宗祇諸國物語 附やぶちゃん注 始めて聞く飯綱の法
始めて聞く飯綱(いづな)の法(はう)
宮古左目牛(さめうじ)に、舟や文治といふ富裕の者有り、萬(よろづ)、利根(りこん)に人をみくだす本姓なれば、惡むものおほかれど、彼れが有得(うとく)に媚びへつらひて、出入る族(やから)も亦多し。高倉楊梅(たかくらやまもゝ)に重次郎とかやいふ者、刀を磨ぎて世を渡る。日頃、文治か家に行來(ゆきゝ)けるほどに、いつしか兄弟の交りをなす。此の者、或夜の夢に、飯綱(いづな)の靈像(れいざう)、口より入り給ふと覺えてより、忽ち、幻術士(げんじゆつし)となる。我れながら、ふしぎに覺えけるのみにて、親類朋友にもかたらず、され共、いはぬ事の洩るゝならひ、ひとりふたり聞つけ、さまざま取沙汰しければ、今は包まず人の好みによりて慰めける程に、世人、是がふしぎの術(じゆつ)を稱美する、然れ共、文治は例(れい)の疑心(ぎしん)つよく、己(おの)れをたかぶりて、更に信用せず、ある時、重次に云ふ。其方は魔法(まはふ)を得たりと聞く、いか計りのふしぎをかなす。答ふ。幻術さまざまなる内、勝(すぐ)れて過不及(かふきふ)なるをいはゞ、芥子(けし)の中に須彌(しゆみ)を隱し、蒼海(さうかい)を掌(たなごゝろ)に顯(あらは)し、大船を往來(ゆきゝ)させ、灯心を以て盤石を釣り、焰(ほのほ)の中に魚を踊らせ、其の外、夏の雪、冬の螢、春の紅葉(もみぢ)、秋の梅、好みに應じ見すべし、と云ふ。文治、氣早(きはや)き男なれば、彼(か)れ、昨日今日迄、何のあやめも知らぬものゝ、左計り、神通を得べき樣(やう)なし、詮ずる所、斯樣の亂氣者、長命(ながいき)させて恥(はぢ)かましき目を見せんより、我が手にかけて失はんは、此の者が爲め、情(なさけ)なるべし、と、術者に云く。わどのがいふ所、我れ、更に信用する事なし、螢雪梅楓(けいせつばいふう)の外をもとめて益なし。手近き證據を見んには、某、此の匕首(ひしゆ)を持て切付けんに、隱れ遁(のが)るべきや、と、重次、聞きて打笑ひ、愚かのいひ事や、汝が手に及ばゞ、討ちてみよ、と、いふ。討ちおほせたらん跡にて、我が誤ちとならん、支證(ししやう)の一筆、をせよ、と、いへば、又、笑つて、千にひとつもうたれんにこそ支證も入るべけれ、と、あざける。文治、こらへで、言下(ごんか)に引きぬいて切付けたり。正(まさ)しく目の前に座したるが、忽ち、後に立ちて、予は爰に侍り、と、いふに、ふりかへし、後ろを討てば、又、右の座に立ちたり、心得たり、と切付くれば、天井に、ひし、と、とりつきたるさま、ひとへに蜘蛛(ちちう)のごとく、きつさきにて、空(そら)さまを突けば、いや、爰に、とて、疊に臥す、此時より、おなじ形(かたち)のもの、五人、四方に立ち竝びたり、今は爲方(せんかた)なく、草臥れ、さりとも、ふしぎの所爲(わざ)を覺えたり。今は、さみする事なし、と、いふに、いで、さらば、浴室(よくしつ)に入れて、今の疲れを休め申さん、と、いふとひとしく、障子の間より、あつからず、ぬるからぬ湯、蕩々と湧出(わきい)でゝ、座したる首だけにみつる時、又、もとの道より流れ去りて、いづちへ行きけむ、不ㇾ知。此の後、まゝ術を行ひける事、怪しくも、ふしぎの事のみ多かりし、此ののち、都を出でゝ、我れは修行の身となりしかば、彼ものゝ終(をは)る所をしらず。
■やぶちゃん注
今回も挿絵は「西村本小説全集 上巻」のそれを用いた。
・「飯綱(いづな)の法(はう)」管狐(くだぎつね。或いは「イヅナ」「エヅナ」とも呼んだ。後述)と呼ばれる霊的小動物を使役して、託宣や占い、呪(のろ)いなど、さまざまな法術を行った民間の呪術者である「飯綱使い」の法術。飯綱使いの多くは修験系の男であった。「管狐」ウィキの「管狐」より引く。『日本の伝承上における憑き物の一種である。長野県をはじめとする中部地方に伝わっており、東海地方、関東地方南部、東北地方などの一部にも伝承がある』。『関東では千葉県や神奈川県を除いて管狐の伝承は無いが、これは関東がオサキ』(「オサキギツネ」とも呼ぶごく典型的な狐の憑き物。「尾先」「尾裂」「御先狐」「尾崎狐」とも表記呼称する)『の勢力圏だからといわれる』。