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2016/07/28

ドナギ、タコイカ、骨なし魚   梅崎春生

 

 この五六十年の間に、食用植物や食用家畜などは、大幅に品種が改良された。牛肉もやわらかくなったし、一年に三百六十個以上も卵を産む鶏も、続々出現した。

 果物の進歩もめざましい。私が子供の時はモモやナシはがりがりだったし、イチゴもきわめて小粒だった。今やモモやナシは口に入れればとろけるようで、イチゴも化けものみたいに大きくなった。また種類のちがう果樹をかけ合わせて、新種の果物もつくり出されている。

 ところが、魚類だけは旧態依然である。マグロもイワシも、一千年前のそれと、ちっとも変っていない。

 魚類の品種改良は、では全然行われていないかというと、そうでない。鑑賞用としては大いに行われている。金魚や熱帯魚などがそうである。日本人は手先が器用で、小さなものにこつこつ打ち込むのが得意だから、近頃の金魚などは、品評会の写真を見ると、大きな瘤(こぶ)が頭部に突出していたり、眼玉だけがぴょんと飛び出したり、尻尾だけがやけに大きくて泳ぐのにも不自由したりしているのもいる。

 つまり品種改良というのは、人間の側から見て改良であって、魚の立場からすると、不具になるわけだから、改悪である。

 果物だって、そうだ。果実は本来子孫をふやすために実るものだが、人間の手にかかって、その能力をうしない、人間から食べられるためにのみ実っている。品種改良とは、つまるところ、不具化である。いい例が種なし西瓜だ。これは人間がいなきゃ、何のために実ったのか、実った意味がない。

 同じやり方を、どうして海や川の魚に適用しないのか、と私は思う。

 よく似た同士を交配して、新種をつくり出す手はないものか。虎とライオンをかけ合わせて、子を産ませる。これをライガー、タイゴンと呼ぶ。ラバもその手で出来た。

 タコとイカを夫婦にして、新種がつくり出せないか。スダコにしてもおいしいし、乾せばスルメになる。便利ではないか。

 ウナギとドジョウ。これも面白い。どちらもぬるぬるして、長くて、よく似ている。ドナギとでも名付けて、蒲焼にしてもいけるし、柳川鍋にも好適だ。

 五年ほど前に書いて、識者(?)の失笑を買ったが、骨なし魚というのがつくり出せないものだろうか。種なし西瓜がつくれるのだから、骨なし魚も夢ではなかろう。世の魚ぎらいの中には、骨があるから厭だ、むしるのが面倒くさい、というのが相当にいる。骨なし魚の出現は、彼等をして魚好きに変化せしめるであろう。

 骨がなくて生きて行けるか、と反論されそうな気がするが、クラゲやタコ(には軟骨があったかな?)は骨がなくても、ちゃんと生きている。初めからいきなり骨なしというのは不可能だろうから、骨の細いのをかけ合わせ、いよいよ骨を細くして、ついに消滅させてしまう。

 金魚の珍種をつくることや盆栽の製作に長じた日本人だから、それが出来ない筈がない。

 日本近海を整備して、工場の廃液や下水が流れ出ないようにする。余った船はあちこちに沈めて、魚のアパートをつくってやる。ゴカイやブランクトンを養殖して、時期を定めて適当量撒布する。もちろん個人の力で出来ることではない。国家的規模において、これを行う。居心地が良ければ、李ラインの向うの魚たちも、続々とこちらに移住して来るだろう。

 一億人の蛋白源だからと言って、それを一網打尽に取ってはいけない。それでは元も子もない。計画的に、年間何万トンときめて、取るようにする。それがわれわれフィッシュイ一夕ーとして取るべき、唯一の道であるように思う。

 餌が豊富であるからして、彼等はふとる。あまりふとったのは、ぶよぶよして大味だという説もあるが、それは水ぶくれの魚のことではないか。固ぶとりなら、けっこううまい筈である。魚には一体どのくらいの水分が含まれているか。檜山義夫氏の書いたものによると、ふつうの魚で七十パーセントから八十パーセントは水分だそうである。貝類は九十パーセント。クラゲにいたっては九十九・九パーセントが水分だとのことだ。

 中華料理の前菜によくクラゲが出るが、あれはこりこりしてうまい。水分はあまり含んでないように見えるが、途中で脱水作業が行われたに違いない。

 魚が七十~八十パーセントが水分なら、まるで水分を食べて(飲んで?)いるようなものではないか。そう言って憤慨する向きもあるだろうが、そう憤慨している当人の体重の三分の二は、水である。魚に対して怒る資格はない。

