杉山萠圓(夢野久作) 「翡翠を讀んで」
[やぶちゃん注:杉山萠圓(はうゑん(ほうえん)は夢野久作(本名は杉山直樹)のペン・ネームの一つ。片山廣子の第一歌集「翡翠」の書評である。
大正六(一九一七)年四月刊の『心の花』に掲載された(書誌情報は二〇〇一年葦書房刊西原和海編「夢野久作著作集6」の巻末に載る「夢野久作作品年表」に拠った)。初出以外では現在までに採録されたものはないと思われ(西原氏の「夢野久作著作集」でも書誌データのみで本文は載らない)、電子化もこれが最初であると思われる。夢野久作満二十八歳、還俗し、再び福岡香椎村の農園経営に戻った直後の頃で、エンディングのリアリズムは、まさにそうしたのっぴきならない夢野久作の夢野久作たる所以、と見逃してはならぬシークエンスなのである。
「翡翠」は「かはせみ(かわせみ)」と読み、アイルランド文学の翻訳者としても知られる歌人片山廣子の第一歌集で、佐佐木信綱主宰の結社『心の花』の出版部門である竹柏会出版部から大正五(一九一六)年三月二十五日に『心の花叢書』の一冊として刊行されたものである(私は上記の「翡翠」以外にも、彼女の代表的歌集類及び翻訳と随筆を私のサイト「心朽窩旧館 やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」の「■片山廣子/松村みね子」でオリジナルに公開している。興味のある方は是非、参照されたい)。
この元データは私のツイッター上での私のこれに関わる書き込みを見られた夢野久作を研究されておられる方が、資料としてお持ちの本書評の画像部分を二〇一六年八月十二日にPDFファイルで無償で提供して下さったものを視認して電子化した。
踊り字「〱」は正字化した。表題及び署名は底本に反して前後に空行を設けた。署名は「杉 山 萌 圓」と一字空けが施されて、本文ポイント三字上げの下インデントであるがブログでの表示不具合を考えて再現していない(最後の「(香椎園藝場に於て)」も下インデントは同じ)。短歌引用の最初の「何となく眺むる庭の生垣を鳥飛び立ちぬ野に飛びにけり。」の『「』の開始位置は明らかに半角分下がっているが、改行の空けとしても不自然にしか見えないので再現しなかった。引用の「幾千の大木ひとしく靜まりて月の祝福うくるこの時」の歌にだけ最後の句点がないのはママ。
一ヶ所だけ、冒頭の一文中の「■い表裝」の「■」の字は原本の活字が潰れていて判読が出来ない。(へん)が「にすい」か「さんずい」のように見え、後で歌の趣きを筆者が「滋い沈んだ色彩」と述べていることや、歌集「翡翠」原本の表装はネット上の写真を見る限り、現存物は濃い青か或いは紺色で「しぶい」色には見えることなどから推すと、「しぶい」の意の可能性が高いようには思われる。ここでは、資料提供者の方の意見も伺い、「澁」「歰」「渋」或いは後に出る「滋」ではないか、と推察するに留めることとする。
なお、引用された「翡翠」からの短歌は総てに亙って原本とは表記が異なっており、一部には問題外の誤字や脱字も認められるので、末尾に全歌の対照表を作って別に掲げた。
また、文中の「竹柏園先生」は『心の花』主宰の佐佐木信綱の別号。「ちくはくゑん」とはべつにこれで「なぎぞの」とも読み、元は同じく歌人であった父弘剛の号であり、門人組織名であった。彼の評「舊衣は破れて新衣未だ成らざる姿」は「翡翠」の信綱の序文(大正五年二月クレジット)の一節に基づいた表現であるが、そのままではない。当該箇所を引く。下線はやぶちゃん。
