人の師表 梅崎春生
この間人手がなくて、犬の散歩がおこたり勝ちになり、運動不足のやつれが目立ってきた。そこで夕方犬を放し、朝回収するという方法を取ったところ、ある晩私の留守中に、抗議の電話がかかってきた。お前んとこの犬が毎晩うちの庭で騒いで、やかましくて眠れぬ。放してはいけない規則になっているのに、どうして放犬するのか。名前をあかさない匿名(とくめい)の電話だ。
そこで家人は平あやまりにあやまって、以後つつしむ旨を約すると、大体お前さんのような家は、近所の模範となり、師表に立たねばならぬ家だ、以後注意しなさい、ということで電話が切れたそうだ。
帰来その報告を受け、私も恐縮したが、しかしちょっと不審に思った。犬を放したことは当方が重々悪いが、わが家が近所の模範にならねばならぬというのは、ちょっとおかしいのではないか。
これが学校の先生とか警察官とか裁判官とか、他人を教育したり悪人をつかまえたり裁いたりする人の家なら、近辺の模範となり師表にも立つべきだろうが(これにも異論がある)一介の小説書きにそれを要求するとは、どういう考え方なんだろう。ことに私なんかは、人の師表に立ちたくないし、立てるような人柄でもない。ずっと以前は、新聞記者だの文士だのは、やくざな職業の代表みたいに見られて、大家さんから家も貸してもらえなかった。今では師表に立たねばならぬ。文運隆盛か、衰退か。
[やぶちゃん注:本篇は昭和三三(一九五八)年一月十七日附『毎日新聞』掲載。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。
「師表」先んじる師として、人の手本・模範となること、或いはそういう人物。
「夕方犬を放し、朝回収するという方法を取った」私が小学二年生の昭和三九(一九六四)年頃、「エル」という雑種の雄の柴犬を飼っていたが、やはり、そうしていた。私の家は藤沢市と鎌倉市の市境にあるが、何時も家に牛乳を配達してくれていた人の話では、三キロほど離れた大船の町まで支配を広げ、野良犬を従えてはまず地域のボスとなり、川向うの野犬の群れをもコテンパンにやっつけて、遂には大船全域の夜の帝王の地位にまで登っていたらしい。家では人に嚙みついくこともなく、吠えもしない静かな犬だったのだが。その話を聴いた時、東京からの転校生として毎日のように学校でいじめられていた貧弱な私は、心の中で快哉を叫んでいたことを今、告白する。
「帰来」「きらい」通常は名詞であるが、ここは副詞で「返ったところで(~する)」の意。]