 以上いろいろと素人談義を並べたが、人口がふえるにつれて、それに見合う蛋白源、牛豚鶏や魚などをふやさねばならぬ。それはたいへんなことだから、も少し効率のいいものをつくろうと、各国の学者たちが研究し、努力している。すでに緒につきかけているのもある。

 四年ほど前、クロレラ(食用藻)のことを小説に取り入れようと思って、目白の研究所に見学に行った。円形の池がいくつもあって、アームがそれを静かにかき廻している。青っぽいものが、浮いたり沈んだりしている。これがクロレラだ。ここは研究所だから小規模だが、吉祥寺か田無の方に大がかりのものが出来ているという話であった。

 所員からいろいろ説明を聞いた。

 「蛋白質や栄養分は理想的に含まれているが、難点はまずいことです」

 ということなので、

 「アイスクリームに入れると、おいしいという話を聞きましたが――」

 と私が言うと、

「それは、おいしいです。しかしそれは、アイスクリームがおいしいのであって、クロレラのせいでない」

 なるほど、と私は了承した。それが四年前のことだから、今は改良を重ねて、うまくなっているかも知れない。

 石油から牛肉をつくる、ということも考えられているらしい。石油の廃棄物から各種のアミノ酸が合成されている。アミノ酸は蛋白質のもとである。アミノ酸をうまく結合すれば、蛋白が合成される筈だ。それが成功すれば、人造牛肉ということになるらしい。

 石油の廃棄物は、餌もいらないし、病気する心配もない。大量生産すれば、ずっと安くつくだろう。栄養は保証するが、味の点はどうであろうか。うまく行っても、清酒と合成酒ぐらいの違いは出るだろう。

 その中に、どこかの大臣が、きっと失言する。

 「貧乏人はクロレラや合成肉を食え」

 私は失言する方に賭けてもいい。

 

[やぶちゃん注:「うんとか すんとか」連載第六十六回目の『週刊現代』昭和三六(一九六一)年七月三十日号掲載分。これで底本である昭和六〇(一九八五)年沖積舎刊「梅崎春生全集 第七巻」掲載の「うんとか すんとか」は終わっている。全六十七回であるからこれは最終回八月六日号の前の回に当たる。

 この一篇、前回の養殖漁業からヒトによる交雑新種作成にまで話が及び、少し羽目を外している感があるが、梅崎春生は自給自足の絶対的不能となるであろう世界を予測して、相応に真面目に(但し、笑いをとることも十分に考えながら)筆を進めており、実際には一国の政治家が「貧乏人はクロレラや合成肉を食え」と失言するコーダを引き出す枕としていることが判る。

 無論、これは第三次吉田内閣当時の大蔵大臣(現在の財務大臣の前称)であった池田勇人(はやと 明治三二(一八九九)年~昭和四〇(一九六五)年の失言とされる「貧乏人は麦を食え」をパロったものであるが、彼は本記事が出た当時は内閣総理大臣(昭和三五(一九六〇)年七月十九日から昭和三九(一九六四)年十一月九日まで)に登り詰めていた。これは参議院予算委員会 昭和二五(一九五〇)年十二月七日に行われた参議院予算委員会で、社会党の木村禧八郎議員が高騰する生産者米価に対する蔵相の所見を質した際の答弁中に語った内容を、マスコミが『貧乏人は麦を食え』というフレーズに変えて報道したものであって、池田本人が言った正確な言辞ではない。ウィキの「池田勇人」から引く(下線はやぶちゃん)。

   《引用開始》

○木村禧八郎君 (略)米価を特に上げる、併し麦とか何とかは余り上げない。こういう食糧の価格体系について大蔵大臣には、何かほかに重要な理由があるのではなかろうか。この点をお伺いしたいと思います。

○国務大臣(池田勇人君) 日本の経済を国際的に見まして立派なものにしたいというのが私の念願であるのであります。別に他意はございません。米と麦との価格の問題につきましても、日本古来の習慣に合つたようなやり方をして行きたい。(略)麦は大体国際価格になつている。米を何としても値段を上げて、それが日本経済再建のマイナスにならないように、徐々に上げて行きたいというのが私の念願であります。ほかに他意はございません。私は衆議院の大蔵委員会に約束しておりますから、ちよつと……、又来ますから……。

