PTA会長 梅崎春生
娘がかよっている小学校のPTAの会長に、こんど私はなった。厭だ御免だと、ずいぶん辞退したのだが、総会の選挙できまったことだし、そのためにも一度総会を開くのは、不可能だという。とうとう押しつけられてしまった。
数日前の読売新聞に、伊藤整が次のようなことを書いていた。文士が良識人の代表のように見られている風潮が現在あるが、これは危険なことである。小説家は良識人にはなり得ない。いわゆる健全な常識に従ってものを考えるという気持は、全く私にはない。うんぬん。
この伊藤説に私は大賛成で、私も健全な常識でものを考えたり、ことを運営したりする気持は全然ない。そういう気持を持ち始める時から、自分が小説家でなくなることを、私はよく知っている。だから厭だ御免だと、ずいぶん頑張ったのだ。
ある人の話によると、PTA会長を何年かやって、それから区会議員に立候補するとそのPTAの票だけで、大体当選するものだそうである。お前は区議に立つ気持はなかろうから、それで選ばれたのではないか、とのことだったが、それでは私の役目はまるで防波堤みたいなものか。
しかし実際ことにたずさわってみると、気骨は折れるし、時間は取られるし、しかも無報酬と来ている。どうにも得な仕事ではない。利用できるのは、気に染まぬ原稿を頼まれた時、PTAの仕事がうんぬんと逃口上ができるという点だけである。
[やぶちゃん注:本篇は昭和三三(一九五八)年六月六日附『毎日新聞』掲載。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。
底本では以下、「あまり勉強するな」まで、「憂楽帳」という総標題パートにあるが(当時の毎日新聞東京本社があった「有楽町」に掛けているものと思う)、この「憂楽帳」とは『毎日新聞』のコラム欄の標題である(以下、この注は略す)。
「伊藤整」因みに言わせて貰うと、伊藤はこの年に東京工業大学の英語専任講師から同大教授に昇進している。凡百の良識人然とした大学の「先生」などというのは私の仮の姿で、良識人ではない小説家や芸術家こそが本職であり本地(ほんじ)だ、などと宣うとしても、こりゃ、通用しない。敢然とそう主張するなら、彼は大学教師を蹴って辞めるべきであろう。一般人が小説家で大学の「先生」というのを見たら、伊藤の職業は何だと問われれば、後者を採る(私でさえそうである)。そうして職業としての大学の「先生」は良識人と思われても、これ、仕方がない。盗撮や猥褻や違法薬物使用で逮捕される大学教授のいる昨今でさえそうなのだから、この伊藤の謂いは全く通らない。その点、専業作家で、その作風の奇異さが際立ち、アルコール依存症っぽくて肝臓もやられてる三拍子揃った春生「先生」なら、私は「非『良識人』」(くれぐれも「反『良識人』」ではないので注意)と認定することに躊躇しない。]