人間の生命は地球より重い 梅崎春生
ちかごろいろんな事故があちこちで起り、そのたびに人が死ぬ。踏切事故。ダンプカー。火事の逃げ遅れ。それから相つぐ炭鉱の事故。九州はわたしの故郷なので人ごととは思えない。何十人が死んだという記事を読んだり、泣き伏す遺族のテレビニュースを見たりすると、悲しいというよりむらむらっと腹が立ってくる。どうして人の命がこんなに軽く見られているのだろう。
人命軽視の風潮は、あるいは戦争の影響かもしれない。あのころ人間の命なんて塵芥(ちりあくた)のごときものであった。きさまたちの命は一銭五厘(当時のはがき代)だと下士官が豪語したり、人間よりも軍馬のほうがはるかに大切であったりした。
海軍で夜戦をやる。こちらもさんざん沈められて、海面には水兵がたくさん泳いでいる。駆逐艦がそれを拾い上げて廻る。一定の時刻がくると、つまりもうここを離脱せねば翌朝敵機に追いすがられるおそれがある時刻になると、救助を中止して駆逐艦は出発する。そのさいごに拾い上げられたという下士官がその状況をわたしに話してくれた。
「すごいもんだよ。駆逐艦が動きだすと、海面に取り残された全将兵がいっせいにわーっというような声を上げる。うらみというか絶望というか、あの声は一生おれの耳にこびりついて離れないな」
わたしはその話を聞いたとき、戦争の非人間性に戦慄(せんりつ)した。戦争とはそんなものだと思っても身ぶるいを禁じえなかった。
いまは戦時とは違う。火事で逃げ遅れて死ぬ。死ぬほうが不注意だとは言わせない。新聞その他によると、たいていの逃げ遅れは、三階か四階の屋根裏みたいなところに寝ている。だから気がついたときはもうおそい。逃げたくても逃げ場がなくて、そのうち煙にまかれて焼け死んでしまう。逃げる気力や体力があるのに焼け死ぬなんて、何という悲惨なことだろう。そんなところに寝ているのが悪いのではない。違反建築をしてそんな部屋をつくり、そこに寝かせたやつが悪いのだ。
炭鉱事故はもっと悲惨だ。水没事故や爆発事故など偶発的に起ったものではなかろう。必ずそこに危険度や前兆があったに違いない。わたしは炭鉱についてはしろうとだが、何十年という長いあいだ掘りつづけてきたのだから、保安の方法もそれにつれて発達し精密を加えてきたはずだ。それなのにこんな大きな事故が頻発するのは、どこかで手が抜かれているとしか思われまい。戦争中人命を塵芥のごとく見た傾向が、形を変えていまでも残っているのではないか。
どんな虫けらだって殺そうとすれば必死になって逃げ廻る。ましてわれわれは人間である。他人の手落ちなどでむざむざと死にたくない。わたしたちがナチズムをにくむのはナチズムの世界観じゃなくて、むしろかれらの非人間的なやり方にたいしてである。
人間の生命は地球より重いのだ。
[やぶちゃん注:「南風北風」連載第七十三回目の昭和三六(一九六一)年三月十七日附『西日本新聞』掲載分。
「相つぐ炭鉱の事故。九州はわたしの故郷なので人ごととは思えない」ウィキの「炭鉱」などの炭鉱事故記録によれば、この頃の主な炭鉱事故は事実、福岡県で多く発生していることが判る。
昭和三三(一九五八)年
九月二十五日、福岡県山田市にある池本鉱業大昇炭鉱にてガス爆発が発生。死者十四人。
昭和三五(一九六〇)年
中元寺川の増水によって豊州(ほうしゅう)炭鉱(福岡県)で落盤、死者・行方不明者六十七人。
昭和三五(一九六〇)年
二月一日、北炭夕張炭鉱(北海道夕張市)でガス爆発が発生。死者四十二人。
昭和三六(一九六一)年
三月九日、上清(かみきよ)炭鉱(福岡県)にて坑内火災、死者七十一人。
三月十六日、大辻炭鉱(福岡県)にて坑内火災、救助に入った炭鉱長も巻き込まれ、死者二十六人。
最後に示した事故は驚くべきことに(東京住の梅崎春生がこの事故を知って書いたのではこの掲載には間に合わないと私は思う。これはまさに戦慄すべき偶然だったのではないか?)本記事の前日である。]
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