○木村禧八郎君 それじや一言だけ……、只今日本の古来の考え方に従つてやるのだという、その点はどういう意味なんですか

○国務大臣(池田勇人君) 御承知の通りに戰争前は、米一〇〇に対しまして麦は六四%ぐらいの。パーセンテージであります。それが今は米一〇〇に対して小麦は九五、大麦は八五ということになつております。そうして日本の国民全体の、上から下と言つては何でございますが、大所得者も小所得者も同じような米麦の比率でやつております。これは完全な統制であります。私は所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたいというのが、私の念願であります。

   《引用終了》

まあ孰れにせよ、乱暴に『貧乏人は麦を食え』と言っているのと大した変りはない。同ウィキには、この発言を聴いた当時の池田の秘書官(同郷(広島)で昔から関係が深かった)であった、後に内閣総理大臣となる宮澤喜一(大正八(千九百十九)年~平成一九(二〇〇七)年)は、後に「ちょっと総理大臣になるのは無理じゃなかろうかなと思った」と述べている、とある。

 この文章、しかし、既にヒト・クローンにまで着手しようとしている禁断の領域に踏み込んでいるヒト種を考えれば、雑文として笑い飛ばすことなど、到底、出来ぬ。

 

「虎とライオンをかけ合わせて、子を産ませる。これをライガー、タイゴンと呼ぶ」人工的環境で作られた実在する交雑種。父親がライオン(食肉目ネコ型亜目ネコ科ヒョウ(或いはネコ)亜科 Pantherini 族ヒョウ属ライオン Panthera leo)で母親がトラ(ヒョウ属トラ Panthera tigris)の場合を「ライガー」(Liger)と呼び、父親がトラで母親がライオンの場合を「タイゴン」(Tigon)又は「ティグロン」(Tiglon)と名づけている。ウィキの「タイゴンによれば、『親となるどちらの種にも見られる特徴が発生することが知られる。母となるライオン由来の斑紋』『を持つこともあれば、父となるトラ由来の縞柄を持つこともある。本交雑種の雄に見られる鬣(たてがみ)は、ライオンのそれよりも短くて目立たず、むしろトラの雄のひだ襟に近い。本交雑種は』十九世紀『終盤にはその存在が確認されており、主に動物園やサーカス等で交配された』ものであった。『本交雑種はライガーと同じく視神経や内臓(特に腎臓、心臓関係)に先天的疾患を抱える場合が多く、また先天的な疾患以外にも骨の発育不全および骨腫、股関節の形成不全等が多発することも報告されている。それ故に短命な個体が多い。このため生命の倫理に反するとして現在は研究目的以外に掛け合わせる行為は極力控えられており、また台湾では本交雑種(ライガー含む)の作成を禁じている。飼育されている個体は中国の動物園で見られることが多い』。『一般的に雌のタイゴンが繁殖力を持つのに対し、雄の個体は不妊であるとされている(繁殖に成功した例は以下)。タイゴンの雌とライオンの雄の繁殖例はライタイゴン(li-tigon)、タイゴンの雌とトラの雄の交配による種はタイタイゴン(ti-tigon)と呼ばれる』。『世界動物記で知られる動物学者のグッギィスベルク(Guggisberg)は自身の著書『Wild Cats Of The World1975)』の中で、「ライガーやタイゴンには繁殖能力が無いと考えられてきたが』、一九四三年に『ミュンヘンのヘラブルン動物園(Hellabrunn Zoo)でライオンと島のトラの間に生まれた』十五歳の『種間雑種をライオンと交配させることに成功。その雌は体が弱かったものの成体まで成長した」と記している』。(中略)『チベットのシャンバラ自然保護区で』一九七八年に『生まれた雌のタイゴンであるノエル(Noelle)と雄のアムールトラであるアントン(Anton)との間に』一九八三年に『ナサニエル(Nathaniel)と名付けられたタイタイゴンが誕生している。ナサニエルは』四分の三が『トラであったため、ノエルよりも濃い縞模様を持ち鳴き声もよりトラに近かったという。またライオンの血は』四分の一しか『入っていなかったため、鬣は生えてこなかった。しかしナサニエルは』八~九歳の時、『癌で死亡し、母親のノエルも同じ病気で間もなく死亡した。これは本交雑種の短命な一面を物語っている』とある。因みに、名前としてはより知られるレオポン(leopon)はヒョウ(ヒョウ属ヒョウ Panthera pardus)の父親とライオンの母親から生まれた雑種である。ウィキの「レオポン」によれば、『ヒョウとライオンは生息地域こそ重なっているものの少なくとも頻繁に交尾することはない。基本的に「種」の分類は生理的分離、繁殖隔離や生態隔離などを根拠として、定義づけられている。人工飼育下であれ、レオポンが誕生したことは、両種の間に純粋な繁殖に関する生殖的隔離がないことを意味している。もちろん、前記のとおり自然界ではレオポンの誕生は全くないか非常に少ないと推定される。従って動物園でレオポンを作るに当たってはヒョウとライオンを幼い時からいっしょに育て、交尾に際しては精神安定剤を与えるなどして辛うじて成功したものである』。『統計的に有意ではないが、レオポンは一代雑種であり生殖能力はなく、レオポン同士を交尾させて子孫を作ることはできないとされる』。『現在では生命倫理の観点から、レオポンを作る試みは行われていない。しかしながら、交雑の現象やその結果については生物学的に重要な事項であり、今後の研究の進展が必要である』とある。

