宗祇諸國物語 附やぶちゃん注 富貴、上の慈に寄る
富貴寄二上慈一(ふつきかみのじによる)
和州よしの山は花の名所にて、舊跡も他の國にすぐれ、代々によみける秀歌、數ふるに絶へたり。日をかさねて、靈佛舊社(れいぶつきうしや)尋ねめぐる、爰に下市(しもいち)といふ所あり、月次(つきなみ)の市日(いちび)定まつて、近國より、衣服、器財、食物(しよくもつ)其の外、種々(しゆじゆ)の珍貨(ちんか)賣買をなすに、一つとして缺(かけ)ず、つどひ集まる事、京都、難波(なには)にひとしく、繁昌、いふ計りなし。此の里に、勝れたる富裕の者あり。眈々(たんたん)たる軒甍(のきいらか)をならべ、高々(かうかう)としたる梁(うつばり)、屋(をく)を潤す。名を鼠(そ)十郎と呼ぶ。彼(か)れが富める來由(らいゆ)をとふに、里人の云く。此の家に三面の大黒天あり、昔し、傳教大師、比叡山開基の時、福神(ふくじん)に祈誓(きせい)し給ふ事有り、我れ此の山をひらきて佛法流布(るふ)、王法(わうはふ)長久の祈願、相比(ひ)し、三千の衆徒(しゆうと)を住せん、と誓ふ。衣食住ともに乏しくて、不ㇾ可ㇾ叶(かなふべからず)。天神地祇、此の願ひを助力し給はゞ、ひとつの瑞を見せしめ給へ、と丹誠をぬきんて給ふ。時に三面(めん)の福神、忽然と出現する、所謂、大黑天、毘沙門、辨才天、合體(がつたい)の一像也。大師よろこび給ひ、此の尊像をうつしとめんと、即時、三體、同じ形像(ぎやうざう)にきざみ給ふ。いかにしてか、此の一體、鼠十郎が家に守り奉る。去る故、此の尊のけんぞくに比して、自が名に鼠(そ)の字を用ゆ、正直にさへ、又、信心堅固の男なりし。常に朝とく起きる事をこのむ、或夏の夜の明けがた、まだ、ほのぐらきに、例のごとく起出で、門をひらき、自ら、水うち、さうぎのほこり拂ひなどして、凉(すゞ)み居(ゐ)るに、見馴ぬ男一人來り。こも包(つゝみ)ひとつ、場(には)へ投げ入れ、遽(あわたゞ)しく逃げ歸る。怪しや、と見る所に、二町も行きぬらん、と思ふ跡より、男、數十人計り、弓、箙(やなぐひ)、鉾(ほこ)、利劔(りけん)を引提げ、北へや行きし、南へや歸りたる、と罵つて、方々へ、わかれ散る。心得ぬ事かな、と、みるに、まだ明けはなれぬ霧の間に見失なひぬ。終日(ひねもす)待てども問ひ來(く)るものなし。包(つゝみ)ながら目代の何がしに訴へたり。其のこも包をひらきたるや、と、卒爾(そつじ)の事に侍れば、包みたるまゝに侍る、と、いふ。何にてかあらん、推量しけるや。金鐵(きんてつ)のわかちは存じ侍らず、慥か、銀の類と見え候、と申す。目代、聞給ひて、それ、解きてみよ、と、是をとくに、黃金の灰吹(はひふき)といふ物、七升(ます)あり。是は、何さま、子細在るべし、と、暫らく目代に預かり置き、盜まれたる主(ぬし)やある、と、三年の程、藏に納めて待つに、近國にも他國にも、とられたる者なし。或夜、目代、怪しき夢を見る、縱(たとへ)ば、三人の異相(いさう)あり。一人は色くろく、耳、大きに、顏(かんばせ)、笑(ゑ)めり。一人は眼、大きに、怖(おそろし)く、いかれる男、今一人は容色(ようしよく)たんごんの女。何れも胴體は定かにみえず、此の三人、詞をおなじうして、いふ。鼠(そ)十郎、年來、我れを信ずる事、僞りなきによつて、七福をけんぞくに持せ遣はす。邪神(じやしん)の禍ひをはらはん爲めに、同じく、けんぞくに兵具(ひやうぐ)を持せ、道を守らせ侍り。正直の餘り、是を汝に訴ふ。更に賊(ぬすびと)の所爲(しよゐ)にあらず。速に渡すべし、と宣ふ下に、夢、覺めたり。驚きて、鼠十郎を召出し、汝、常に信ずる所の神ありや、と、則り、三面の福神を持參し、日比月ごろの信仰を、又、述ぶる、目代、是を拜するに、夢に見し異相(いさう)、少しもたがふ事なし。鼠十郎が信仰に誠ある事を感じ、右の金をかへしあたふ。是よりこそ、かく富み榮えの家となつて、双ぶべきかたもなし、と語る、誠に現當過去(げんたうかこ)の願ひ、ともに至誠心ならば、何ぞ、佛神に、又、納受(なふじゆ)なからん。おもふに、世人、只、正直を忘れ、貪欲の心より逆(さかし)まに祈りて、願ひみちざる時は、佛を恨み、神をさみするによつて、かへつて罰をそふる、つゝしむべく、心を付くべし。
