宗祇諸國物語 附やぶちゃん注 化女 苦し 朧夜の雪
化女(けじよ)苦(すご)し朧夜(おぼろよ)の雪
きくならく、越路(こしぢ)は年ごとの雪、深く、去年(こぞ)の名殘の村消(むらぎえ)より、ことしの雪降つゞくとかや。其の國の人は馴れこし身のならはしに、物うくも思はざらん、我は南紀の陽國(やうこく)にそだち、花洛(くわらく)の中央にありし程だに、故郷に增(まさ)りつめたかりし、越後にむつまじくいふ人の來よ、と物する、老苦さへあるに、と暫(しば)しまからず侍るを、さりとて、風厭(いと)ふ計りのしつらひは心安かんものを、無下(むげ)に憶病(おくびやう)の人哉(かな)、と物せられ、行きて二とせを送りにけり。初めのとしの雪、わきておびたゞしく、所の人も近き年に稀れなり、と、いひき。長月の末、蝶の羽うつ計り、大ひらに降りそめてより、神無月(かんなづき)の最中(もなか)は野路(のぢ)の草葉ひとつも見ゆるなく、山邊の木立(こだち)も七尺計りより下はふりうづみぬ。今さへかゝれば、極寒の末いか計り、と思ひやれど、はや、往來(ゆきき)の道たえて、袖打はらふ陰(かげ)もなしといひし人の、又、其かげさへなければ、京にも得歸らざりけり。霜月の始めは、民家、悉く、埋れて、屋の棟(むね)より出入するほど也。されど、祇は人の情(なさけ)にたすけられ、身に衣服を取重ね、口に羹(あつもの)を飽(あ)く、此の年、漸うくれて、陸月(むつき)も寒く、二月(きさらぎ)もさえかへれど、誠は冬のやうにもなし。南面は稍(やゝ)きえにけり。ある曉、便事(べんじ)のため、枕にちかきやり戸押しあけ、東の方を見出でたれば、一たん計りむかふの竹藪の北の端(はし)に、怪しの女、ひとり、たてり。せいの高さ一丈もやあらん。かほより肌、すきとほる計り、白きに、しろきひとへの物を着たり。其の絹、未だ此國にみなれず、こまかにつやゝか也。糸筋(いとすぢ)、かくやくとあたりを照し、身を明らかに見す。容貌のたんごんなるさま、王母(わうぼ)が桃林(たうりん)にま見え。かくや姫の竹にあそびけん、かくやあらん。面色(めんしよく)によつて年のほどをうかゞはゞ、二十歳(はたとせ)にたらじ、と見ゆるに、髮の眞白(ましろ)に、四手(しで)を切りかけたるやうなるぞ、異(こと)やうなる、いかなるものぞ、名をとはん、とちかづき寄れば、彼(か)の女、靜かに薗生(そのふ)に步(あゆ)む。いかにする事にや、見屆けて、と思ふほどに、姿は消えてなく成りぬ。餘光(よくわう)、暫し、あたりを照して、又、くらく成りし、此の後、終(つひ)に見えず。明けて、此の事を人に語りければ、夫は、雪の精靈、俗に雪女といふものなるべし。かかる大雪の年は稀れに現はるといひ傳へ侍れど、當時(たうじ)、目(ま)のあたり見たる人もなし。ふしぎの事に逢ひ給ふかな、と、いはれし、予、不審をなす。誠(まこと)、雪の精ならば、深雪(しんせつ)の時こそ出づべけれ、なかば消失(きえう)せて春におよびて出づる事、雪女ともいふへからず、と、いへば答へて、去る事なれど、ちらんとて花うるはしく咲き、おちんとて紅葉(こうえふ)する、燈(ともしび)のきえんとき、光り、いや、ますがごとし、と、いはれし、左もあらんか。
■やぶちゃん注
