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2016/08/18

ブログ850000アクセス突破記念   亡靈   火野葦平

 

[やぶちゃん注:底本(昭和五九(一九八四)年に国書刊行会が復刻し、平成一一(一九九九)年に新装版として再刊されたもの)の仲田美佐登氏の「跋 編集覺書」(クレジット:昭和三二(一九五七)年四月一日)の中の記載と、ネット上の古本屋の書誌情報から、本編は昭和二二(一九四七)年八月号『文學界』(復刊第一巻第八号)が初出であることが判った(底本には初出書誌情報は載らない)。敗戦から二年後の夏。本作は決してその時制と無縁ではないものとして読める。

 一ヶ所だけ、第三段落末尾「やはりきいていただかなくてはなりません。」は底本では「やはりきいていただかなくてはなりまん。」であるが、脱字と断じて訂した。

 「蓊鬱(をううつ)」(おううつ)とは草木が盛んに茂るさまのこと。

 なお、本テクストは私のブログが2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、850000アクセスを突破した記念として公開するものである。【2016年8月18日 藪野直史】]

 

   亡靈

 

 驚かれましたか? しばらく足をとめてください。その栗の木の下の石に腰をおろしてくれませんか。おいそぎでもない旅の御樣子、しばらくわたくしの話をきいていただきたいのです。……あなたを待つてゐました。この淵のほとりをこれまでも何人もの旅人が過ぎてゆきましたが、たれもかれもせかせかと忙しさうで、おまけにこの一帶に特別に不氣味さでも感じるのか、一刻も早くここを通り拔けようとでもいふやうに、足を早める者が多いのでした。或る者はまるで追つかけられてでもゐるやうに走りだし、つれのある者は自分たちの恐怖をまぎらすやうに、不必要に聲高で喋舌(しやべ)りながら、やはり速度を早めてこの淵のかたはらを過ぎるのでした。なるほど、この晝間でもたそがれのやうに暗い森林のなかは、さう氣持のよい場所ではない。山としてはさう深くはないけれども、樹々はいづれも苔むす古さと高さで蓊鬱(をううつ)と茂つて居り、たれさがつた氣根を縫つて年中蜘蛛(くも)が巣を張り、そのなかに足のやたらに長い、まつ黃色と黑とのあざやかな縞になつた女郎蜘蛛が、びいどろ玉のやうな二つの眼を光らせてゐたり、蜥蜴(とかげ)や蛇が熊笹を鳴らして濕氣の多い斜面を走つてゐたり、またときどき鳥か獸か蟲かわからない奇妙な啼き聲がするのでは、旅人もさうよい氣持もしないでせう。しかし、旅井人が氣味惡がるのはそんなことよりも、この淵のやうです。……あなたも現に驚かれてゐるが、姿の見えないわたくしの聲が、この淵のなかから起つてゐる。そして、その淵といふのは、あなたのごらんになつてゐるとほり、さして廣くはないけれごも、どこからも水の流れるところを持つてゐない。水源もなければはけ口もない一種の淀み、靑苔を溶かしたやうなどろどろの水、水ともいへない奇妙な液體、汁といつた方がよいか、つまり旅人がいたるところで見つけてゐるどんな淵とも池とも湖とも沼ともちがふ汁のたまり、おまけに異樣な臭氣、糞尿よりももつといやな惡臭、これでは旅人を辟易(へきえき)させるのも無理のない話でせう。にもかかはらず、旅人がやはりこの淵の、(淵と假りにいつて置きませう)ほとりを通るのは、麓から峠を越すにはいやでもこの道を通らなければ拔けられないからです。

