宗祇諸國物語 附やぶちゃん注 當話、雨より速し
當話(とうわ)雨より速し
文月(ふづき)末、但州(たんしう)二見の浦を見にまかりけり。伊勢におなじ名所有り、過ぎこし春は勢州の其の浦を見しに、秋の今は引きかへて、又、此の國の爰に辿る。能因の、都の霞(かすみ)白川の秋かせとよみしに、はやう替りけり、と俳諧(ざれうた)して過ぐ、
花をひがし月かげ西に二見かな
夜ならで白晝に月の發句、人にきけて笑はるべく、我ながら、我、はづかし、よき人の歌をあぢはふこそいくたびも珍しき物にはありけれ。兼輔の、
夕月夜おぼつかなきを玉くしげ
ふたみの浦は明けてこそみめ
とよめるを吟じもて行くに、村雨(むらさめ)しきりなれば、人家求めんと急ぎたどる、爰に一樹の松の下(もと)に、雨やどりする小僧あり。笠松(かさまつ)をかさに着て、雨を凌ぎ給ふよ、と、いひ捨(す)て過ぐる。小僧、言下(ごんか)に、初祖(しよそ)、既に蘆(あし)の葉を履(あしだ)にはきて、水を渡りし、と答へき、利口なる辯舌、生ひさきおもひしられて、いづこの人ぞとはまほしく思へど、雨の足の冷まじきに心ならずにげきぬ
■やぶちゃん注
今回も挿絵は「西村本小説全集 上巻」(昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊)のそれを用いた。
・「文月」旧暦七月。
・「但州(たんしう)二見の浦」歌枕。現在の兵庫県城崎(きのさき)郡城崎町の城崎温泉の近く円山川のあたりとする説の外、瀬戸内海側の同兵庫県明石市二見町辺りとする説がある。
・「能因の、都の霞(かすみ)白川の秋かせとよみし」「後拾遺和歌集」の「卷第九 羈旅」に載る、能因法師の知られた一首(五百十八番歌)、
陸奥國にまかり下りけるに、
白川の關にてよみ侍りける
都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の關
を指す。後の「はやう替りけり」は或いは本歌の逸話として人口に膾炙する、行きもしない奥州の白川の関を能因法師はかくも見たように詠んだというのを踏まえ、現実の季節の移ろいはかくも無常に「速し」、としみじみと感じた、と幾分か皮肉を込めて添えたものかも知れぬ。
・「兼輔の」「夕月夜おぼつかなきを玉くしげふたみの浦は明けてこそみめ」は「古今和歌集」の「第九 羈旅歌」の藤原兼輔の一首(四百十七番歌)、
但馬國の湯へまかりける時に、
ふたみのうらといふ所にとま
りて、夕さりのかれいひたう
べけるに、ともにありける人
人のうたよみけるついでによ
める
夕づくよおぼつかなきを玉くしげふたみのうらはあけてこそ見め
である。
・「小僧」若き僧侶。
・「笠松」枝が四方に広がっていて笠のように見える松。
・「初祖、既に蘆の葉を履(あしだ)にはきて、水を渡りし、と答へき」この若き行脚僧は禅僧であったのであろう、これは達磨大師に纏わる「一葦渡江(いちゐとかう(いちいとこう)」に基づく謂いであるからである。達磨が行脚の途次、ごく小さなる舟に乗って大河楊子江を渡ったとする故事である。後世、「一葦」(あくまで「一葉(いちよう)、小さな小舟の意)を実際の「一枚の葦(あし)の葉」として、超能力然なる伝説に変じたのは誤りとされる。
・「冷まじき」「すさまじき」。
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