとえ)。

・「彳みて」「たたずむ」。

・「引たつる障子がおちやになるならば門(かど)の口こそのむべかりけれ」茶その他の掛詞の連打が宗祇の苛立ちをよく表現していて面白い。以下、やぶちゃん勝手自在訳。

――音高にピシリと「引きた」てた「障子が」、それでお茶「になる」ものだとするなら……それなら、こんなに待つまでもなく、この家の「門(かど)」、角ばったとげとげしい性質(たち)の、この主(あるじ)の「口」つき、雰囲気を早く察して、門口にてさっさとそれを飲んでしまった方がよかったことだ(さすれば今日の旅の歩数も稼げたものを)。――

・「おちやひとつぬるむほどだにある物をいかに瞋恚(しんい)のわきかへるらん」同じく、やぶちゃん勝手自在訳。

――御茶を一つ淹(い)れ、ただ、お飲み頂くのに、ほどよきぬるさになるまで待っておりましたのに……どうしてあなたさまはそのように、湯の煮えたぎる如く、「瞋恚」(怒り恨むこと・腹立ち・怒り)に「わきか」えっていらっしゃるのでしょう。――
 
 画像は国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミング、補正したもの。

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