 あなたを待つてゐました。あなたのやうな人ははじめてです。遠くにあなたの落ついた足音をきいたときから、わたしはもうおさへきれぬ期待で胸をはずませて、近づくのをお待ちしてゐました。あなたがこの淵のほとりに來て、しづかにあたりを見まはし、なにかしきりにうなづいて、旅の杖を曳いて、わたくしのいふとほりに、その栗の木の下の石に腰をおろされたときには、わたくしはうれしさで涙の出る思ひがいたしました。あなたはきつとあしへいさんの友人にちがひない。われわれ河童について變らぬ深い理解と愛情とを持つてくれるのは、傳説を輕蔑し、詩を否定し、浪漫をすらも異端視して、科學と實證とばかりを現實の價値とするやうになつた現代では、あしへいさんをおいてはなくなつたのでありますから、わたくしはいつかここへあしへいさんが氣まぐれでもよいから通りかかる日のことを夢にえがいてゐたのですが、このごろあしへいさんはつまらぬ世俗のことにかまけて、昔のやうにかういふ山間僻地(へきち)をおとづれる趣味をわすれ、おでん屋などをさまよひ、好きなビールを夜な夜なくらつてゐるといひますから、なにかの突然の啓示によつて、あの人がふたたびさういふ頽廢(たいはい)と惡德とにまみれることから逃れでる日を待つてゐるのですが、いつのことやら、……いや、わたくしはなにをいつてゐるのでせう。あなたで結構なのです。あなたがあしへいさんの友人で、わたくしたち河童の知己であることばもう疑ふ餘地がありません。あなたに是非おききねがひたい。そしてこれから話すことをあしへいさんにも傳へて貰へばたいへんありがたいと思ふわけです。

 わたくしは河童だと申しましたが、じつはいまは河童ではなくなつてゐるのです。形も影もなくなつて、いまは液體になつてゐます。この淵がわたくしなのです。いや、わたくしたちなのです。あなたは笑はれますか? どうもあなたの薄笑ひは氣味がわるい。あなたは河童が本來暗愚なものであることを知つて居られるので、いままたわたくしたちの暗愚についてくりかへすのは氣取かしいのですが、何故わたくしたち大勢の仲間がこんな淵になつてしまつたかは、やはりきいていただかなくてはなりません。

 昔、(昔といつても百年にもなりませんが)この山間一體には千匹ほどの河童が雜然と棲んでゐました。そのころはこんなに樹も茂つてゐず、淵ももとよりなく、いまよりはずつと明るいからつとした谷間で、千匹ほどの仲間たちもどちらかといふと仲よくたのしく暮して居りました。わたくしたち河童が馬の足あとの水のたまつたのにさへ三千匹は棲めることはあなたの御存知のとほりで、そのころ池とか川とかいふものはなかつたのですが、點々とある水たまり、山水、岩淸水のながれ、露の玉などで充分で、まづそのころは平和でありました。さやう、平和とい言葉がいちばんあたつてゐませうか。よその國々では河童同士が繩張りあらそひをして戰爭をしたり、昇天しようなどといふ途方もない考へをおこしてたくさんの死傷者を出したり、火山のうへを飛翔(ひしやう)して火傷(やけど)したりしたやうなこともききましたが、われわれのところではさういふ事件らしいものはなにもなく、日々はきはめて平和に、單調に過ぎてゆきました。すこし數がまとまつて生活してゐると、えてしてこれを支配しようとか、威張らうとかいふ者が出て來て、いつか權力といふものが生まれ、なにかの政治的な體制ができ勝ちなものでありますが、さういふこともなくて、政府をつくらうとか、黨派を立てようといふ野心を抱く者もなく、ただわけもなく雜居して暮してゐるばかりで、日が過ぎました。それはきつと衆にぬきんでた者がゐなかつたせゐもありませう。いづれも似たりよつたり、團栗(どんぐり)のせいくらべて、多少國體が大きかつたり、聲がたかかつたり、腕力が強かつたりで、幅をきかす者がなくもなかつたのですが、衆望が一敦して頭目に仰ぐといふほどの者はゐず、まづ長閑(のどか)なものでした。春夏秋冬の季節の變化も順調で、花や鳥を相手にたのしみ、太陽も月も適度のうつくしさで生活にめぐみをたれ、食餌も豐富で、なにひとつ不足もないのでした。支那にある桃源境、西洋のユートピアといふものがどういふものか知りませんが、そのころのこの山間の生活はひよつとしたらそれに近いものではなかつたでせうか。さういふ生活がわたくしたちの覺え知らぬ昔から長くつづいてゐたのです。少くとも、わたくしたちが今日の不幸に陷ちた百年前まで。

