外人の眼 梅崎春生
旅行に出る。
汽車に乗る。乗った直後は、列車内はさっぱりしている。それが三時間とたたぬ間に、床は紙くず、弁当のあきがら、果物の皮、その他いろいろで、まるでごみためみたいになってしまう。外国人はこれをどう感じているかと思うと、身を切られるように恥かしい。
沿線の風景はどうか。景色はいいが、あの広告看板はどうだ。どんな山間辺地に行っても、鉄道が通っている限り、あの無神経な看板がべたべた並んでいて、風景をめちゃめちゃにしてしまう。外国にはあんな無神経な看板は立っていない。恥かしいことだ。
宿屋に泊る。すると団体客が必ず来ていて、大広間で飲めや歌えやの大騒ぎ。それも九時ごろまでですめばいいが、深更まで騒いでいる。外国人が見て、その野蛮さにあきれている。ああ、恥かしい。
というふうな調子の文章が、時々雑誌や新聞に出ることがあるが、これはちょっとおかしいのじゃないか。
列車がごみためになる。これはよろしくないことだ。しかしそれは、外人が見ているからよくないのではなく、見た目も悪く不潔で、我々日本人が迷惑するから、よくないことなのである。
広告看板だって、外人が見て美観をそこねるからいけないのではなく、我々が見て不快だからいけないのだ。わかり切ったことだ。
自分の中に、やたらに外人の眼を想定するな!
[やぶちゃん注:本篇は昭和三三(一九五八)年八月十五日附『毎日新聞』掲載。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。昨今のニュースは、ますます外国人観光客誘致ばかりを主眼とした都会や地方の対策を報じ、国政自体が四年後のオリンピックに向けて「外人の眼」ばかり気にしている。今は車内も沿線風景も旅館も見た目は改善されたが、しかし我々はますます「自分の中に、やたらに外人の眼を想定する」ようになった。いや、それは最早、日本人は外人となり、日本人ではなくなった証左なんだ、と考えれば、私は「フン」と微苦笑出来る。それで、沢山だ。]

