さつま揚げ 梅崎春生
飢えは最上のソースという諺(ことわざ)がある。空腹のとき、あるいは食い盛りのときは何を食べてもうまいものである。福岡のてんぷらウドンは、わたしにとってそんなものかもしれない。
さつま揚げを広辞苑で引くと、「すり身にした魚肉に食塩、ニンジンの細切りなどをまぜ適当な形にして油で揚げたもの」とある。簡単な食品であるが原料やつくり方によって味は大いに変ってくる。
いままで食べた中でいちばんうまかったさつま揚げのことを書こうと思う。
昭和七年から十一年までの四年間わたしは熊本の第五高等学校の生徒であった。四年いたのは一年落第して二年生を二度相勤めたからである。
熊本市の上通町に「三四郎」というおでん屋があった。淑石の三四郎から取った屋号で、おばあさん二人がやっていた。若い女なんか一人もいず色気抜きの剛毅ぼくとつな店で、酒は何だったかな、銘柄は忘れたけれど、割りにいい酒を飲ませた。そこのおでんのイガモガ(あるいはイガラモガラ)と称するさつま揚げは絶品であった。飲み盛り食い盛りのころだから、それを差し引いても絶品だったような気がする。
ここのはニンジンの細切りではなくゴボウの刻んだのが入っていた。すり身もしこしこしていたし、それにゴボウの歯ざわりが加わって何個食っても食い飽きなかった。わたしは先輩に連れられてこの店で酒を仕込まれたのである。そのイガモガを肴にして錫(すず)のコップで十杯ぐらい飲めるていどに腕を上げた。
あの錫のコップは五勺入るという話だったが、そうすれば五合ということになり、いい気持になって寮歌を歌いながら寮へ戻った。あのくらいの年ごろで五合ぐらい軽く飲んでいたのだから酒豪の部類に入るだろう。
そこであんまり飲み過ぎたものだから勉強のほうに力が入らなくなり、ついに平均点不足で落第した。落第の悲しさは落第した人でないとわからない。
落第ときまって、わたしは福岡の家に戻った。おふくろの前に手をついて、
「落第しました」
と頭を下げたが、おふくろは終始無言、じつとわたしをにらみつけているのでこちらもマがもてなくて、
「おわびのしるしに坊主になります」
と言ったらおふくろは、わたしを仏壇の前に連れて行きバリカンを振り出して、せっかく伸びていたわたしの長髪を無惨にもじょきじょきと刈り取ってしまった。
三月のことだからまだ寒い。刈り取られた襟元がひやりとつめたかったことを、その感触を、わたしはきのうのことのように思い出す。
戦後熊本に行ってみたら「オリンピック」や「フロイント」はあったけれども「三四郎」は姿を消していた。あのばあさんたちももうなくなったのだろうと思う。
[やぶちゃん注:「南風北風」連載第九回目の昭和三六(一九六一)年一月十二日附『西日本新聞』掲載分。新聞連載の勘所としてこれも前回分の福岡風「てんぷらウドン」を直接、枕として受けている。
「イガラモガラ」ネット上で大分方言として出、「とげとげしている様子」とあった。]