 百年ほど前の或る日、仲間のうちの頭のよい者から、奇妙な申し出がありました。その申し出の斬新(ざんしん)さがこのやうな結果を招來しようとはさらに思ひいたらず、仲間たちはたちまちその説に贊同いたしました。いま考へますと、そんな思ひつきがなにから生まれたかと腹が立ちます。それは精緻(せいち)な理論と、明晰(めいせき)な科學的根據をもつてゐて、たしかに學問としての權威すら示してゐたのですが、じつはそれは表面だけで、眞の動機といふのは、たしかにただの退屈にすぎなかつたのです。眼の色を變へて勝敗をあらそふやうな精神の緊張はさらになく、空腹をかかへて食を求める切實さもなく、單調な明け暮れにぶらぶらとただ時間ばかりを消してゐるやうな毎日、權力にたいする反逆もなく、征服にたいする慾望もない平和な日々、かういふときには、ただ頭腦ばかりが活躍するほかはなく、さまざまの思索がくりひろげられ、強ひて思想と哲學の體系が組みたてられて、したりげに發表されますが、それを仲間たちはただ漫然と眠たげにきいてゐて、なかなか立派な思想だ、おどろくべきである、などとはいひますが、生活へつながつて來るものはなにもありませんからすぐに忘れてしまひます。かういふ狀態でありましたから、或るとき、仲間の一人のをかしな申し出が熱狂して迎へられたのでありました。その申し出がただちに行動につながつてゐたものであつたからです。

 鼻まがりで嘴が短かく、頭の皿の毛が茶色なので、仲間からは大して重きをおかれてゐなかつた一匹の河童が、その案の提唱者でした。彼はいふのです。科學に革命をもたらす實驗をする時が來た、それは音響に關する物理現象で、諸君の協力なくしては成りたたない、蹶起(けつき)をのぞむ、と。なにか鹿爪らしい理論と、妙な記號のついた方程式のやうなものを彼はわたくしたちに示しましたが、わたくしたちにはさういふ學問的なものはわからない。また興味もない。にもかかはらずそれに贊同したのはわたくしたちがすでに底知れぬ倦怠に腐りきつてゐたからです。ただ寢そべつたり欠伸(あくび)をしたり、頭のわるくなるほども眠つたり、用のあることといへば女とのたはむれくらゐのもの、したがつてやたらに子供ばかりを生んでゐるやうな生活。さういふやりきれぬ退屈さ。なんでもかまはないから、その單調を破るものを求めてゐた。そこへその仲間が全部がともかくも一つの行動に出る案を持ちだしたのですから、盲目滅法(めくらめつぽふ)に飛びついたわけです。またその案を提出した仲間とて同樣で、そんなことは退屈のあまりに考へ出したことにちがひないのです。ところがそれだつて、ただ、この谷の河童が全部揃つて、時刻をあはせて、一齊にどならうといふだけのことでした。これまではあらこらで勝手なことをしやべつてゐる、それを或る時刻にいちどきにみんなで喚(わめ)いたら、どういふ聲になるか、音響に關する物理現象の實驗といふのはそれだけのことです。これには多少の反對がなくもありませんでした。しかしそれは學説としてではなく、面倒くさいといふ者と、そんなことをしてみてもつまらないといふ者と、その提唱者を日ごろからこころよく思つてゐなかつた者とで、提案者がすこし腕力が強くて仲間から煙たがられてゐる者を買收して、反對者を説き伏せたので、ともかく全員一致、早速實行にうつることに一致しました。

 わたくしにはその日のことが忘れられません。どうして忘れることができませう。傳説のきびしい掟がその日たちまちわたくしたちの運命を轉換させてしまひました。しかも、その悲痛な宿命がきはめて簡單にあつけないほどの過程で、わたくしたちを今日の羽目におとしいれたのです。