「ラバ」ウィキの「ラバ」によれば、奇蹄目ウマ科ウマ属ラバ Equus asinus × Equus caballus(騾馬(らば)/英語:Mule/ラテン語:Mulus)は、ロバ(奇蹄目ウマ科ウマ属ロバ亜属ロバ Equus asinus)の父親とウマ(ウマ属ウマ Equus caballus)の母親の交雑種で家畜として繁殖しており、家畜としては両親のどちらよりも優れた特徴を有しているとされ、「雑種強勢」の代表例とされる。北米・アジア(特に中国)・メキシコに多く、スペインやアルゼンチンでも飼育されている。逆の組み合わせ(ウマの父親とロバの母親から生まれる家畜を駃騠(けってい 英語:Hinny)と呼ぶが、ラバの方が飼育が容易で、体格も大きい。『大きさや体の色はさまざまである。耳はロバほど長くない。頸が短く、たてがみは粗い』。『体が丈夫で粗食に耐え、病気や害虫にも強く、足腰が強く脚力もあり、蹄が硬いため山道や悪路にも適す。睡眠も長く必要とせず、親の馬より学習能力が高く調教を行いやすい。とても経済的で頑健で利口な家畜である』。『唯一欠点として、「stubborn as a mule(ラバのように頑固)」という慣用句があるように、怪我させたり』、『荒く扱う等で機嫌が悪くなると、全く動かなくなる頑固で強情な性格がロバから遺伝している。それ以外は、大人しく臆病で基本従順である』。『鳴き声は馬ともロバとも異なるが、ややロバに似る』。なお、ラバもケッテイも孰れも『不妊である。不妊の理由として、ウマとロバの染色体数が異なるからだと考えられている』。ラバは、紀元前三千年から、二千百年と千五百年との『間頃には、エジプトで知られていたと考えられている。ファラオがシナイに鉱山労働者を送る際、ラクダではなくラバで送ったという岩の彫刻が残っている。エジプトのモニュメントには、ラバにチャリオットを引かせる絵が残っており、当時から輸送に関わっていた事が分かる』とある。

「タコとイカを夫婦にして、新種がつくり出せないか」梅崎先生、それは出来ません。タコは軟体動物門頭足綱鞘形亜綱八腕形上目 Octopodiformes で、イカは鞘形亜綱十腕形上目 Decapodiformes で、同科であっても上記のような例を除いて交雑は厳しい中、何となく似て居ても(私などにはタコとイカはよく観察すると構造が悉く異なる全く似ていない生物種と見えます)目の上のタクソンである上目レベルで異なる生物の交雑は絶対にあり得ないのです。

「ウナギとドジョウ」先生、同前です。ウナギは条鰭綱カライワシ上目ウナギ目ウナギ亜目ウナギ科ウナギ属 Anguilla ですが、ドジョウは条鰭綱骨鰾上目コイ目ドジョウ科ドジョウ属ドジョウ Misgurnus anguillicaudatus で、カライワシ上目 Elopomorpha と骨鰾上目 Ostariophysi でタクソンの分離がやはり上目ですから。

「固ぶとり」「かたぶとり」。肉身がしまった肥大。

「檜山義夫」(ひやまよしお 明治四二(一九〇九)年~昭和六三(一九八八)年)は水産学者で農学博士。東京生まれで東京帝国大学農学部卒。昭和二四(一九四九)年に東大農学部教授。昭和四四(一九六九)年に定年退官、名誉教授。魚類生態学・漁業学・水産資源学を専門とし、核実験による水産生物の放射能汚染の調査も行った。著作多く、引用元は不明であるが、参照したウィキの「檜山義夫」に載る何れかの著作であろう。

