芥川龍之介 手帳3―41~45 / 手帳3~了
《3-41》
○神奈川縣足柄下郡吉濱村 力石平造
[やぶちゃん注:「力石平造」「平三」などとも記されるが、「力石平藏」が正しい。しかも姓は「りきいし」の読みが一般に通行しているようであるが、正確には「ちからいし」と読むのが正しい。彼は神奈川県湯河原町の石材業者の家に生まれた。芥川龍之介の愛読者で、龍之介と実際の初見は(推測)芥川が大正一〇(一九二一)十月に湯河原に南部修太郎と静養に行った折り辺りか(それ以前の可能性もある)。彼は明治三一(一八九八)年生まれで昭和五〇(一九七五)年に亡くなっている(龍之介より六歳年下)。この大正一〇(一九二一)前後に近くの素封家の娘リン(二歳年下)と駆け落ちして上京、龍之介の口利きで金星堂などの出版社に勤務していた(大正十年には長男が生まれているが、平蔵は彼に「龍之介」と名づけている。但し、五歳で夭折した)。彼は芥川の名作「トロッコ」(大正一一(一九二二)年三月『大観』。リンク先は私の古い電子テクスト)や「百合」(大正一一(一九二二)年十月『新潮』)(孰れも平蔵の少年期の思い出に基づくもので主人公良平は平蔵がモデルである。それらは龍之介自身が作品末で語ってはいる)、芥川文学中では異色の農民文学「一塊の土」(大正一三(一九二四)一月『新潮』)(平蔵の祖母と義理の母の話が原型である)の素材を提供した。しかし、これらは孰れも平蔵が書いた原稿に龍之介が大幅に手直しして截ち入れしてしまい、芥川龍之介作として発表したものであった。特に原「トロッコ」は力石の自信作であったが、龍之介の改稿によって平蔵は『永久に俺のものぢゃ無うなった』と龍之介に呟き、悄然としていたとし(滝井孝作「純潔」に載る、芥川龍之介が直接に滝井に語ったとする場面より引用)、その改竄に激しい不満を持っていたことが判る。詳しくは石井茂氏の論文『芥川龍之介の小説「トロッコ」の基礎的研究――素材提供者・力石平蔵をめぐって――』(PDF)を参照されたい。]
○靜岡縣志太郡島田町 森
[やぶちゃん注:「志太郡島田町」「志太」は「しだ」と読む。現在の静岡県中部の大井川両岸に位置する島田市。この「森」は森幸枝(生没年未詳)である。彼女については、私の「やぶちゃん版芥川龍之介句集 三 書簡俳句(明治四十三年~大正十一年迄)」の「星赤し人無き路の麻の丈」の注から引いておく。
*
まず中田雅敏氏の「書簡俳句の展開」より引用する。『静岡県島田町出身の女性、日本女子大学国文科に籍をおき小説家として世に出ようとしていた。こうして龍之介の交際がはじまった。写真も送っている。』次に鷺只雄氏の「年表作家読本」から。『身長一六三センチをこえるグラマーで、顔立ちは彫が深く美貌であった(中略)三月十七日に我鬼窟を訪ねて以来玉かんざし、博多人形、菓子などを芥川に贈り、翌年八月頃まで交際があった。』。その後の彼女は、中退して結婚し、破鏡、洋画や長唄を習い、周囲の反対をものともせず、長唄の師匠であった七つ年下の杵屋勝吉次と結婚するも、『生活は苦しく、結核に冒された幸枝は昭和五年四月に二七歳で命の火を烈しく燃やして駆け抜けて行った。幸枝は芥川の他に市川猿之助とも関係があったといわれている』とある。まさに火車の如く芥川の前を過ぎていった女である。蛇足ながら、ネットを検索すると彼女に宛てた菓子の礼をしたためた芥川書簡が五十五万円で取引されている……。ちなみに、この同じ時期には、「秋」の執筆の際の参考にする女性風俗について、妻文が紹介した彼女の幼馴染み平松麻素子との交際も、同時に始まっている。
*]
○中里一八一 宮澤
[やぶちゃん注:前に注した海軍機関学校の同僚で物理担当の「宮澤虎雄」であろう。]
○松町二ノ二 大彦
[やぶちゃん注:「大彦」が「だいひこ」なら、芥川龍之介の幼馴染みの野口真造或いはその兄功造の可能性はある。彼等の生家は日本橋で知られた呉服商「大彦」であったからである。]
○東區農人橋二ノ二 赤木