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自分がこの集を通讀して感じたことを率直にいふと、思ふに著者の歌は、今や岐路に立つてゐる。舊衣を破り捨てて、それに代るべき新しい衣が未だ成つてをらぬといふ狀態にある。固より舊衣は如何に美しとも、それにまさつた新衣だに得なば破り捨てても決して惜しむに足りない。著者の態度は、舊い自己にあきたらないで、而も未だ新たなる信念にそふ歌を得むとして得かねてゐると思はれる。而して著者がその歌風のかかる岐路に立つて、その現在をありのままに曝露しようとした勇氣は、また多とすべきである。而して自分の著者に待つところは、その將來の大成にある。
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である。続くその後の、『野口先生の歌はれた樣に「終局の破滅に急ぐ傾向」を帶びて居る』というのも「翡翠」の信綱に先立つ巻頭序文(英文と和文の二種)の詩人野口米次郎(署名は「ヨネ、ノグチ」)の一節に基づく(これも完全な引用ではない)。以下に当該部を示す。下線はやぶちゃん(こちらの全文は私の片山廣子第一歌集「翡翠」に電子済)。
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心揚りよろこびを以て吾が常に歌ひしむかしの歌は今いづこにある? 今吾は灰塵となれる廢墟なり。火災と共に吾が生の第三期は始まりぬ。
君も亦君が生の第三期に入りしと吾は信ず。
終局の破滅に急ぐは現代の特色なり。ああ、吾が心の廢墟の上に新しき歌を再び築かばや! 哀愁(かなしみ)と傷痍(きず)より生れいでたる色彩(いろ)と認識(みかた)とを以て、詩人の寂しく大なる城を再び築かばや! 靈妙にして自由なる吾が企圖(おもひ)を行はんためには、吾は理想と夢の歡樂を犧牲にして惜しまざるべし。
吾が友よ、君は吾が言葉を能く理解すべし。
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追記。
因みに、彼女のこの歌集の書評を、今一人、著名な人物がものしている。
大正五(一九一六)年六月発行の雑誌『新思潮』の「紹介」欄に掲載されたもので、最後に附された括弧書きの署名は「啞苦陀」となっている。「あくだ」、かの芥川龍之介である。片山廣子が処女歌集を龍之介に献本したものと推測される。短いので、参考までに私の『芥川龍之介による片山廣子歌集「翡翠」評』から引く(リンク先には草稿も電子化してある)。
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この作者は、序で佐々木信綱氏も云つてゐる樣に在來の境地を離れて、一步を新しい路に投じ樣としてゐる。「曼珠沙華肩にかつぎて白狐たち黃なる夕日にさざめきをどる」と云ふ樣な歌が、其過去を代表するものとするならば、「何となく眺むる春の生垣を鳥とび立ちぬ野に飛びにけり」と云ふ樣な歌は、其未來を暗示するものであらう。勿論、後者の樣な歌に於ては、表現の形式内容二つながら、この作者は、まだ幼稚である。しかし易きを去つて難きに就いたと云ふ事は、少くとも作者自身にとつて、意味のある事に相違ない。そして同時に又この歌集が、他の心の花叢書と撰を異にする所以は、此處に存するのではないかと思ふ。左に二三、すぐれてゐると思ふ歌を擧げて、紹介の責を完する事にしやう。
灌木の枯れたる枝もうすあかう靑木に交り霜とけにけり。
日の光る木の間にやすむ小雀ら木の葉うごけば尾をふりてゐる。
沈丁花さきつづきたる石だたみ靜にふみて戸の前に立つ。
それから母としての胸懷を歌つた歌に、眞率な愛す可きものが、二三ある。
たゆたはずのぞみ抱きて若き日をのびよと思ふわが幼兒よ。
