茸の独白 梅崎春生
[やぶちゃん注:昭和二二(一九四七)年五月号『新小説』初出、後に昭和三二(一九五七)年一月現代社刊の単行本「馬のあくび」に再録された(底本解題に拠る)。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。]
茸の独白
押入れも無い北向きの三畳間に、もはや一年近く住みついた。昨年雹(ひょう)が降った時屋根に穴があいたらしく、雨が盛んに漏るので、現在では畳は腐れ壁は落ち、変な形の茸(きのこ)が七八本生えている。机が一脚、行李(こうり)に寝具、本が十冊程、これが私の全財産だ。他には天にも地にも何も持たぬ。旦暮此の部屋に起臥し、茸の生態を観察などしているが、侘しいと言えば佗しい限りである。
生れて以来こんなひどい部屋に住むのも始めてだし、こんなに何も持たないことも始めてだ。しかし何も持たないということ程強いものはない。近頃特にそのことを感じる。こんな部屋にいると、市民的な幸福というものが自分に無縁のものであることがはっきりして来るから、その点でも気持に踏切りがつく。生活の幸福を断念出来なかったからこそ今までは苦しかったので、思い諦(あきら)めてしまえばサバサバと愉しい。気持の起点を此処に置いて、今年は書いて行こうと思う。
今日は正月三日、朝十時に起きて自由ヶ丘の食堂まで飯を食いに行って、今帰って来たところだが、街で見た男女は何処にしまっていたのかと驚くような綺麗な着物を着て、苦労を忘れたような顔をして往来していた。ぼんやり眺めると、昔と少しも変っていないようにも見えるが、それも今日迄の話で明日からはまたもとの恰好に戻るにきまっている。戦争に負けてこのかた、何も彼も変ってしまった。風俗にしても人情にしても、戦争前に比べるとどこか狂っている。人間も変ってしまった。
人間が変ったなどと言うと、人間というものは太古から変らないものだぞと叱られそうな気もするが、人間が変らないという言い方は、飲み物の中で水が一番旨(うま)いという言い方と同じで、飲み物の中では酒が一番旨いと信じている私ですら、水が一番旨いぞと鹿爪らしい顔で言われたら、御説御もっともと引下る他はない。誠にたちの悪い言い方である。人間は不変である。などとやに下るような真似は私はしたくない。とにかく人間は変った。
どんな具合に変ったかというと一言にしては言えない。あらゆる点で微妙な歪みとなってあらわれて来る。異常と言うのは正常があってこそ言えることだが、今は皆が少しずつ狂っているので、異常は存在しない。皆胸の中に異常を蓄えているから、不思議なことを見たり聞いたりしても少しも驚かない。泰然として事に処している。これはおそろしい事だと思う。これをとらえなくてはならぬ。
我が国の伝統に私小説というシステムがあって、正常な市民生活を描くには最も都合が良かった。之は精巧につくられた網のようなもので、たいていの魚はこれで捕えられ、そして料理された。私といえども戦前までは之を賞玩(しょうがん)することでは人後に落ちなかったけれども、現今の魚はもはや此の網から遠く逸脱しているのではないかと疑われる。捕えたと思ったのが魚ではなくて、魚の影ではないのか。もしそんな仕儀なら、どんなに精巧に拵(こしら)えられてあっても実用に使うわけには行かない。街で見た男女の正月の晴着と一緒で、時々取り出して美しさを嘆賞する分には差支えないけれども、日常の用を足すには役立たぬ。更に別の形の網をつくるより他はない。現今の魚族を捕えるのに最も適当した様式の網をつくらねばならない。
終戦後、日本の文学が混乱をするだろうと私は思っていたが、それも形だけの混乱にとどまり、本質的には何も変っていないようである。それも在来の網で魚影だけは捕えられたからで、魚の形はしているが魚の味はしないぞとお客はぶつぶつ言ったけれど、他に生き生きした魚の入荷もないから諦めて食べていた感がある。縄で焚火をすると燃え尽きた後に、縄そのままの形をした灰が残る。あれは縄の形はしているが、縄の用には立たないのだ。新しい風が吹くと皆飛散してしまう。今の小説はそれに似ている。
日本の今の現実に身を処するに、在来のやり方では駄目だということは、日常生活において誰も経験していることにちがいない。電車に乗るのに小笠原流のやり方では駄目だし、おいしそうな果物に対して俳諧的精神を以て眺めるなどということは誰もやらない。電車には人を押し分けて乗り、果物をいきなりもいで食慾を充たそうと試み、そんな態度を我ひと共におこなって怪しまない。生活の上では皆、簡単に過去の亡霊と訣別しているのである。文学の世界でもそうあらねばならぬのに、まだリアリズムと称する自然主義や、私小説的精神や、花鳥風月の精神や、日本的ロマンティシズムと言う不思議な精神が、玉石入り乱れて此の現実を処理しようとひしめき合う有様は、徒労と言うも愚かである。
私はそんな亡霊たちと訣別したいと思う。
勿論私も長い間そのような生活の中にいたのだから、簡単に帽子を振って訣別出来るとは思っていない。しかし日常生活の上で肉体が既に訣別しているのに、精神だけが昔の亡霊と奇怪な交歓をつづけていることは不自然にきまっている。私は、雨の漏らぬ部屋に住み、ふかふかした蒲団に寝、三度三度鬼の牙みたいな白い飯を食っているのではない。傾いた陋屋(ろうおく)で茸と共に起き臥ししているのだ。考えることだって昔は考えなかったようなことを考え、感じ、行なっている。物差しを持って来て小説を作ることなら、私にでも楽に出来る。しかしそれでは仕方がないではないか。誰だって昔とは変って来ている。ただ自分が変って来たことを自覚するかしないかが問題だ。そして昔のものと、意識的に訣(わか)れようと思うか思わないかが。
私は私小説的精神と訣れよう。俳諧とも風流とも訣れよう。義理人情とも訣れよう。何物にも囚われることを止そう。そして何も持たない場所から始めて行こう。自分の眼で見た人間世界を、自分で造った借物でない様式で表現して行こう。
私は今まで誰をも師と仰がなかったし、誰の指導をも受けなかった。それは文学上のことだけでなく、生活の上でもそうだった。私は何ものの徒弟でもなかった。また私は徒党を組まなかった。曲りなりにもひとりで歩いて来た。今からも風に全身をさらして歩きつづける他はない。
私だけが歩ける道を、私はかえりみることなく今年は進んで行きたいと思う。私の部屋に生えた茸のように、培養土を持たずとも成長し得るような強靭な生活力をもって、私は今年は生きて行きたいと思う。