芥川龍之介 手帳2―13及び14
《2-13》
○In a dream : an eye without lashes immense,
undefined, covered with bluish mist, bleard, sightless. I said : “See it ! It has the look of someone crying out, ―― calling
out night !”
[やぶちゃん注:力技で訳してみる。
夢の中でのこと、『睫毛のない一つの目……それは巨大で、茫漠としていた……青みがかった霧に覆われて、ぼやけていて、目に見えない。私は言った。「これを見よ! これは誰かが叫んでいるように見える、――それは夜を大声で呼んでいる!』……
よき訳の御教授を切に乞う。]
○海が一面に雲つてゐるが向うの山際だけ水銀のやうに細くふるへながら光つてゐる 山はうすい その海を時々帆を二枚張つただるま船がとほる
[やぶちゃん注:前の英文との関係性が何かありそうに私には見える。]
○今昔の本朝六396 女 男に對するlove 男――蛇 觀音殺蛇 女――失戀
[やぶちゃん注:「今昔の本朝六396」の意味が不詳。『「今昔」物語集』の巻「六」は「本朝」部ではなく、『震旦(しんだん)部付佛法』でしかもこの叙述に合うような話は載っていない。但し、『「今昔」物語集』の巻十「六」の『「本朝」付佛法』にならば、『山城國女人依「觀音」助遁「蛇」難語第十六』(山城の國の女人(によにん)觀音の助けに依りて蛇(へみ)の難を遁れたる語(こと)第十六)というかなり有名な話が載る。これは京都府木津川市山城町綺田(かばた)にある真言宗普門山蟹満寺(かにまんじ)の縁起の古形種の一つである、「蛇の婿入」型と「蟹の恩返し」型の異類婚姻系に観音霊験譚を結合したもので、観音の信者である娘が捕えられた蟹を哀れに思って救って放生(ほうじょう)、農夫は同じように蛙を救おうと吞み込まんとした蛇にうっかり娘をやる約束をしてしまい(「猿の婿入」型と相同)、夜、その娘を蛇が貴人に化けて婿にしようとやって来るのを、娘が命を救った蟹が千万の同胞とともに襲って挟み殺すというストーリー展開である。当初、私の好きな原話(何を隠そう、この大挙して押し寄せて蛇を散々に挟み殺す蟹が好きなのである)を電子化しようとも思ったが、原話とこの記載は大きくずれており、ピンとこないのでやめた。悪しからず。]
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《2-14》
○兩側は甘茶やつきあたりの松山に日が當つてゐる 路はその山に向つてなだらかに下りる 路も■すやも日はささぬ 松山のうしろの山も日はささぬ 空は鳩羽鼠の雲斑々 靑空の色はうすかつた
[やぶちゃん注:「甘茶や」続く描写から見て、「甘茶」に並列助詞の「や」でここで文は切れていると読む。而して「甘茶」は灌仏会で用いる甘茶の原材料となる双子葉植物綱ミズキ目アジサイ科アジサイ属アジサイ節アジサイ亜節アジサイ属原種(本邦自生種)ガクアジサイ
Hydrangea macrophylla f.normalis変種アマチャ(甘茶) Hydrangea macrophylla var. thunbergii(これを乾燥させたものを煎じて作った飲料が真正の「甘茶」)をであろう。私自身も実は永らく誤認していたが、全く異なる種であるウリ科の蔓性多年草、双子葉植物綱スミレ目スミレウリ科アマチャヅル属アマチャヅル(甘茶蔓)
Gynostemma pentaphyllu の葉または全草を使った茶も「甘茶」と称し、一時、健康野草飲料ブームで人口に膾炙したが、これは真正の「甘茶」ではないと思う。但し、ここで芥川龍之介が両サイドに繁っている(と読む)描写するのは後者でないとは言えない。寧ろ、雑草として繁茂して目立つのは後者のアマチャヅルの方だからである。]
○Maternity 母と子(軍歌をうたひ步す 夕方) triumph of maternity
[やぶちゃん注:「triumph of maternity」とは「母であることの勝利」或いは「母の凱旋」か。]
○娘――shy
>love
妻――shy
[やぶちゃん注:流石にこの判じ物では意味不明である。幾らなんでも、母子レズビアンとも思われない。]
○Enemy 女妻夫の死後その情婦たる疑ある女にその祕密を明させんとす 然るにその女實は夫を love し detest されしものなり その爲反つて情婦たりしものの如く裝ひ妻の心をやぶらんとす
[やぶちゃん注:「Enemy」は「敵」、「detest されし」は「ひどく嫌われた」の意。あんまり気持ちのいい作品にはなりそうに、ない。]
○今昔十四 保憲晴明共占覆物語第十七
[やぶちゃん注:これも数字がおかしいのであるが、「今昔物語集」の『卷二「十四」』になら「保憲晴明共占覆物語第十七」(保憲(やすのり)・晴明(せいめい)、共に覆物(おほふもの)を占ふ語(こと)第十七(じふしち))があるが、実はこれ、総ての伝本に於いて、題名のみで本文が残っていないのである。「保憲」は陰陽師(おんみょうじ)賀茂保憲(かものやすのり 延喜一七(九一七)年~貞元二(九七七)年:丹波権介賀茂忠行の長男で、安倍晴明の師とも兄弟子とも言われる)、「晴明」は言わずと知れた日本史上最強のゴースト・バスター安倍晴明(延喜二一(九二一)年~寛弘二(一〇〇五)年)のことである。昭和四九(一九七四)年小学館刊「日本古典文学全集 今昔物語集三」(馬淵・国東・今野校注・訳)の同章の解説には、『前々話および前話に関連づけて、陰陽道の双壁、賀茂保憲と安倍晴明の術道の神妙を伝えた話。表題より推察するに、覆いを透視して中の品物を言い当てる試合だったらしい。詳細が不明なので断定は避けるが、類話かと思われるのは』、「簠簋(ほき)抄」(安倍晴明が編纂したと伝承される占術書で正式には「三國相傳陰陽輨轄簠簋内傳金烏玉兎集(さんごくそうでんいんようかんかつほきないでんきんうぎょくとしゅう)」であるが実際には晴明に仮託された後代の書である。「簠簋」とは古代中国で用いられた祭器具の名)や古浄瑠璃の「信田妻(しのだづま)」などで馴染み深い安倍晴明と蘆屋道満(あしやどうまん)との『術比べ譚である。その話では、両者互いに譲らず、最後に暗明が呪力で櫃(ひつ)中の品を別の品に変えて勝利を収めたとする。なお、賀茂家と安倍家は平安中期以降中世を通じて、本朝陰陽道の支配権を分かった二大勢力で、前者がいわゆる勘解由小路(かげゆのこうじ)流、後者がいわゆる土御門流の陰陽道である。こうした事実を踏まえる時、両統の始祖的存在である保憲と晴明を争わせた本話は、見方によっては、両流の優劣を寓した説話だったとも解せよう』とある。
或いは芥川龍之介は、この欠本を補うべく、天魔自在のフェイクを構想したのではあるまいか? 或いは「奉教人の死」よろしく、確信犯偽書断簡を創ろうとしたのではなかったか? やってたら、ゼッタイ、面白かったろうになぁ!]