 紅葉が谷をあかく染め、蜩(ひぐらし)ももう鳴きやんで落葉のにほふ秋のある日でした。わたくしたちは谷の窪地にあつまつて提案者の鞭のうごくのを凝視してゐました。赤毛で鼻まがりの河童は一段たかい丘のうへに立つて、右手に葦の鞭を握り、氣どつた樣子で頃あひをはかつてゐました。千匹ほどの河童たちは、老いも若きも、男も女も目白押しにならんで、奇妙な期待に胸ときめかし、鞭の振られるのを待つてゐました。これまでの退屈を破る試みに有頂天になつてゐました。まだ朝まだきで、木の間越しの陽(ひ)はさわやかに、しめつてゐる河童たちの靑苔色の甲羅を光らせ、皿の水に反射して、ぴかつぴかつとかがやきました。千匹の河童が一齊にありつたけの聲をしぼつて怒鳴る、どんな聲になるか? わたくしは好奇心でいつぱいでした。そして白狀しますとわたくしはそのとき良からぬたくらみを胸に藏してゐたのです。それは自分でぜひその聲をききたいが、自分が怒鳴つたのではきくことができない、自分の喚く響が鼓膜(こまく)にひびきますから、これは自分は聲をたてないで、全員の合唱を聞いてやらうといふことでした。この思ひつきは大いにわたくしの氣に入りました。千匹のうち自分一人くらゐ默つてゐてもわかる筈もないし、影響もあるまいと考へたわけです。それにしても約束を破ることになるので、すこしは氣がとがめ、きよろきよろとあたりをうかがひましたが、もとよりわたくしのひそかな企みなどたれも氣づく筈もなく、みな眼をむいて丘のうへの赤毛の河童が鞭を振るのを、ひどく興奮した樣子で凝視してゐました。

 やがて曲つた鼻のさきがにぶく陽に光つて、ちよつと背を反(そ)らすやうにすると、提案河童はけけつといふ鳥のやうな聲を發しました。いよいよ振るぞといふ合圖です。わたくしはこのときこの見榮(みば)えもせぬみすぼらしい河童がいまや嘗てない得意の心境にあることを看(み)てとりました。これまでは輕蔑されてゐたのに、いまや千匹の河童の指揮をしてゐる。この鞭一つで全體がどうにでもなる。その得意さはふと傲岸(がうがん)なひらめきと、一種復讐めいた眼の色となつて、物理現象に對する學問的情熱以外の不純なものを、あきらかにその姿態に示してゐました。わたくしはにはかに反撥を感じて、そのためにも聲を發しまいと思ひさだめました。この瞬間の動搖ののち、待望の葦の鞭がかすかに風を切つて振りおろされました。思はずわたくしは息をのみました。全身を耳にしました。

 なんといふことでせうか。わたくしはその刹那の恐しい息苦しさをいまでも慄然と思ひ浮かべます。けたたましく荒々しいどよめきが鼓膜をも破るひびきをもつておこると思つてゐましたのに、その一瞬は世にもめづらしい靜寂のひとときでした。あまりにも巨大すぎる響は無音の錯覺をあたへるともきいてゐます。そこでわたくしもひよつとしたらさういふことではないかと息をつめて、耳の穴をほじくつてみたのですが、やつぱりその瞬間の逼塞(ひつそく)は全然音響のないためのものであることがたしかに解りました。なんといふことか。たれひとり聲を出した者がなかつたのです。あきれたものです。丘のうへにぼかんと嘴をあけて立つてゐる河童の姿ががくんと折れるやうにくづれて、まるで提燈をたたむやうにしぼんでゆくのが見えました。わたくしもそのとき自分の身體の關節がゆるんで來て解體されてゆくやうな、空間に浮いてしまつたやうで、足がなくなつたやうな空虛さを覺えました。そして、頭腦のはたらきも緩慢になつてゐましたが、事態の推移だけはまだ判斷する餘裕はのこつてゐました。團栗のせいくらべであつたわれわれの仲間ですから、考へることも似たり寄つたり、自分ひとりの思ひつきとして得意であつたことが、じつは全部の共通した考へであつたわけです。みんながわたくしと同じ企みをいだいてゐた。その結果、荒々しい騷音のかはりに不氣味な沈默があらはれた。それだけのことです。指揮者に封する反撥があつたかなかつたか、それはわたくしにはわからない。わかつてゐるのはたれひとりとして聲を發する者がなかつたといふ事實だけです。そして、それだけで充分でした。全員絶叫のかはりに全員沈默といふまつたく逆の現象、効果、それは別の意味では學問としての價値を生じたかも知れないのに、そんなことなどはもう問題ではありません。この歷史的な一瞬ののちに、ゆるがすことのできぬ鐡の規律、かの戰慄すべき傳説の掟が冷酷にわたくしたらの頭上にくだつて來ました。