[やぶちゃん注:「農人橋」「のうにんばし」は、現在の大阪府大阪市中央区にある東横堀川に架かる農人橋(中央大通平面道路内)及びその橋の東詰周辺の町名。マルクス主義者で歌人の赤木健介か。赤木というと、親しかった中には評論家の赤木桁平(こうへい)がいるのであるが、龍之介は多くの彼への書簡では常に本名の池崎忠孝(忠孝)を用いており、かくメモするとはちょっと思えないのである。]
○巣鴨千八十二 岩野
[やぶちゃん注:作家岩野泡鳴か。]
○東片町一三四 小穴
[やぶちゃん注:盟友の画家小穴隆一。]
〇三組町三十九 折柴
[やぶちゃん注:「折柴」は「せつさい(せっさい)」と読み、作家で俳人の滝井孝作の俳号。]
○十字町三丁目七〇六 谷崎
[やぶちゃん注:谷崎潤一郎。]
○駒込坂下町四十八 雄
[やぶちゃん注:「雄」というのは不審で不詳。名前の一部であろう。彼がかく書く親友となると、一番に思い出すのは「久米正雄」であるが、彼はここに住んだ事蹟が見当たらない。]
○小石川區原町一五 中西
[やぶちゃん注:英文学者中西秀男(明治三四(一九〇一)年~平成八(一九九六)年)であろう。茨城県土浦市生まれで、最初、東京高等工業(現在の東工大)に入学、文芸部に入り、その活動で芥川龍之介と知り合い、学生時代に頻繁に芥川龍之介の家に出入りした。後に移籍して大正一〇(一九二一)年に早稲田大学高等師範部英語科卒業、早稲田中学校専任教諭となり、戦後には早稲田大学教育学部教授から退任して同大名誉教授となった。多くの英文学研究や翻訳がある。終生、芥川龍之介に傾倒した。]
○豐島柳三
〇中里二〇九 豐
○千駄木町四十九 ヨシ雄
[やぶちゃん注:どうも気になる。最初の姓「豐島」に最後の「ヨシ雄」を接合すると、芥川龍之介が常に注目していた同世代(龍之介より三つ年上)の作家(仏文学者・児童文学者)豊島与志雄(明治二三(一八九〇)年~昭和三〇(一九五五)年)となるからである。彼はこの頃の大正一二(一九二三)年に法政大学法文学部教授となっている。]
*
《3-42》[やぶちゃん注:編者によって、この見開きは天地逆に書かれているという注がある。]
○La Martine
[やぶちゃん注:フランス近代抒情詩の祖とされてヴェルレーヌや象徴派にも大きな影響を与えたロマン派の詩人で、二月革命にも拘わった政治家でもあったアルフォンス・ド・ラマルティーヌ(Alphonse Marie Louis de Prat de
Lamartine 一七九〇年~一八六九年)のことか?]
○Stolen Baties
[やぶちゃん注:「盗まれた赤ん坊たち」の意味だが、当時の作品名や作者には行き当たらない。識者の御教授を乞う。]
○市丸
○スミ左
[やぶちゃん注:孰れも源氏名っぽい。]
○して義の字を書かれしは
*
《3-43》
○The meaning of Poe's importance on
1) self-conscious technique Baudelaire
2) his man ―― always enterprising ―― Balzac
3) inhalt 1) pseudo-scientific stories
2) psychological stories
3) symbolic stories
searching spirit, never
satisfied by mere natural science
[やぶちゃん注:ポーは芥川龍之介が終生一貫して尊敬した作家であり、手記や講演・手稿などに多くのポー論や敬意を持った深い言及がある。
「The meaning of Poe's importance
on」エドガー・アラン・ポーの重要性の意味に就いて。
「self-conscious technique
Baudelaire」(ポーに)自覚的であるところのボードレールの技法。
「his man ―― always enterprising
―― Balzac」彼という男――常に進取で冒険的である存在――(それはまた)バルザック(と同じ)、という謂いか?