我をしも親とよぶびと二人あり斯くおもふ時こころをさまる。
野口米次郎氏の序も、内容に適切である。裝幀は淸洒としてゐる。 (啞苦陀)
*
当時、芥川龍之介未だ二十四歳、片山廣子は龍之介より十四年上の三十八歳、また、この時(大正五(一九一六)年)の二人は、文学者同志の束の間の儀礼的擦れ違いに過ぎなかったものとは思われる。龍之介は同年十二月に塚本文と婚約しており、また、廣子はこの歌集刊行の四年後の大正九(一九二〇)年三月に日本銀行理事であった夫片山貞治郎と死別することとなる。
ところが、龍之介と廣子は、この八年後の七月の軽井沢で運命の再会をすることとなる。周知の通り、「或阿呆の一生」の「三十七」に出る「越し人」、かの龍之介をして『彼は彼と才力の上にも格鬪出來る女に遭遇した』と言わしめたのが彼女、片山廣子であった。芥川龍之介の絶唱「越びと 旋頭歌二十五首」(大正一四(一九二五)年三月『明星』)も彼女の捧げられたものである。芥川龍之介が最後に愛したのは確かに片山廣子であった、と私は硬く信じて疑わない。それは私のブログ・カテゴリ「片山廣子」その他もろもろで語っているので興味のあられる方は是非、お読み戴きたく存ずる(なお、以上のリンク先は総て私のオリジナルな電子テクストである)。
最後に。
本電子化の底本データを下さった方に、再度、御礼申し上げるものである。【二〇一六年八月十三日 藪野直史】]
翡翠を讀んで
杉山萠圓
翡翠の一卷を讀み了つて其の■い表裝をぼんやり見つめて居るといろいろの背景の前にいろいろの顏つきが浮み出て來る。
「何となく眺むる庭の生垣を鳥飛び立ちぬ野に飛びにけり。」
「靑白き月の光りに身を投げて舞はばや夜の落葉のをどり。」
「幾千の大木ひとしく靜まりて月の祝福うくるこの時」
など云ふ快よい滿ち足つた有樣。又は
「春雨や精進のけふのあへものに底の木の芽を傘さして摘む。」
「朝霧の底に夢見る高き木に鶯鳴けばわが心覺む。」
など云ふ小じんまりした情趣などが眼にちらついて其他の滋い沈んだ色彩を蔽ひかくす樣な氣がする。これは自分の誤解ではあるまいかと思つて二三度くりかへして讀んで見たが矢張り同じ事で、却つて其沈んだ顏つきと浮き立つた背景とが益々はつきりと自分の眼に泌み込んで次第にある一つの顏つきに統一して來る。さうして其輕い華やかな背景に反き乍らじつと眼の前の暗いものを見つめて居る瞳其瞳の光さへ明らかになつて來て靜かに自分の眼と相會ふた時白自分は正に頭の中に翡翠といふ婦人の肖像畫を作り得た心地がした。さうして此女人の表情と背景とが朧氣ならず矛盾して居る理由を察し得て何と無く頭の下るのを禁じ得なかつたのである。
此矛盾が作者の歌であつた。生命であつた。
「生くるわれと夢見るわれと手をつなぎ歩みつかれぬ倒れて死なむ。」
又過去と現在と未來であつた。
「くだものと古き心をすてゝ見む鳥やついばむ人や踏みゆく。」
併せては又其生涯の回顧と煩悶空虛と實在であつた。
「花も見ず息をもつかず急ぎ來しわが世の道を今ふりかへる。」
「つれつれにちひさき我をながめつゝ汝何者と問ひて見つれど。」
とあるのを見ても疑ふ餘地が無い。
竹柏園先生のお詞の如く「舊衣は破れて新衣未だ成らざる姿」で又野口先生の歌はれた樣に「終局の破滅に急ぐ傾向」を帶びて居る。さればこそ
「渦卷きに一足入れてかへり見し悲しき顏は忘れ難かり。」
と云ふ歌が殊に強く自分の腦狸に印象を殘したのであらう。
併しもう仕方が無い。行く處まで行かねばならぬ。それならば何處ヘゆくか。自分は斯樣思つて再び翡翠を取り上げて豆だらけの手で裏表を撫で乍らぼんやりと外を眺めた。窓の前にはまだ熟せぬ水蜜桃の袋がいくつも葉蔭に並んで居る。遠くの野の低い處に雲雀が鳴いて居る。空も靑黑く地も靑黑い。何時まで眺めても考へがつかないまゝに筆を擱いた。さうして自分も亦此問題を考へねばならぬ者であると深く深く感じた。