 この山間の平和な生活はあとかたもなく崩れて、ゆるやかであるが恐しい破滅がはじました。違約と驚愕とが精神と肉體とのどちらをも亡ぼして、指揮者をはじめ千匹の河童たらは、そのとき、靑いどろどろの液體となつて溶けてしまひ、いつかこの窪地に一つの淵ができてゐたのです。

 その時から百年經ちました。からつと明るかつた森の樹々はわれわれの身體から發散する靑苔の肥料のために、短時日の間に必要以上の成長を遂げ、枝ははびこり、實はしげり、毛髮のやうに氣根が垂れて、そこには女郎蜘蛛が巣をかけ、蝶や兎はゐなくなつて、蜥蜴や蛇が巣くひ、陽の光がささぬために羊齒や熊笹のしげつた斜面はいつもじめじめと濕氣があつて、毒茸の發生にはもつて來いとなつたのです。旅人が快適な步調で通つた場所であつたのに、いまは恐怖を持つて駈け拔ける不氣味な森林となりました。ごらんのとほり、この淵は千匹の河童が百年前に溶けてできたものですから、水源も出口もなく、重々しく腐るばかりです。さうして嘗ての平和な日のことを思ひおこし、悔恨と悲哀と苦惱と、ただ歎息ばかりをしてゐたわけなのです。

 あなたを待つてゐました。きいて貰へばいくらか胸の苦しみもなごんだ氣持がします。……あなたはなにをなさるのですか。なにをするのです?……おや、これはどうしたことだ? わたしはいつたいどうしたのだらう。あなたはどなたですか。……わたしたちの知己であるとばかり思つてゐたのに、わたしの錯覺だつたのか。百年の苦痛と沈默とでわたしの智慧もにぶつてゐたのか。あなたを見そこなつた。……あなたはわたしたちと無關係の人だ。知己を求めてゐたわたくしの感傷にすぎなかつた。……あ、この淵のなかに小便をしないでください。小便をしないでくれ。たのみます。たのむ。傳説の掟が恐しい。……なんといふ愚かなことか。……小便をかけられれば俺たちはまたもとの河童に後もどりしなくてはならん。それはいやだ。小便をしないでくれ。……あなたはなにもきこえないのだな。あ、あ、あなたは不具なのだな。もつともらしい樣子に騙(だま)された。落ちついた足音に馬鹿な期待をしたのが誤りだつた。落ちついてゐたんぢやない。眼がわるいから急いで步けなかつたんだ。深刻さうに見えたのは明き盲目だつたからだ。おまけに聾で、鼻も利(き)かないのだな。でなかつたら、この淵の臭氣をそんなに長く平氣で堪へられる筈がない。栗の下の石に腰かけてくれといつたときに、そのとほりにしたのは偶然の一致だつたのだな。……おい、やめてくれ。小便をするな。尿のために原型にかへるのは先祖からのならはしだ。俺たちはもう河童にかへりたくない。またあの單調で退屈な日が蘇(よみがへ)るかと思ふとぞつとする。俺たちは百年間、苦しみと悲しみと、回想と希望とですこしも退屈しなかつた。それで生き甲斐を感じて來た。いまのままで澤山だ。……やめてくれ。なんとかいへ。聾のうへに啞だな。……あ、たうたう初めた。もう取りかへしはつかない。……もう取りかへしはつかない。

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