『名前の通りに竹筒の中に入ってしまうほどの大きさ』、或いは、『マッチ箱くらいの大きさで』七十五匹に『増える動物などと、様々な伝承がある』。この「管狐」自体を『別名、飯綱(いづな)、飯縄権現とも言い、新潟、中部地方、東北地方の霊能者や信州の飯綱使い(いづなつかい)などが持っていて、通力を具え、占術などに使用される。飯綱使いは、飯綱を操作して、予言など善なる宗教活動を行うのと同時に、依頼者の憎むべき人間に飯綱を飛ばして憑け、病気にさせるなどの悪なる活動をすると信じられている』。「管狐」の呼称通り、『狐憑きの一種として語られることもあり、地方によって管狐を有するとされる家は「くだもち」』・「クダ屋」「クダ使い」「くだしょう」と『呼ばれて忌み嫌われた。管狐は個人ではなく』、『家に憑くものとの伝承が多いが、オサキなどは家の主人が意図しなくても勝手に行動するのに対し、管狐の場合は主人の「使う」という意図のもとに管狐が行動することが特徴と考えられている』。『管狐は主人の意思に応じて他家から品物を調達するため、管狐を飼う家は次第に裕福になるといわれるが』、『初めのうちは家が裕福になるものの、管狐は』七十五匹にも『増えるので、やがては食いつぶされて家が衰えるともいわれている』とある。
・「左目牛(さめうじ)」左女牛小路(さめうしこうじ)。サイト「花の都」の「左女牛小路」によれば、現在の通称、上ノ口通(かみのくちどおり)・花屋町通(はなやちょうどおり)・旧花屋町通(きゅうはなやちょうどおり)に相当するとある。名の由来は『六条若宮の邸内にあった「左女牛井(さめがい)」という名水に由来するという』とある。因みにこの六条若宮邸は西洞院大路との交差点の北東角とあり、ここで単に「左目牛」と呼んで位置を示す以上は、由来の地に近いと考えてよく、この「舟や文治」なる男は「舟や」であることからも同小路の東寄り、鴨川の六条河原直近であったと考えてよかろう。位置は同サイトのこちらが分かり易い。同小路が左京(右側)の南端東西の九条大路から北へ十二番目のところに示されてある。このサイト、凄い!
・「利根(りこん)」口が達者で小賢しいこと。
・「惡む」「にくむ」。
・「有得(うとく)」特に室町時代以降、「有福・金持」の意で用いられるようになった語である。
・「高倉楊梅(たかくらやまもゝ)」先のサイト「花の都」によれば、高倉小路(現在の「高倉通」)と楊梅小路(現在の「楊梅通(ようばいどおり)」と「中堂寺通(ちゅうどうじどおり)」)の交差附近の謂いである。前に示した同サイトの地図で確認されたい。高倉小路は左京の東端南北の東京京極大路から西に四番目、楊梅小路は南端東西の九条大路から十四番目。旧六条院の東南角、旧河原院の西近くに当たり、先の左女牛小路とは、間に六条大路を挟むだけで、ごく直近であることも判る。
・「過不及(くわふきふ)」度が過ぎることと及ばないことで、まず「適度でないこと・過不足」の意であるが、そこから転じて、「過不足がない適度な状態であること・丁度良い」の意となり、ここは後者で、この場ですぐに見せ得る術の中で最適なもの、の意。
・「芥子(けし)」小さなケシの実。
・「須彌(しゆみ)」本来は「須彌山(しゆみせん(しゅみせん))」で、仏教の宇宙観に於いてこの世界の中央に聳える山の固有名詞であるが。ここは単に峨々たる高山の意の一般名詞である。
・「盤石」「ばんじやく(ばんじゃく)」と読んでおく。巨大で重い岩の塊。
・「何のあやめも知ぬものゝ」「あやめ」は「文目」で物事の道理・筋道の意。刀研ぎという下賤な分際で何の道理も弁えぬ愚か者が。
・「亂氣者」乱心者。狂人。
・「某」「それがし」。
・「匕首(ひしゆ)」あいくち。鍔の無い短刀。しかし、挿絵のそれは鍔があってしっかり長い太刀であるのは御愛嬌。ドスでは描いても今一つ、さまにならぬ。
・「支證(ししやう)」明白な証拠。具体には、それ(術の実験であって殺意を以って彼を切り殺したのではないことを証明する証文のこと。
・「障子の間(ま)」障子の間(あいだ)の意。
・「我れ」仮託された主人公宗祇の一人称。