クツの付属物 梅崎春生
大体どんな商売でも、取引きが成立するまでに、その商売人と客との間に、どういう形でかの会話をともなう。たばこ屋に行けば、何というたばこを何個、肉屋に行けば、何肉を何グラム、と客がいい、毎度ありがとうございます、と物が渡される。
ところが会話の不必要な商売もある。たとえばふろ屋。湯銭をぽんと番台に置けば、自動的に入湯の権利が得られるから、会話の必要がない。地下鉄の切符売りも、大体会話はいらない。
街角の靴みがきもそうだ。台に靴を乗せることが、みがいてくれという意志表示である。だから靴みがきは、黙ってせっせとみがく。みがき終れば、みがき代はきまっているから「いかほど」なんて客も聞かない。黙って渡すだけだ。わずかな金だから靴みがきも、毎度ありい、なんていわない。
ある靴みがき屋さんに聞いた話だが、長年靴みがきをやっていると、本来なら足に靴が付属しているのだが、それが逆に見えてくるという。つまり靴が本体で、足はその付属物で、台の上の靴が動かないようにつめ物の役目を果たしているだけだ、と見えてくるらしいのである。足が付属物だから、その足につながる胴体や頭も靴の付属品で、すなわち人間全部が靴の付録ということらしい。
商売商売によって、人間の見方、評価のしかたが違うもんだと、私は感心した。
[やぶちゃん注:本篇は昭和三三(一九五八)年六月二十日附『毎日新聞』掲載。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。]