「ふつうの魚で七十パーセントから八十パーセントは水分」管見する他者の記載でも平均七十五%程度とする。

だそうである。貝類は九十パーセント。

「クラゲにいたっては九十九・九パーセント」種によるが、ちょっと高過ぎる。平均九十五~九十七%というところである。

「中華料理の前菜によくクラゲが出るが、あれはこりこりしてうまい。水分はあまり含んでないように見えるが、途中で脱水作業が行われたに違いない」総合輸入販売業で中華食材も扱っている株式会社「健興通商」公式サイト内の「くらげの豆知識」にある「加工」に詳しい。

「当人の体重の三分の二は、水である」ヒトの場合、胎児では体重の約九十%、新生児では約七十五%、子どもでは約七十%、成人では約六十から六十五%(脂肪の多少から男女差があり、脂肪の少ない男性で六十%であるのに対し、脂肪の多い女性で五十%程度である)、老人では五十から五十五パーセントを水分が占めている。

「四年ほど前、クロレラ(食用藻)のことを小説に取り入れようと思って、目白の研究所に見学に行った。」「四年前」本篇は昭和三六(一九六一)年七月の発表であるから、昭和三二(一九五七)年。「目白の研究所」は次に述べる「クロレラ」の解説に出る徳川研究所のこと。「クロレラ」は植物界(若しくはアーケプラスチダ Archaeplastida 界) 緑色植物亜界緑藻植物門トレボウキシア藻綱クロレラ目クロレラ科クロレラ属 Chlorella の淡水性単細胞緑藻類の総称。ウィキの「クロレラ」によれば、『クロレラという名前は、ギリシャ語のchloros(クロロス、緑の意)と、ラテン語のella(エラ、小さいものの意)から合成された名前で』、一八九〇年に『オランダの微生物学者、バイリンクによって発見命名された』。直径210μm(マイクロメートル:一ミリの千分の一)で『ほぼ球形をしており、細胞中にクロロフィルを持つため緑色に見える。光合成能力が高く、空気中の二酸化炭素、水、太陽光とごく少量の無機質があれば大量に増殖する』。本邦では昭和四(一九二九)年に『東北帝国大学(現・東北大学)教授の柴田萬年がクロレラの純粋分離に成功』、敗戦後の昭和二四(一九四九)年にはGHQなどから『東京大学教授の田宮博にクロレラの大量培養の要請があり、翌』『年、徳川生物学研究所』(目白にあった尾張徳川家第十九代当主で侯爵で植物学者でもあった徳川義親(明治一九(一八八六)年~昭和五一(一九七六)年)の私邸内に彼が設立した民間の生物研究所。昭和四五(一九七〇)年三月に閉鎖された)に於いて『屋外大量培養を行い、成功している』。乾燥物としての『主な成分は』、蛋白質四十五%、脂質二十%、糖質二十%、灰分十%で、『その他にビタミン類やミネラル類を含む』。『たんぱく質含量が高いため、未来の食料資源のひとつとして培養や研究が行われた時期もあった。大量培養ができるようになった』一九六〇『年代以降は、健康食品として販売されているが、「免疫能を向上させる」などの効能については、人間に対する有効性を示す信頼できる臨床データはまだ不十分である。基礎研究で抗ウイルス、抗ガン、免疫賦活、糖尿病予防の各作用が認められるが、ヒトの体内では不明』。但し、『高血圧と高コレステロール血症、肝機能改善のデータ』はある。一方、過去には『アレルギー症状を起こしたという報告もあ』り、また、『クロレラに多く含まれるクロロフィルは、分解の過程で光過敏症の原因となるフェオフォルバイトを副生するため、日本ではフェオフォルバイト含有量の上限が定められている』。さらに、ビタミンKが多く含まれていることから、『大量に摂ると抗血液凝固剤ワルファリンの効果を減じる恐れがある、細胞壁が強固なために消化吸収率が悪い』『などの指摘もある』とある。

「石油から牛肉をつくる」所謂、「石油蛋白」で、石油が安価であった一九七〇年以前には確かにあったが、昭和四八(一九七三)年の第一次石油ショック以降、石油が高騰して問題にもされなくなったものと思われる。牛肉のように成型して同様の味と歯応えを出すには恐ろしくコストがかかるであろうし、梅崎春生の言うようには現行、そのようなものが流通しているという話は全く、ない(大豆蛋白なら非常に普及はしている)。]

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