観光づいて乞食的 梅崎春生
阿蘇に登ったら、バスやロープウェイなどで引っぱり上げられて、山みたいな感じがしない。デパートにそっくりだ、と前号に書いたら、そんな文明の利器があるからこそ、お前は火口まで行けたのではないか、贅沢(ぜいたく)言うな、という投書をもらった。
それも一理はある。私といっしょのロープウェイに、七十歳ぐらいの腰の曲った婆さんがいて、杖をついてとことこと火口見物におもむくのを見た。以前には見られなかった光景だ。
つまりこれは山ではなく、行楽地なのである。そう考えれば、別に腹も立たない。
それは時代のなりゆきだろう。箱根の山は昔は天下の険だったが、今ではあんな具合だし、阿蘇だって明治時代は夏目漱石の「二百十日」にあるような、素朴でおそろしい山であった。
だんだん人がふえて、四つの島にあふれんばかりになると、山だの海だのをそうそう素朴な形では放って置けない。休日(だけじゃなくふつうの日も)になると、どっと押しかける。
その群衆を見て、金儲けの達人や市町村の顔役どもが、この連中からしぼり取らずに何からしぼり得ることがあるだろうか、散々巻き上げて懐(ふところ)をからっぽにして帰せとばかり、さまざまな設備をして、金を落させる算段をする。すると客の方も、
「近頃便利になりましたのう」
と、団体旗などをおっ立てて続々くり込むから、達人や顔役どもの笑いはとまらないのである。
「自然」を改善(?)すると言っても、山容まで改めるわけではない。道をつくり、休憩所を建て、ロープウェイをかけさえすればいいのだ。とたんに山は行楽地に変貌する。
私が登った時も、火口の白い霧の底からうっすらと噴煙の立ち上るのが見えたが、これが全然噴煙らしくなく、芝居や映画で使用するスモーク(人工煙)じみて見えた。
これは阿蘇の方で調子を合わせたわけではなく、そう感じる方の眼がゆがんでいるのだろう。さっきデパートにそっくりだと書いたが、むしろ東京の豊島園やアメリカのディズニイランドに似ていると言った方が、適当かも知れない。
戦後あちこちをとみに行楽化したのは、ロープウェイの発達である。魔の谷川岳にも出来たし、白馬の八方尾根にも出来た。昨年夏黒部の帰途、八方尾根のそれに乗ったが、あまり気持のいいものではなかった。心理的に不快なのではなく、生理的に気持が悪いのである。
高所恐怖症が私にあるせいでもあるが、あれがぶら下っているのが気にくわないのだ。飛行機も高くを飛ぶが、あれはぶら下っていない。自力で飛んでいる。汽車やバスもぶら下っていない。地面を這っている。ロープウェイだけが、首くくりの如く、ぶら下っている。はなはだ中途はんぱで不安定だ。
あちこちにロープウェイが出来るところをみると、きっとあれは建設費が安いのだろう。柱を立てて紐を通し、それに箱をぶら下げればいいのだから、ちゃんとした道をつくるより安く上る。故障などはおきないように設計されてはいるだろうが、時には手違いだのへまが生じて、乗客に迷惑をかける。
今年の四月初、箱根のロープウェイがとまって、二百八十人が一時間も宙づりになったという事件が起きた。満員状態で一時間も宙ぶらりんになったから、皆不安感にたえられなくなって、吐気をもよおす乗客や、引き付けをおこした赤ん坊や、血圧が高くなって脳血管の痙攣(けいれん)をおこした老人などが続出、たいへんな騒ぎになった。
箱根だから新聞に報道されたけれど、各地のロープウェイで小さな故障はしばしば起きていて、宙づりなんか日常茶飯時までとは行かないけれど、めずらしいことではないそうである。
そのくらいのことは覚悟に入れて、読者諸子もロープウェイやスキーリフトにお乗りになる方が、よろしかろうと私は思う。
ロープウェイばかりに当り散らしたようだけれど、それは私の本意でない。ロープウェイに私は今のところ、格別の恩も恨みもない。「小説中央公論」夏季号の座談会で、山本健吉さんが、
「日本中が観光づいて、乞食的になって来た」
という意味の発言をしている。
山や海を元の形のままで置け、女子供は登るな、と私は主張するものではない。それは時の勢いで仕方がないことだし、自然が普及されることは、それなりに意味があると思っている。しかしその普及のされ方が妙に「観光づいて乞食的」になっているのが、面白くないのである。
地方都市などもそうだ。地方色がだんだんうすれて、どこに行っても同じような感じになってしまった。無理して天守閣や櫓(やぐら)を再建しても、各地にそれが再建されているから、特に見に来るという意味がない。
天守閣など、遠くから見るとそれらしく見えるけれども、近寄って見るとざらざらのコンクリートで、いかにもイミテーションという感が深い。
イミテーションでも、形だけととのっていれば気がすむらしく、観光客は続々と登り、天守閣の頂上から、殿様にでもなったような気持で四方を見渡して、満足して降りて来る。
熊本で泊った宿屋は、大きな宿屋だったけれども、私たちの他に客が一組しかなく、これで商売が成り立つのかと女中さん(接待さんと言うべきか)に訊ねたら、
「今は暇ですけれど、この間までは修学旅行のお客さんでいっぱいで……」
どこから修学旅行に来るのかと、重ねて聞いたら、
「新潟や静岡や仙台から」
という答えだった。私はおどろいた。新潟や仙台からわざわざ熊本まで、何を見に、何を学びに来るのだろう。もつと近くを廻って、郷土周辺を知ることが先決じゃないのか。
邪推すれば、近くを廻れば積立金額が余るし、たとえば五泊六日ときめられているので、遠出をしなきゃ間(ま)がもてない。だからはるばる九州路にやって来る。
九州の方でも負けてたまるかというわけで、やはり五泊六日ぐらいの日程を組み、東京だの仙台だの青森まで押しかけて行く。
各地が観光づくのはいいが、別に外貨を獲得するわけでなく、たらい廻しのような形で、お金があっちに落ちたり、こちらに落ちたりするだけの話である。
ダム建設その他のために、日本に秘境というところはほとんどなくなったし、海は海で工場誘致の埋立地で、自然の海岸線は次々うしなわれつつある。
俗化などという月並なものでなく、日本全土が箱庭化する日も、そう遠くないだろう。なにしろ人間が多過ぎるのだから、致し方ない。
[やぶちゃん注:「うんとか すんとか」連載第六十四回目の『週刊現代』昭和三六(一九六一)年七月十六日号掲載分。「日常茶飯時」の「時」はママ。
「阿蘇に登ったら、バスやロープウェイなどで引っぱり上げられて、山みたいな感じがしない。デパートにそっくりだ、と前号に書いた」「デパートになった阿蘇山」を参照。
『夏目漱石の「二百十日」』漱石満三十九の明治三九(一九〇六)年十月に発表した小説。ウィキの「二百十日(小説)」及び青空文庫「二百十日」をリンクしておく。]
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