てんぷらウドン 梅崎春生
斜辺里文吾氏は江戸ッ子である。だからみずから言うごとく東京ふうによわい。
博多で「東京風そば」の看板が出ていたので矢も楯もたまらず飛び込んで、
「てんぷらそば――イチ」
と注文したところ出てきたのを見ると、そばの上にサツマ揚げが浮いている。斜辺里氏は憤然とする。
「なんだ。こいつあ」
「ヘエ。てんぷらですバイ」
「そばでてんぷらといやあなあ、こう、ぴんとひげのおったったエビが二匹、うこんの衣につつまれ、ぴったり、よりそって横になり、けつのほうだけ恥かしそうに赤くなりあがって、ちょっと出しているやつと、義士の討ち入りのその昔から決まっているもんだ」
「ははあ。そりやエビてんですバイ。これはマルてんで、ふつうてんぷらといえばこれですバイ」
ここのくだりを読みながら、わたしは中学生時代の自分を、先生の目をかくれて入ったウドン屋のてんぷらウドンの味をまざまざと思い出した。なるほど福岡でてんぷらウドンと言うとさつま揚げ入りのことである。
しかし他郷人にとっては、てんぷらを注文したのにさつま揚げが出てきては怒るのもむりはないだろう。あれはやはり福岡のほうで名前を変えるべきかもしれぬ。
しかしわたしはさつま揚げ入りウドンは大好きであった。いまでも郷愁を感じる。東京ではウドンやソバにさつま揚げを入れる習慣はない。なぜないかというと、わたしの推定では東京のさつま揚げはまずいからである。東京風の汁の濃いうどんに粗悪なさつま揚げを入れては、とても食えたものでない。
ソバは一歩ゆずるとして、東京のウドンの味は九州のそれにはるか劣る。カマボコ類もそうである。カマボコやさつま揚げがまずいということは東京の魚(カマボコの原料の)がまずいということである。小田原カマポコなどと威張ってはいるが、あれを西のほうに持ってくれば、せいぜい二流品か三流品であろう。
東京のてんぷらソバは、そりゃ一流どこに行けばうまいけれど、そこらのソバ屋で注文するとエビの身は小さく、衣ばかりがばかでかく、揚げかすを食っているのとそう変らない。それにエビの足を取ってないので中でがさがさして不愉快だ。
その点に行くと、福岡のてんぷらウドンはそこらの町角の店でも一応食わせる。平均点が福岡のほうがずっと高いのだ。
土地の食文化というのはその平均点のことじゃないか。一軒や二軒飛び抜けてうまい店があってあとはまずいのと、平均して一応うまいのとでは後者のほうにさっと軍配を上げるべきだろう。
もっとも福岡のてんぷらウドンを、うまいうまいとわたしがむさぼり食ったのはもう三十年近く前のことだから、いま食ってもうまいかどうかそれは保証できない。
[やぶちゃん注:「南風北風」連載第八回目の昭和三六(一九六一)年一月十一日附『西日本新聞』掲載分である。内容も前日分を受けて、斜辺里文吾氏が登場している。]