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2016/08/12

宗祇諸國物語 附やぶちゃん注   釣針、心(むね)を割(さ)く

    釣針割ㇾ心(つりはりむねをさく)

 

老いの今、若き昔し、見聞きし事どもを思ひ出づれば、悲喜も苦樂もさまざまなりし其の中に、我が、國に在りし時、吹飯(ふけゐ)の浦ちかくあそびありきし濱邊の小家に、只今、あるじ、頓死したり、と女子どもの哭き叫ぶ聲あり。折ふし、しれる人の其の家より出たるに、いかにして死せるや、と、とへば、彼(か)の人かたりて、されば、生ける身の死に赴く事、老若(らうにやく)隔てなく、時日(じじつ)定めなし、しかも死のえん、さまざまにて、病ひに臥し、刄(やいば)にかゝり、火に入り、水におぼるゝ事、誰れか、かねて知るべきなれど、此のあるじの頓死ばかり、ふしぎなる事なし。此の者、年來(ねんらい)、魚の釣針(つりばり)を作る事を渡世の業(わざ)とす。大小の魚類に隨つて針の作りやう、品々(しなじな)有り、彼(か)れ、能く、是を丹練して上手なる上、浦々の獵師、津々の遊民、是が針ならでは曾て用ひず。さるものゝ曲(くせ)にて、針壹一本、あつらふるに、月日を越えて隙を入る。然れば、一生此の能あつて、富めるにもあらず、朝飯(あさはん)して夕の糧(かて)なく、心は賢(けん)にたがひながら、首陽(しゆやう)の蕨(わらび)を折り、夜の衾(ふすま)、薄ければ、藁に臥して自ら孫晨(そんしん)が樂しみを眞似たり。然るに今日、俄かに心痛(しんつう)して、四肢をもだへ、大聲を出し、叫びけるが、忽ち、胸もと、二つにさけて、空しくなる。此の破れたる所を見れば、白き釣針、數百本あり。鐵胴(てつどう)の類ひにはあらで、しやれたる骨なれども、釣針に違(たが)ふ事なし。是をおもふに、此の者、一生、細工に工夫し、餘事(よじ)を忘れたる心、凝つて病ひとなり、命をうしなへるか、將(はた)、是(これ)が作れる針にかゝつて、命を取られたる魚(うを)の精靈(せいれい)きそひ來て、身を責めたるか、此のふたつの物、のがるべからず、と、かたる。一目みてこそ信用すべけれ、いざ、と、いへど、此の人、いふ。中々、はづかしき目を外に見せじ、と、妻子、取まかなひて、今は見せ侍らず。我れ、發病より傍(そば)に在りて委しく見侍り、と、いへど、若き心の曲(くせ)とて、しみじみ用ふる事もなかりしに、近き頃、ある書を見れば、惠心僧都(ゑしんそうづ)を火に葬(はうふ)りしに、胸に一もとの蓮花(れんげ)あつて、火に焦(こが)れず、拜まれし、と、この人、不斷念佛の眞實(しんじつ)つもり、淨土の蓮臺に座せんと願ひ給ひし念慮、こりかたまつて如ㇾ此、と、いへり。是をおもへば、善心惡行、各(おのおの)、別なり、と、いへども、こつて、形を顯はす事、おなじ理(ことわり)なるべし、と、ひとり思ひ出でゝ、菩提心のうすき事をなげきけり。

 

■やぶちゃん注

 底本では最後に「宗祇諸國物語卷三」とある。

・「我が、國に在りし時」既に注したが、飯尾宗祇の生国は紀伊とも近江とも伝えられるが、先行する「高野登五障雲」では「南紀は本國なれば」と述べている。

・「吹飯(ふけゐ)の浦」現在、一般には現在の大阪府泉南郡岬町深日(ふけ)の海岸とされ、ここは紀伊国ではないものの、現在の和歌山市の北西十キロメートルほどの直近であるから、紀伊生国説とは矛盾しないと言える。