恐らく「宗祇諸國物語」の中でもよく知られた一篇であり、いろいろなところで、学術研究者を含め、この一篇をかの小泉八雲の「怪談」の名品「雪女」の原典とし、鬼の首を獲った如くに賞揚すること頻りなのであるが、どこがどう原典なのか、どこをどうインスパイアしたら、あの名品に書き換えることが出来るのか、私にはさっぱり分らない。これは小泉八雲の「雪女」の原典(素材の一つとして参考にしたとしても)ではあり得ない。但し、この話柄は話柄として、私は雪女を語る一話として嫌いではないと言い添えておく。なお、終りの方の「予、不審をなす。」の箇所は底本では「予れ不審をなす。」となっているが、これでは読めない。「西村本小説全集 上巻」(昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊)は「予(よ)不審(ふしん)をなす。」となっており、自然に読める。特異的に訂した。今回も挿絵は「西村本小説全集 上巻」のそれを用いたが、今回は、雪女イメージを押し出すため、図の枠部分を恣意的に除去し、汚れも可能な限り、除去して白くした。
・「村消(むらぎえ)」「斑消(むらぎ)え」という名詞で、雪などが斑(まだ)らに消え残ることを指す。従って、昨年の斑らとはいえ、残雪が消えぬうちに、翌年、雪が降り出すというのである。
・「風厭(いと)ふ計りのしつらひは心安かんものを」寒風を嫌がるぐらいのことは承知の上、そのための防寒の備えについては心配せずともちゃんとしておるのに。
・「長月」旧暦九月。
・「大ひらに」非常に大きな平たい切片になって。
・「神無月」旧暦十月。
・「七尺」二メートル十二センチメートル。
・「袖打はらふ陰(かげ)もなしといひし人の、又、其かげさへなければ」「袖打はらふ陰(かげ)もなし」は言わずもがな、「新古今和歌集」「卷第六」の「冬歌」の藤原定家(六七一番歌)、
百首歌奉りし時
駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮れ
である(「佐野」は大和国のどこかの渡し場で歌枕とされる)。この歌では馬を留めている主人公の姿だけは吟詠の映像の中にいるわけだが、その一人の人影(「人の形」の謂いで、これが怪異の伏線になっている)さえも、七尺も積もってしまった雪だらけの景色の中には全く見出せないというのである。
・「得歸らざりけり」「得」は呼応の副詞の「え」に当て字したもので、帰京しようと思うのに帰京それが全く以って出来なくなってしまった、の謂い。
・「霜月」旧暦十一月。
・「埋れて」「うもれて」。
・「羹(あつもの)」元は「熱物(あつもの」で、ここは野菜を煮込んだ熱い吸い物。
・「漸う」「やうやう」。
・「陸月(むつき)」ママ。「睦月」で旧暦一月。
・「さえかへれど」厳しく冷え込みはするが。暦上では春になっているけれど、寒さがぶり返しはする、しかし。
・「便事(べんじ)」厠へ行くこと。
・「一たん」十二メートル五十センチメートル。
・「一丈」約三メートル。
・「かほより肌」顔より顎や首、胸の合わせの間の露出している肌部分。
・「かくやく」既出既注。「赫奕」で、光り輝くさま。
・「たんごん」既出既注。「端嚴」で、きちんと整っていて威厳のあるさま。
・「王母(わうぼ)が桃林(たうりん)にま見え」不老長寿の妙薬たる桃の生い茂った仙境の林の中で絶世の美神西王母を拝謁し。
・「四手(しで)を切りかけたるやうなるぞ、異(こと)やうなる」「四手」は当て字で「垂(しで)が正しい。これは動詞「垂(し)づ」(物を垂らす・垂らし下げる)の連用形が名詞化したもので、神道で玉串(たまぐし)や注連縄(しめなわ)などに下げる紙のことを言う。ここは――その女の真っ白な髪が、梳かれたり、削ぎ揃えられるた感じが一切なく、垂(しで)の如くに奇妙なリズムで独特の感じに切ったように長く垂れているのが、如何にも異様な感じがした――というのである。
・「薗生(そのふ)」庭、或いは、菜園。