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2016/08/02

譚海   梅崎春生

   譚海

 

 昔「譚海」という少年雑誌があった。わたしはそれをとつていた。買いに行くのではなく毎月配達されるのである。

 いまなら店員が自転車かスクーターで配達するのだろうが、そのころの配達は相当年配のおっさんで、黒いふろ敷に雑誌を山ほど入れ、それを背負っててくてくと一軒一軒廻り歩いた。あれが大正時代の配達人の風俗だったのだろう。

 この人が冠木(かぶき)門をくぐって庭先に姿を現わすと、わたしたちは声を上げてよろこんだ。

 これは配達人ではないが、お菓子屋さんが同じかっこうで、ときどきやってきた。背中のふろ敷包みをとくと木箱が五段くらいあり、その一つ一つの木箱がさらにたてよこに小さく区切られている。その区切りの中に、各種の菓子が小量ずつ入っている。菓子の形をながめ少しつまんで食べたりして、これをいくら、あれをいくらと注文する仕組みになっていた。つまりこのおっさんは菓子の見本を持ち歩いているのだ。

 このおっさんが姿を現わしても、わたしたちはよろこんだ。サービスにわたしたちに菓子をつまませるからだ。

 でもどちらかというと、本屋のおっさんのほうがわたしにはうれしかった。うちにこどもの本はあまりなく、わたしは活字に飢えていた。

「譚海」は他の少年雑誌、たとえば「少年倶楽部」などより小型でページも薄かった。値段も安かったに違いない。おふくろがこれを選んだのは教育的効果を考えてではなく、主として値段の点からだろうと思う。

 そんな薄い雑誌だから、いくらていねいに読んでも二日もすれば全部読み終ってしまう。読み終るとバックナンバーとして本だなに飾っておく。ときどき取り出してまた再読三読する。あのころの「譚海」にのっていた小説の題名や筋、さし絵の人物の形までわたしは思い出せる。

 うちのこどもが雑誌を買ってくれとせがむ。金を渡すと自分で買ってきて、せっせと読みふけっている。見るといまのこども雑誌には実に漫画が多い。中には巻頭から末尾までオール漫画という極端なものもある。わたしたちのときは漫画はほとんどなかった。あっても、いまのようにどぎつくはなかった。こどもの好尚が時代とともに変ったのだろうか。

 わたしは一概に漫画が悪いとは思わないが、昔の少年小説などにくらべるとお手軽で安直である。努力して読むということがない。努力しないでも向うから押しつけてくるから、受け身のままながめていればいい。ということは、いまのこどもは努力することがきらいだということになる。

 やはりラジオやテレビや映画などで訓練され、娯楽というのは受け身の姿勢で楽しむものだという習慣が、いまのこどもの身についているのだろう。

 いまの若いものは字を知らない、誤字ばかり書くというのもそれと関連がある。

 

[やぶちゃん注:「南風北風」連載第四十二回目の昭和三六(一九六一)年二月十四日附『西日本新聞』掲載分。

「譚海」少年少女雑誌が乱立した大正期から戦時期まで存続した博文館の児童雑誌。大正九(一九二〇)年一月の創刊時、児童雑誌総合化の流れの中で、「少年少女」の棲み分けを行わないこと、創作読物を中心とすることなどの編集方針を採用、また戦時中は存続のために成人向科学雑誌に転換を図るなどした。昭和一九(一九四四)年三月廃刊(以上は出版社「金沢文圃閣」公式サイト内の「少年少女譚海」目次・解題・索引[編集復刻版に拠った)。]

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