■やぶちゃん注
・「下市」現在の奈良県南部の吉野郡下市町(しもいちちょう)。ここに出るように、古く平安の頃より吉野の入り口として栄えて市が立つようになり、日本で最初に商業手形である下市札(しもいちさつ)が発行されており、吉野地方の主要商業地として栄えた。主な地場産業は吉野杉を素材とした杉箸・三宝・神具の生産である。
・「珍貨」珍しい物品・財宝となるような珍奇な品。
・「眈々(たんたん)たる」「西村本小説全集 上巻」(昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊)でもこうなっているが、これは「湛々たる」の誤りであろう(「虎視耽々」で判るように「耽々」には「鋭い目つきで獲物を狙うさま」以外の意味はないからである)。「湛々」には水や露などを多くとどめているの謂いの外に、「重厚なさま」の意があるからである。
・「潤す」利益・恩沢・恵みを与えて豊かにさせる、の意。
・「相比(ひ)し」擬(なぞら)える。等しく合わせる。「相」は対象があることを示す接頭辞。
・「自が名に鼠(そ)の字を用ゆ」「西村本小説全集 上巻」では「鼠」には右の「そ」のルビ、左に「ねづみ」のルビを打つ。
・「さうぎ」「無数・多くあること」の意の仏語「僧祇」か。但し、その場合の歴史的仮名遣は「そうぎ」である。
・「二町」約二百十八メートル。
・「卒爾(そつじ)の事」予期していない突然のこと。俄かなる出来事。
・「目代」室町時代以降のそれは広く代官の意に用いられた。
・「わかち」判別能力。
・「灰吹(はひふき)」煙草盆に付属した筒で灰や吸い殻などを落とし込むもの。通常は竹製であるが、ここは銀製ということになる。
・「たんごん」「端嚴」で「たんげん」とも読み、きちんと整っていて威厳のあるさま。
・「けんぞくに持せ遣はす。邪神(じやしん)の禍ひをはらはん爲めに、同じく、けんぞくに兵具(ひやうぐ)を持せ、道を守らせ侍り」ということは先の場庭(鼠十郎の家の前)に包を投げた者が使者である眷属であり、「跡より、男、數十人計り、弓、箙(やなぐひ)、鉾(ほこ)、利劔(りけん)を引提げ、北へや行きし、南へや歸りたる、と罵つて、方々へ、わかれ散る」というのが、その護衛のための複数の眷属であったことになる。持ち来った男の行動や、後続の男たちの台詞が如何にも不審ではあるが、これは寧ろ、霊意であることを隠してそれを鼠十郎に与えるための一連の現実に見せるところの演技であったということになろう。
・「速に」「すみやかに」。
・「日比月ごろの」「ひごろつきごろの」。永年不断の。
・「金」「かね」。灰吹きが銀製であることから、かく言った。
・「現當過去(げんたうかこ)」「現當」はこの世とあの世で「現世」と「来世」であり、「過去」は過去世で、「前世」の意となって三世を指す。
・「納受(なふじゆ)」仏語で、神仏が人の願いを聞き入れることの意。この「なからん」は言わずもがな、反語である。
・「貪欲」ここは仏語十悪の一つである強い欲望を持つことで、「とんよく」と訓じたい。
・「さみする」既注であるが、再掲する。「褊(さみ)す」などと書き、サ行変格活用動詞で、「侮る・軽んじる」の意。