「inhalt」ドイツ語で「内容」の意。
「pseudo-scientific stories」疑似科学的物語群。
「psychological stories」心理学的物語群。
「symbolic stories」象徴的物語群。
「searching spirit, never
satisfied by mere natural science」精神をテツテ的に精査すること、決して単なる自然科学によって満足することはない。]
*
《3-44》
○H. Bordeaux : The Fear of Living
The Parting of the Ways
[やぶちゃん注:「H. Bordeaux」アンリー・ボルドー(Henry Bordeaux 一八七〇年~一九六三年)はフランスの反自然主義のカトリック作家。初めは法律を学んだが、一八九四年、評論「近代人の魂」(Âmes
modernes)で文壇にデビュー、弁護士の父の死により一旦、後継者となるが、一九〇〇年に小説「故郷」(Le Pays
natal)を発表、再び作家活動に入った。一九〇二年に「生の恐怖」(La Peur
de vivre)でアカデミー賞受賞、他に一九〇六年の「ロックヴィヤール家の人々」(Les
Roquevillard)、一九〇一一年の「足跡の上の雪」(La
Neige sur les pas)等がある。「The Fear of Living」一九〇二年の“La
Peur de vivre”の英訳題。「The Parting of the Ways」一九一一年にアメリカで英訳されたもの(原題不詳。上の同年作の「足跡の上の雪」か?)(以上は主に仏文の彼のウィキを参考にしたが(日本語はない)、これが私の読解限界である)。]
○G. Gissing New Grub Street
[やぶちゃん注:イギリスの小説家ジョージ・ギッシング(George Robert Gissing 一八五七年~一九〇三年)の一八九一年の“New Grub Street”(邦訳題「三文文士」)。ウィキの「ジョージ・ギッシング」によれば、『イングランド北部のヨークシャー州・ウェイクフィールドに生まれる。少年時代は秀才で古典教養も深かったが、マンチェスターにあるオーエンズ・カレッジ』『在籍時に、街の女(ネル)と関係を持って恋に落ち、彼女を助けるためにカレッジで窃盗を繰り返し、逮捕・放校されて学者としての人生を棒にふった。その後、一年ほどアメリカで逃亡生活をし、『シカゴ・トリビューン』紙などに短編を寄稿していた。帰国後、ロンドンに出て小説家を目指したが、再会したネルとの最初の結婚は、彼女の売春とアルコール依存症などで失敗した。彼女の死後にミュージックホールで知り合った労働者階級の娘との』二回目の『結婚もうまくいかなかった』。『労働者階級の悲惨さを自然主義的に描いた初期作品は売れずに苦労したが、そうした売れない作家の実生活を描いた』ここに出る「三文文士」が『皮肉なことに文壇の注意を引いた。本作と、階級的な疎外で苦しむ知的な若者の心境を語る「流謫の地に生まれて」(Born in
Exile 一八九二年)、十九世紀後半に登場した〈新しい女〉との関連で論じられることが多い「余計者の女たち」(The Odd
Women 一八九三年)が〈ギッシング三大小説〉と言われる。「三文文士」の『翻訳許可を求めてきた中産階級のフランス人女性』ガブリエル・フルリ(Gabrielle Marie Edith Fleury 一八六八年~一九五四年)と『同棲するようになったが、すぐに健康を害したギッシングはピレネー山脈のふもとで養生したものの』、四十六歳の『年末に心筋炎で死亡した』。『日本では従来は、最晩年の随筆集』「ヘンリー・ライクロフトの私記」(The
Private Papers of Henry Ryecroft 一九〇三年)、紀行文「イオニア海のほとり」(By the
Ionian Sea 一九〇一年)や評論「チャールズ・ディケンズ論」(Charles
Dickens 一八九八年)の『作者として有名だったが、近年は小説作品が再評価されている』とある。]
○Leblanc
The Confessions of Arsène Lupin
The Crystral stepper
