未見の風景 梅崎春生
実を言うと、私はあまり風景には興味がない。子供の時からそういう傾向があった。遠足などに行き、失しい景色に接すると、ああきれいだなあと眼を輝かしはするが、三十秒も見ていると、倦きてしまうのが常であった。人間と違って、変化がないから、倦きてしまうのである。
だから現在の私の小説には、あまり風景は出て来ないし、出て来ても描写に生彩を欠いでいる。(といって、人間描写に生彩があると、威張っているわけではない)
しかし、昭和二十二三年頃書いた小説には、大いに風景を取入れた。その頃私は戦争小説をいくつも書いたから、そして戦争というものは室内で行われるものでなく、大体風景の中で行われるものだから、小説の中に風景を取入れざるを得なかったのである。
その頃私は、行ったことのない国々、たとえばフィリッピンやブーゲンビル、またはシベリアなどを舞台とした戦争小説を度々書いた。そういう異国の風物を叙述するのに、たいへん苦労した。いろいろと人に聞いたり本で調べたりして、苦心を重ねたが、そのかわり張り合いがあつた。眼で見ぬ風景の描写だから、張り合いがあったのだろう。これがこの眼で見た風景なら、さほどの情熱は湧かなかっただろうと思う。
で、その未見の風景描写は成功したかというと、半分成功し、半分成功しなかった。たとえばフィリッピン小説の場合、私同様フィリッピンに行ったことのない読者からは、実に現地にいるようだとほめられたが、フィリッピン行きの経験のある読者からは、首をかしげられた。
「日の果て」を書いたあと、しばらくして野間宏に会ったので感想を訊ねると、「フィリッピンで人間はあんなに速く歩けるもんかねえ」と首をかしげられたので、私はたちまち狼狽、あとの感想を聞く元気をうしなった。いくら技巧をこらしたって、やはり体験者にはかなわない。すぐに見破られる。
今度未見の風景描写をやるとすれば、火星小説でも書く他はない。火星に行った人はまだ誰もいないのだから、その小説における私の風景描写は、おおかたの好評を博するであろう。
[やぶちゃん注:昭和三三(一九五八)年四月号『群像』初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。私は結果的に梅崎春生の遺作となった畢生の名作「幻化」の風景描写は、どこも皆、飛び抜けて優れていると思っている(リンク先は私の『梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注』PDF一括縦書版。ブログ版分割がよろしければこちらで)。
「フィリッピンやブーゲンビル、またはシベリアなどを舞台とした戦争小説」例を挙げると、「フィリッピン」は「ルネタの市民兵」(昭和二四(一九四九)年八月『文芸春秋』初出)、「ブーゲンビル」は「B島風物誌」(昭和二三(一九四八)年八月刊『作品』(季刊誌)初出)、「シベリア」は「赤帯の話」(昭和二四(一九四九)年『文学界』初出。リンク先は私の電子テクスト)などである。
「日の果て」昭和二二(一九四七)年九月刊『思索』(季刊誌)初出。
『野間宏に会ったので感想を訊ねると、「フィリッピンで人間はあんなに速く歩けるもんかねえ」と首をかしげられた』野間は昭和一六(一九四一)年に応召し、中国やフィリピンを転戦している。野間と梅崎は同年齢で誕生日も、八日、梅崎の方が早いだけである。]