チャンバラ 梅崎春生
マメ本とともに禁じられたのはチャンバラ遊びである。このチャンバラもマメ本と同じく、やったからといってさしたる実害のあるものではない。そのときどきのヒロイズムを満足させるだけの話で、少年のヒロイズムをむりに抑圧すると、かえって妙な方向にそれるのじゃないかと思う。
いまのこどもたちを見ているとチャンバラもやっているようだが、西部劇ごっこのほうが多いようだ。物かげにかくれて、ピストルの形をした木片を手にしてばんばんなどと口々に叫んでいる。撃たれ役にもうまいのがいて、ぱんと撃たれるとぽろりと木片を取り落し、真に迫ったかっこうでどさりと地面に倒れる。
わたしがこどものときにも、斬(き)られ役のうまいのがいた。そいつは進んで斬り殺されてばかりいた。
いまのこどものチャンバラや西部劇ごっこは、おおむねその範をテレビから取っている。わたしたちのは映画からだった。当時は映画と言わず、活動写真または略して活動と呼んだ。
まだトーキーはできていなかったから無声映画であり、弁士がついていた。だからわれわれのチャンバラ遊びのとき口走るのは、これことごとく弁士の口まねなのである。
「東山三十六峰しずかに眠るうしみつどき、突如としておこる剣戟のひびき」
「寄らばきるぞ」
佐賀地方でスクリーンに近藤勇が出てくると、
「寄んさんな。寄んさんな。寄るぎい虎徹で斬るばんた」
と弁士がしゃべるというのはこれはうそだろう。だれかの創作だろう。
いま思うと、チャンバラ遊びそのものが悪いのではなく、弁士の口まねが教育上悪いと認定されて禁止ということになったのかもしれない。
こどもというものは大人のまねをしたがるもので、幼児のままごとも大人の生活のまねである。まねすることでこどもは知恵がつき、大人になっていくのだ。
チャンバラ禁止といっても、それは学校内でやっていけないという意味であった。卒業式の日、式がすんだら学校内でチャンバラでも何でもやってよろしい、というおふれが出た。
だからチャンバラ好きは、大よろこびをして卒業証書を教室に置き、校庭で盛大にチャンバラをやった。わたしはあまりチャンバラ遊びは好きでなかったので、見学する側に廻った。
名前は忘れたが、ある老先生がそれを見ながら、
「ほう。うまいもんだ。なかなかやるもんじゃのう」
と感嘆せられた声を、わたしはいまでもはっきり覚えている。
[やぶちゃん注:「南風北風」連載第四十八回目の昭和三六(一九六一)年二月二十日附『西日本新聞』掲載分。家庭の禁制の「豆本」から学校の禁制の「チャンバラ」へ。
「東山三十六峰しずかに眠るうしみつどき、突如としておこる剣戟のひびき」この大元は、阪東妻三郎プロダクション製作で松竹キネマ配給の大正一五(一九二六)二月公開(まさしくこの年に梅崎春生は簀子小学校を卒業している)の無声映画(監督/原作/脚本・志波西果)「尊王」(主演尊皇派と思しい主役竜造寺俊作は無論のこと阪妻(弟隼人との一人二役)で、新撰組絡みの活劇)の一世を風靡した名口上、
――時(とき)、恰(あたか)も幕末の頃、絃歌(げんか)さんざめく京洛(けいらく)の夜は更けて、下弦の月の光靑く、東山三十六峰靜かに眠る深き夜の、静寂を破つて突如起る劍戟の響き――
のようである。この台詞を探索検証した(五回分ある)「京都クルーズ・ブログ」の「東山三十六峰、草木も眠る丑三つ時(4)」によれば、これが後に「月形半平太・風雲三条河原」(講談か活弁かは不明)などに流用されて変化したものが、
――東山三十六峰、靜かに眠る丑三つ時、突如夜の靜寂を破る劍戟の響き――
となり、それが今知られる形となったのではないか、と推理されておられるようである。検証綿密で、且つ、大変面白い。是非、お読みになられんことをお薦めする。]
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