宗祇諸國物語 附やぶちゃん注 魔境の兵術
魔境兵術(まきやうのひやうじゆつ)
或時、志賀の山越にかゝり、此の里の八幡宮に詣で、辛崎のかたへ行く、爰に大津のかたより、廿年(はたとせ)計りの男、人あまたして、からめ來(きた)る。此の男、無二正體一(しやうたいなく)、たは言をいひさくる聲、かしがまし、後(しりへ)につきて、とふ。此の者、盜賊のたぐひか、將(はた)、主(しゆ)を背(そむ)きて落ち出でたるものか、いたくも搦(から)められけるよ、といへば、年頃の男の云く。此の者、平生(へいぜい)、兵法(ひやうはふ)を好みて手練(しゆれん)、よのつねに、こへたり。過ぎし八日の黃昏(たそがれ)、所用有りて坂本におもむくに、怪(あや)し僧一人有りて云く。汝、兵術(ひやうじゆつ)の望みなきや、と問ふ。思ひよらずの僧の仰せや、といへば、只、我が謂ひに任せ來れ。名師(めいし)に逢はせん、と、いづこに侍るや、と、とへば、こなたへ、と衣の袖にて覆(おほ)ふかと思へば、忽(たちま)ち空中に飛行(ひぎやう)する事、暫(しば)しして、ひとつの高山(かうざん)に至る。巖(いはほ)、我々(がが)として、澗水(かんすゐ)、音、遙か也。一村の杉の、欣々(きんきん)たるに座して、僧、云く、兵術の師、外になし。我れ、則ち師也。いざ、汝が好む所を傳へん。是を持ちて討つてこよ、と利(と)き刀(かたな)の氷のごとくなるを、あとふ。心得ず、怪しや、よのつね手習(てなら)ふ時は、木竹を以する事、しかなり。眞劍のけいこ、あやふし、と、いへば、されば、我れ、此の羽(は)をもつて、あひしらはん。汝は只、其の刄(やいば)もて千度百度(ちたびもゝたび)我をうつべし、其の危きを出でゝ安きに至る、是を深奥の秘術とす、と。双方立ちわかつて切りむすぶ事、暫し、いひしごとく、僧は一所の疵(きず)をも、うけず。度(たび)ごとに、男、打ちまけぬ。猶、兵術の奥旨、至らざる不審を問ふに。答への明かなる事、縱(たと)へば、塵(ぢん)ひらけし鏡(きやう)のごとく、數年の望み、こゝに足(た)んぬ。其の外、よのつねの外の神術、悉く學び得たり。然るに、此の者、家を出でゝ十餘日行方(ゆきがた)しれず、因ㇾ玆(これによつ)て近里隣郷(きんりりんがう)、人を催ふし、手をわかちて尋ね求む、爰に當國信樂(しがらき)のこなた、鴟川(とびかは)といふ所にて稀れに尋ね逢ふ。いかにや、汝は、と言葉をかくるに、心得たりと刀(かたな)をぬいて討ちかゝる、尋ぬる人、大勢なれば、何程の事かは、と棒を持ちて、真中(まんなか)におつ取籠めたるに、飛鳥のかけるごとく、神變(しんぺん)をふるひ、持つ所の棒、寸々に切り折りたり。衆人(しゆじん)、爲方(せんかた)なくて逃げ行くを、此の者、呼び歸して、今は是迄也、我が兵術のすぐれたる所を、各に見せん、とて、かくはしつ、穴賢(あなかしこ)、おそれ給ふな、とて太刀を投出(なげだ)しぬ。扨、此の程はいづこに在しや、と問ふに、唯今の通り、物がたりしぬ。言語(げんご)未だ終らざるに、狂乱して、あら苦し、大事をあからさまに人にかたるな、と師の坊のいひしを、有りのまゝにいひし故、爰に來て責めさいなむぞや、悲し、痛ましや、と叫ぶ。とかく、先づ、家に帰れ、と、いへば、思ひよらずや、己(おの)れらが尋ね來(こ)し故、此の浮目(うきめ)をみる。にくし、恨(うら)めし、とくるひ出で、縱橫(じうわう)にかけり侍るまゝ、取放(とりはな)さじ、とかくは、はからひ侍る、と、かたり捨て、足はやに過ぎ行きぬれば、終はる所を不ㇾ知(しらず)、思ふに、世にいふ、是、天狗といふものゝ業(わざ)なるべし。怪しき事の世には在りける物かな。佛界(ぶつかい)へは入りやすく、魔界(まかい)へは入りがたし、とこそ聞くに、いかなるものゝ魔境(まきやう)に住みて、斯(か)くはふるまひけん。
■やぶちゃん注