(香椎園藝場に於て)
■やぶちゃんによる引用歌と原本「翡翠」の当該歌との対照表
引用中の一ヶ所を除いて総てに附されてある末尾の句点は原歌集にはないので除去して示した。
最初に本文の引用短歌を出したが、頭に「○」「△」「×」の記号を附した。「○」は「許せる範囲」、「△」は「誤りではないが、転写引用としては問題がある」レベル、「×」は生死にかかわる緊急手術必要、という一種のトリアージとして示したものである。
矢印(↓)の次の【翡翠】とある次の行の「◎」を附したものが、元歌集「翡翠」の正規表現である。引用の方に私が附した下線部太字は原本と異なる問題箇所である。
○何となく眺むる庭の生垣を鳥飛び立ちぬ野に飛びにけり
↓
【翡翠】
◎何となく眺むる春の生垣を鳥とび立ちぬ野に飛びにけり
[やぶちゃん注:「翡翠」巻頭歌。正直、それくらいは誤らずに引用して欲しかった。以下、片山廣子は夢野久作の洞察に富んだ評言には心から感謝し乍らも、引用の杜撰さには少ししょんぼりしたような気がする。]
○靑白き月の光りに身を投げて舞はばや夜の落葉のをどり
↓
【翡翠】
◎靑白き月のひかりに身を投げて舞はばや夜(よる)の落葉のをどり
[やぶちゃん注:「翡翠」の最終歌から十三首前の歌。引用には「夜」のルビがない。頂戴したデータの前後の別な人物の記事ではルビを振った箇所は認められないものの、多量の異なった記号の傍点が沢山認められるから、『心の花』の版組上、ルビが振れなかったとは言わせない。]
×幾千の大木ひとしく靜まりて月の祝福うくるこの時
↓
【翡翠】
◎幾千の大木ひとしく靜まりて月の祝福(めぐみ)をうくるこの時
[やぶちゃん注:引用ではルビがなく、おまけに格助詞「を」が脱落しているため、「祝福」は「しゆくふく」と読まれてしまう。]
×春雨や精進のけふのあへものに底の木の芽を傘さして摘む
↓
【翡翠】
◎春雨や精進のけふのあへ物に庭の木の芽を傘さしてつむ
[やぶちゃん注:「庭」を「底」とするとんでもない誤りであるが、どう考えても「底」では意味が通らないから、夢野久作の誤りではなく、単なる『心の花』側の誤植・校正ミスであろう。]
○朝霧の底に夢見る高き木に鶯鳴けばわが心覺む
↓
【翡翠】
◎朝霧の底に夢みる高き木にうぐひす鳴けばわが心覺む
○生くるわれと夢見るわれと手をつなぎ歩みつかれぬ倒れて死なむ
↓
【翡翠】
◎生くる我とゆめみる我と手をつなぎ歩み疲れぬ倒れて死なむ
[やぶちゃん注:「翡翠」の最終歌から十二首前の歌。]
○くだものと古き心をすてゝ見む鳥やついばむ人や踏みゆく
↓
【翡翠】
◎くだものと古き心は捨てて見む鳥やついばむ人や踏みゆく
[やぶちゃん注:「翡翠」の最終歌から十一首前の歌。]
○花も見ず息をもつかず急ぎ來しわが世の道を今ふりかへる
↓
【翡翠】
◎花も見ず息をもつかずいそぎ來しわが世の道を今ふりかへる
△つれつれにちひさき我をながめつゝ汝何者と問ひて見つれど
↓
【翡翠】
◎つれづれに小さき我をながめつつ汝何者と問ひて見つれど
[やぶちゃん注:引用の「つれつれ」の後半は底本では踊り字「〱」であるので(「〲」では、ない)、かくした。原本でも前の引用の歌の次に配されている一首である。]
○渦卷きに一足入れてかへり見し悲しき顏は忘れ難かり
↓
【翡翠】
◎渦まきに一足入れてかへりみしかなしき顏はわすれがたかり
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