行脚怪談袋 去來伊勢參と同道の事 付 白蛇龍と成る事
去來伊勢參と同道の事
付白蛇龍と成る事
此の去來もその頃世に聞えたる俳師(はいし)也。生れは洛中五條の人、住所は洛外の九條なり、去來一とせ用事有りて、紀州和歌山の城下へ至り、諸用を達し、其の後歸洛に就き、同國新宮の野邊を通りし時、傍の木陰に年の頃廿四五にして、瘦枯れたる男色靑ざめたるがよろめき出で、去來を招く、去來何用にやと立寄りければ、彼の男告げて申しけるは、某儀は當國堺島邊の者に候が、誠や日本に生れ、神の惠みを請けながら、此のまゝ邊鄙に一生ををへんも殘念の事かな、何卒近國にてもあれば、伊勢太神宮へ參詣仕度く、頻りに思ひ出で候まゝ、四五日以前古鄕を隱れ出でたれぞも、連(つれ)とても無之(これなく)候へば、唯一人此の所へ參り候處、前世にて惡行や强かりけん、神も我等の參詣を悅び給はずやらん、五體甚だしびれ、一足も步行(あゆみ)ならず、依つて詮方なく此の木の陰に打ちふし、罷在り候て、何卒旅人にても通り給へかし、此の事を告げて如何樣にも賴み申すべしと、昨日晝頃よりけふ迄相待つといへども、折りふし一人も人通りなし、此の故に食事とてもならず、只今迄苦しみ居る所、貴所樣(きしよさま)の御通り有る事、誠に我等が爲めに幸ひ也。右の次第に候得ば、近頃の御賴みには候得共、何卒馬なりとも、駕(かご)なりとも御雇ひ下され、伊勢古津(ふるつ)の岸まで御送り給はれかし、たとひ身は叶はずとも、何卒伊勢へ參詣仕りたし、何にても人一人御すくひ被下候儀、偏へに賴み入ると願ひける。去來は是を聞き、最も慈悲深き者なりければ、氣の毒なる事に思ひ、則ち答へて申す樣、如何樣人家なき所にての急病、我等ごとき旅人(りよじん)にても賴み給はずんば、誰れも世話をなす者有らざるべし。殊更左樣の病氣ながら、是非伊勢ヘ參られんとの志し。げにも殊勝に存する也。心安かるべし、我れ等駕をやとひ來り、勢州吉津迄送るべしと、わざわざ二三里も元の道へ立歸り、駕をやとひて來り、彼の男を乘せ、送り申すべしと云ふに、かの男甚だ悅び則ちかごに乘りて、紀州を越えて志摩の二郡を越え勢州へ入り、程なく古津へいたりける。この古津と云へる岸(きし)は、南は廣廣としたる滄海、北は吉野へ續く大山也。大木(たいぼく)生ひ茂り岸石(がんせき)そびえたり。東は伊勢へ出でる山道、西は我が來る道也。此の物すごき所に至りて、彼の男駕より出で、去來に向ひて申す樣、忝なや我が望みの所へ參りたり、旅人には是より御歸下さるべし、此の二三日の御禮は言葉にも盡しがたく、然れども一禮すべき便りなし、此の禮は末々永く謝し申すべしと云ふ。去來心えぬ事と思ひ、其の者に向つて申す樣、此の所はうみ山の間にて人家とてもなし。殊更物すごき所なり。然るを貴殿いづれを便りに落付(おちつき)給ふと問ふ。其の時かの男答へて申す樣は、御不審は御尤も也。今は何をか包み申すべき。我れ誠は人間にあらず、實は山野にやどる蛇なり。我れかりそめに生れ、今年今月今日まで、既に一千年を經る、此の故に天帝より命(めい)を受けて、此度天上に至り變じて龍と成り候、扨また貴公を御賴み申し候は、惣體ケ樣に出化(しゆつけ)とぐるには、先づ山に百年、海に百年、その後人道(じんだう)に交らずんば、出化とげがたし、我れ二百歲が間海(さんかい)には住みたれども、未だ人道に交らず、此のゆゑに伊勢參と變じ、かりにその許に便り、人道にまじはる所なり。すでに今人間海山三つの執行(しゆぎやう)とげたれば、出化仕るなり。時(とき)至れば片時も相待つ事成りがたし、貴所かまへて驚き給ふ事なかれ、我れ今こそ雲井(くもゐ)に登り候と、云ふ詞(ことば)もをはらずして、彼のをとこの姿は消えて一つの白蛇とヘんじけるが、其の蛇南のうみ岸へ至り、うねりを返し頭を上げて、遙か空を詠むれば、不思儀やこはいかに、さばかり晴渡りし空、暫時が間に黑雲おほひて、四方一時にくらやみとなりて、しんどうはげしく、風雨おびたゞしくおこり、その物すさまじき事云ふ計りなく、一むらの黑雲白蛇のうへにおほひけると見えしが、たちまち虹のごとくなる姿となり、海底(かいてい)波をかへし、雲井遙かによじ登る。黑雲(くろくも)風に隨つて段々に晴渡り、南の空のみ稻妻てんだうしてすさまじき氣色なり、駕の者共恐れて、かたはらに伏しまろび、去來もおどろきねぶりいたりしが、漸うありて目をひらき、さてはかの白蛇たゞ今こそ通力を得て、天上なしたると。遙かに見やれば、消え行く雲に稻妻のひらめくを見る、
稻妻や雲にへりとる海の上 去來
と口ずさみ、奇異の思ひを成して其の處を立ちさりしが、實(げ)に此の龍の雲井にて守りん、去來次第々々に幸ひを得て、有德(うとく)の身となりくらせしと語り傳ふ。
■やぶちゃんの呟き
・「古津」「紀州を越えて志摩の二郡を越え勢州へ入り、程なく」着いた、その「古津と云へる岸(きし)は、南は廣廣としたる滄海、北は吉野へ續く大山也」とロケーションを示すが、これに見合った場所で「古津(ふるつ)」という地名を現認出来ない。識者の御教授を乞う。
・「おどろきねぶりいたりしが」驚いて目を瞑っていたが。
・「稻妻や雲にへりとる海の上」実は、底本では、この句は、
稻妻や雲にへとる海の上
となっている。調べてみると、この句は(またしても、である)去来の句ではなく、「續猿蓑」の「龝之部」に載る、
稲妻
独いて留守ものすごし稲の殿 少年一東
稲妻や雲にへりとる海の上 宗比
明ぼのや稲づま戾る雲の端 土芳
いなづまや闇の方行(ゆく)五位の聲 芭蕉
の「宗比(そうひ)」なる人物(事蹟不詳)の句で、「へ」の脱落であることが判った。されば特異的に原文の「へとる」を「へりとる」と訂した。