底本では最後の左端に「宗祇諸國物語卷之二終」とある。また、最初の方の「將(はた)、主(しゆ)を背(そむ)きて落ち出でたるものか」の箇所は底本では「背き 落ち出でたるものか」と活字が脱落している。「西村本小説全集 上巻」(昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊)によって「て」を補った。「心得たりと刀(かたな)をぬいて討ちかゝる」ここは底本は「心得たりと刀(かたな)をぬいで討ちかゝる」となっている。「ぬいで」(脱いで)で必ずしもおかしくないとは思うが、どうも気になる。「西村本小説全集 上巻」では「ぬいて」とあって気にならずに読めるので、ここは特異的に「ぬいて」(拔いて)と訂した。
・「志賀の山越」京の七口の一つである荒神口から近江に至る志賀越道(しがごえみち)は、街道の別称。御所から比叡山へ向かう際の最短の経路で、鴨川を徒渉、東岸を東やや北へ向かう。
・「此の里の八幡宮」「志賀越道」の滋賀側の終点である大津市滋賀里(しがさと)の八幡神社のことか。
・「辛崎」滋賀県大津市唐崎滋賀里の東北直近の琵琶湖南西岸。大津はそのさらに東北である。
・「一村」「ひとむら」。一叢(ひとむら)。
・「欣々たる」草木が如何にも生き生きとしているさま。
・「此の羽(は)」天狗ならば、直ちに、あの鳥の羽で作った羽団扇を想起するが、本当にそれでよいか? そのような定番アイテムは本文に描出されていないし、別にこの怪しい僧侶は必ずしも鼻が長いなどの天狗の形相を髣髴とさせてもいない。寧ろ、ここは直前で「衣の袖にて覆ふかと思へば」「空中に飛行する」のであってみれば、僧の着た羽衣のような上衣を「羽」と呼んでいると私は読みたい。真剣を団扇であしらうより、軽い袖であしらう方が遙かに絵になるではないか。
・「あひしらはん」「あひしらふ」は現在の「あしらう」の古形で「あへしらふ」とも同源。相手をしよう。
・「其の危きを出でゝ安きに至る」その絶体絶命の火急の危うい一瞬から、すらりと抜け出て、絶対安心の結界に至り在る。
・「奥旨」「あうし(おうし)」で「奥義」に同じい。
・「至らざる不審」その奥義にたどりつけずにいるのは何故かという自分の側の不審。
・「塵(ぢん)ひらけし鏡(きやう)のごとく」細かな塵までも総て拭い去られた鏡(かがみ)のように。
・「催ふし」歴史的仮名遣は正しくは「催(もよ)ほし」である。(人々を)集める。
・「信樂(しがらき)」焼き物で知られる滋賀県南東の山間部の盆地にある現在の甲賀(こうか)市信楽町(ちょう)。
・「鴟川(とびかは)」不詳。識者の御教授を乞う。
・「おつ取籠めたるに」「おつとりこめたるに」四方から棒で以って押し囲み籠めたところが。
・「飛鳥」「ひてう」。
・「かける」「翔ける」。
・「神變(しんぺん)」古くは「じんぺん」と濁った。人間の考えでは理解出来ない不思議な変化(へんげ)術。
「各」「おのおの」。
・「穴賢(あなかしこ)」ここは以下に禁止の終助詞「な」を伴った呼応の副詞で、「どうか決して」「ゆめゆめ」と訳す。
・「取放(とりはな)さじ、とかくは、はからひ侍る、と、かたり捨て」ちょっと判り難い。一応、探索に来て保護せんとする連中と、発狂した若者の掛け合いと読んでおく。即ち、
保護に来た者「見つけた以上はお前の好き勝手におっ放すわけにはいかんぞ!」
発狂した若者「どうして、このように私の意志に反して理不尽な取り扱いをされるのですかッツ?!」
と、言い捨てて――の謂いである。大方の御叱正を俟つ。
挿絵は国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングし、補正した。
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