小品 メシ粒 梅崎春生
小品 メシ粒
歯を抜いたあと、歯ぐきに大きな穴ができた。右下側の、第一白歯である。
重助は、毎日、歯医者に通った。肉の盛上りがわるくて、なかなか穴がふさがらないのである。それも歯医者のせいのような気がして、重助は面白くなかった。
「へえ。今日は仁丹が入っていますな」
ちょび髭(ひげ)を生やして、眼鏡をかけた歯医者は、ピンセットでつまみ出して、にやにやと笑った。
「呑んだつもりでも、ちゃんとここに入っているですな」
次の日は、こんにゃくのかけらをつまみ出したし、その次は、鯨肉の破片をつまみ出した。牛肉じゃないということは、そのにおいか何かで、判るらしかった。
「おや、今日は御飯粒だよ」
と医者は、ピンセットではさみ上げた。
「形が細長いから、こりや外米ですな。なるほど、なるほど」
家へ戻っても、重助ははなほだ面白くなかった。俺が貧乏だから、きっとばかにしてやがるんだ。なんだい、あのちょび髭め!
彼は翌朝、女房に言いつけた。
「うちになければ、隣の大坪さんから、借りてこい。糊にしますから、四五粒でいいってな」
女房が、内地米のめし粒を借りに行ったあと、重助は鏡の前に大口をあいて、歯ぐきの穴を眺めていた。借りためし粒を、どうやってこの穴に押し込もうかと考えたり、それをつまみ出す医者の手付きを想像したり、またそのことに、急に腹立たしくなったりしながら。
[やぶちゃん注:初出誌未詳。以下の底本解題によれば、昭和二九(一九五四)年の作とする。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。言っておくが、これは底本の『エッセイ Ⅳ』のパートに所収されており、小説扱いでは、ない。]