[やぶちゃん注:「Crystral」はママ。「Leblanc」怪盗アルセーヌ・ルパンの生みの親として知られるフランスの小説家でモーリス・マリー・エミール・ルブラン(Maurice Marie Émile Leblanc 一八六四年~一九四一年)。「The Confessions of Arsène Lupin」はルブランのルパン・シリーズの第二短編集“Les Confidences d'Arsène Lupin”(「ルパンの告白」:一九一一年~一九一三年)の英訳題。“The Crystal stepper”はルパン・シリーズの長編物の一篇“Le bouchon de cristal”(「水晶の栓:」一九一二年)の英訳題。]
○G. Moore Memoirs of My Dead Life
[やぶちゃん注:アイルランドの小説家ジョージ・ムーア(George Moore 一八五二年~一九三三年)の一九〇六年刊の作品。「我が死せる自己の備忘録」の意。私の先日の仕儀、『芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) ムアアの言葉』を参照されたい。]
○The Honour of the □ and other Tales
[やぶちゃん注:□は底本のママ。「□の栄光とその他の物語」。不詳。]
○His Masterpiece
[やぶちゃん注:これはフランスの自然主義の祖、小説家エミール・フランソワ・ゾラ(Émile François Zola 一八四〇年~一九〇二年)の一八八六年作の“L'Œuvre”(ル・ウヴル:「作品」の意。邦訳では「製作」などとも訳されている。ウィキの「エミール・ゾラ」の簡単な梗概によれば、『画家クロード・ランティエは、理想の女を描こうと苦闘するが、やがて敗れて自殺する。妻のクリスティーヌは心を病む』とある)の英訳題。]
○Money
○Chatto & Windus
[やぶちゃん注:下は一九八七年創業のロンドンの老舗の出版社。かの Random House の子会社である。]
*
《3-45》
○Valda
[やぶちゃん注:不詳。幾つかの地名や人名(神名や架空も含め)があるにはあるが、どうも今一、ピンとこない。識者の御教授を乞う。]
○室生 里見 小宮 谷崎 佐々木 生田 久米 田中 森田 多田 菊池 南部 中戸川 森田 齋藤 成瀨 小島 邦枝 香取 岡 澤木 岩野
[やぶちゃん注:以下、ピンとくるものは断定的に名前のみ附した。不詳は「?」を附した。
「室生」犀星。
「里見」弴。
「小宮」豊隆。
「谷崎」潤一郎。
「佐々木」茂索。
「生田」長江。
「久米」正雄。
「田中」貢太郎、或いは「田中」純であろう。
「森田」今一人後にも「森田」が出るが、一人は「森田」草平と考えてよい。今一人は?
「多田」?
「菊池」寛。
「南部」修太郎。
「中戸川」吉二(明治二十九(一八九六)年~昭和十七(一九四二)年)は小説家・評論家で芥川龍之介が期待した作家の一人。里見弴に師事し、代表作に「イボタの虫」がある。
「齋藤」茂吉。
「成瀨」正一。
「小島」政二郎。
「邦枝」『三田文学』系の小説家邦枝完二(くにえだかんじ 明治二五(一八九二)年~昭和三一(一九五六)年)か。
「香取」秀真。隣人で彫金師。
「岡」栄一郎。
「澤木」梢(こずゑ(こずえ))。美術史家沢木四方吉(明治一九(一八八六)年~昭和五(一九三〇)年)のペン・ネーム。ヨーロッパ留学後に慶大教授となり、西洋美術史と美学を教え、『三田文学』の編集主幹も務めた。
「岩野」泡鳴。]
○巣鴨1082 岩野
[やぶちゃん注:同前。]
○小石川茗荷谷町95
○牛込天神町五三 生田
[やぶちゃん注:「生田」長江であろう。]
○糀町隼町5
[やぶちゃん注:「糀町隼町」は「かうじまちはやぶさちやう」と読んでおく。ウィキの「隼町」によれば、現在の『隼町(はやぶさちょう)は、東京都千代田区の町名』で『千代田区の西部に位置する。北部は東京FM通りに接し、これを境に麹町』(こうじまち)『に接する。東部は内堀通り・桜田濠に接し境に皇居(千代田)になる。南部は青山通りに接し、これを境に永田町に接する。西部は半蔵門駅通りに接し、これを境に平河町に接する(地名はいずれも千代田区)』。『隼町は国立劇場と最高裁判所があるところとして知られ、両施設が町域内の主体的な存在となっている。他にビルのほか、少数ながら住宅も見られる』とあり、『本来、隼町とは現在の隼町の北隣にあたる麹町一丁目南側の地域をいった』とあるから、この町が二つ重なる異様な旧住所は、これによるか。]