押し売り 梅崎春生
私の家は東京の練馬区で、新開地のせいか、ずいぶん押し売りのたぐいが多かった。一昨年あたりまでは、平均二日に一度ぐらいはやって来て、家人を悩ました。それが昨年あたりからしだいに減り始めて、今年になってはほとんどやって来ない。
来なけりや来ないで、淋しいものである。実は私は押し売りだのにせ電球売りだのをかまうのが大好きで、そんなのが来ると仕事を中止して物かげに身をひそめ、家人に応対させて、さて最高潮に達した時、ぬっと姿をあらわす。私は五尺七寸、今は着ぶくれをしているから、結構強そうに見える。たいていの押し売りはぎょっとして、態度が軟化し、こそこそと退散してしまう。弱きをたすけ強きをくじく、という感じがして、いい気分のものである。ほどよきレクリエイションとなり、仕事の進みも早いようだ。
でも、なぜ近頃押し売り類が少なくなったか。考えてみると、減り始めた時期は、人手不足、求人難の時期と大体重なっているようである。つまり押し売り人口が、人手不足の方に吸収されて、そこで減ったものと考えられる。何も押し売りみたいな、人に厭がられる、また危険率の多い仕事に従事せずとも、収入のいい正業がいくらでもあるのだから、転向するのも当然である。まあ喜ばしい傾向だと言えるだろう。
ここに哀れをとどめたのは(かどうかは知らないが)元締めで、今まで手下を使って押し売りをさせ、そのかすりで生活していたのに、手下の志望者がぱったりとなくなってしまった。元締めとしてはめしの食い上げである。という風に、つれづれなるままに想像して、その哀れで間の抜けた元締めを主人公にして、小説に仕立ててやろうと、この間から私は計画している。うまく行くかどうか。一昨日、久しぶりに押し売りがやって来た。ゴム紐でなく、箒(ほうき)売りである。例によって家人に応対させ、私はかくれていたら、女一人とあなどったのか、だんだん言葉がぞんざいになる。初め一本五百円だと言っていたが、しだいに値下げし始めた。四百円から三百円、ついには五十円になった。それでも家人が買おうと言わないので、彼は業を煮やして、言葉も荒く、「三十円。三十円でどうだ。それでも買わねえと言うのか。それじゃ十五円!」いくらいんちき品でも、一応の座敷箒である。十五円で売れる筈がない。いんねんをつける気なのである。そこで私がぬっと姿をあらわした。
「十五円か。よし。買おうじゃねえか」
と私が言ったら、箒売りは急にしどろもどろとなり、幸か不幸かその時郵便屋さんが書留を持って玄関に入って来たので、あたふたと逃げて行ってしまった。私は十五円で箒を買いそこねた。
案外あんなのが昔の元締めで、手下に去られて、個人営業(何だかタクシーみたいだ)に踏み切ったんじゃないかと、私は想像している。
[やぶちゃん注:昭和三七(一九六二)年五月号『婦人生活』初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。傍点「ヽ」は太字に代えた。
「五尺七寸」約一メートル七十三センチ。
「かすり」とは「掠り」「擦り」などと書き、上前(うわまえ:江戸時代に神領などで諸国の年貢米を通す際に取った通行税「上米(うわまい)」からの転。代金・賃金の一部から仲介者が搾取する手数料)をはねること、口銭(くちせん/こうせん:手数料・仲介料)を取ること、その「もうけ」の謂いである。]
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