・「遊民」辞書上は、職業に就かず遊び暮らすのらくら者とするが、ここは趣味として釣りをする者の謂いであろう。

・「さるものゝ曲(くせ)にて」その釣針師の性格上。

・「針壹一本、あつらふるに、月日を越えて隙を入る」たかが釣針一本を誂える(拵える)のにも、一月以上もかけた上、その後には(疲れ切ってか?)次の針作りまでは、これまた長い隙(ひま)、休息をとる、と解しておく。

・「朝飯(あさはん)して夕の糧(かて)なく」金がないので、朝飯を採るだけで、夕飯はなしというありさま。

・「心は賢(けん)にたがひながら」殺生の道具を作ることは仏法の正しき智に違(たが)うのである。

・「首陽(しゆやう)の蕨(わらび)を折り」「史記」列伝の巻頭で知られる伯夷・叔斉の伝承に基づく。武王が暴君であった殷の紂王を滅ぼそうと軍を起こそうとするのを武王の父文王の喪が明けていないと批判して止めようとした。殷が滅んで武王が周を建てたが、二人は周の粟(ぞく)を食(は)むを恥とし、周を遁れ、首陽山(山西省西南部にある山)に隠棲して蕨を採って糧(かて)としたが、遂には餓死した。

・「孫晨」中国の立志伝中の一人。宋の徐子光「蒙求集註」に「三輔決録」から引いて、

 

孫晨、字元公、家貧、織席爲業。明詩書、爲京兆功曹。冬月無被、有藳一束、暮臥朝收。

(孫晨、字(あざな)は元公、家、貧にして席(むしろ)を織りて業と爲(な)す。詩書に明にして、京兆の功曹(こうそう)と爲る。冬月、被(ふすま)無く、藁(わら)一束、有り。暮に臥し、朝(あした)に收む。)

 

と出る。本邦では徒然草の第十八段の終りに、

 

孫晨は、冬の月に衾(ふすま)なくて、藁(わら)一束(つかね)ありけるを、夕(ゆふべ)にはこれに臥し、朝(あした)には、をさめけり。唐土(もろこし)の人は、これをいみじ、と思へばこそ、しるしとどめて世にも傳へけめ、これらの人は語りも傳ふべからず。

 

と出、本筆者もこの「徒然草」を元としつつ、その最後の兼好の如何にもな皮肉な謂いを受け、それを「傳へ」んがために引いたような気も、してこないことはない。

・「しやれたる骨」これは「曝(さ)れ」の転訛した「しやれ(しゃれ)」(「洒落」とは無縁)で長く風雨に曝されて古くなったさまを附加する接頭語由来の語ととる。古びた、動物の骨を削って作った釣針の意。

・「取まかなひて」(床の遺体の)世話をして。

・「若き心の曲(くせ)」若い者にありがちな(理に走って超自然の怪異をなかなか信じない)性質(たち)。

・「しみじみ用ふる事もなかりしに」つくづくと、心からその通りであろうと納得することはなかったのであったが。

・「ある書」本書の種本とも思われる「撰集抄」の「卷八」の「第三四 「惠心僧都臨終の胸の蓮の事」。冒頭部を示す。

   *

むかし、恵心の僧都と云(いふ)人いまそかりけり。智惠さきら並(なら)びなきのみにあらず、澄めるまことの月をも見て、よものうき雲をも心のうちにけし給ふ人になんおはしける。しかれども生(しやう)ある物はかならず死する世のさがなれは、七旬(じゆん)にかたぶき給ひて後、橫川(よかは)にて御みまかりけるに、胸のあひだに靑蓮花三本侍りけり。かたじけなくぞ侍る。

   *

簡単に語注する。「惠心の僧都」平安中期の天台僧であるが、鎌倉新仏教の浄土教成立の元となった「往生要集」の筆者として知られる源信(天慶五(九四二)年~寛仁元(一〇一七)年)。「さきら」「先ら」(「ら」は接尾語か)才気の実際に行動や物として現われたもので、弁舌や筆勢などに使う。「七旬」この「旬」十年を一期とする単位。源信は享年七十六で示寂している。「橫川」比叡山延暦寺を構成する三つの地域である三塔の一つ。円仁の開創。

・「如ㇾ此」「かくのごとし」。

・「こつて」「凝つて」。

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