宗祇諸國物語 附やぶちゃん注 隱逸の扉
隱逸扉(いんいつのとぼそ)
常陸の國に入りて、筑波山(つくばさん)、水無能川(みなのせがは)、櫻川(さくらがは)は名のみに、花もなごりなく散過ぎたれど、靑葉のかげ、波をそめ、時鳥の聲、はつかにきこゆるぞ、遊戯(ゆうげ)、猶、春におとらぬ。爰に又、時ならぬ霞山(かすみやま)にわけいれば、木々のこずゑを重て森々(しんしん)としげく、日影も洩れぬしげ山の、陰(かげ)くもりたる夏木立をぞ號(なづ)けてかくは、いふべけむ。里をはなれ、廿四町計り過ぎて、向ふを見やれば、東西南の三方(みかた)ふさがり、北の方を請けたる山鼻の岩(いは)つらに、片よりて、ひとつの柴の庵あり。方二間にたらずと見ゆ。かく立ちはなれたる方にも住(す)めばすむ人の有る哉、誠や西行法師の諸國修行(すぎやう)して、まゝかゝる事を見てしより、たゞにやみなんは、ほひなし、と集めて撰集抄となしけんも宣(むべ)なるかなと、おもひおもひたどりつきぬ。柴の戸おしあけてみれば、ひとりの僧あつて、本尊彌陀の前に首(かうべ)を傾ふけ、掌(たなごゝろ)を合せたり。今、勤行の折りと覺ゆ。云(もの)いひでんには、心、散亂せん、靜まりてこそ、と立ちたるながら、内のさまをみるに、捨つる世といひながら、いかに渡りたる朝夕の習ひにや。土の上に茅(かや)を敷きて座とし、茅を以て壁とす。松の枝を藤絡(から)みて佛壇となし、佛の前には燈明の土器有りて、火は消えたる香爐、徒(いたづら)に煙(けふ)り絶えて、花瓶に松のたちたるのみ、靑し。身にそふる麻ぎぬ、麻の衣の外、又なし。糧(かて)の用意と覺しき器財しかじかなく、石をかなわにし、土釜(とふ)ひとつ置き、ちさき桶(をけ)に竹の柄杓(ひしやく)、硯(すゞり)、筆(ふで)のみ有りて、書捨(かきす)てたる反古(はうご)、少々見ゆ。外(ほか)ざまに住家(すみか)みるだにいぶせく哀れなるに、立寄りたる調度(てうど)の有りさま、殊更に心すみて、いかなる人の德を隱してかくれ住むにや、早く、とはまはし、と思へど、既に一時(じ)計り、此の僧、終(つひ)に身じろく氣色(けしき)なく、合掌の手をゆるめず、さして唱ふる言葉もきこえず。ふしぎやうつぶしながら、寢つきたる物か、今は、ものいひてん、と、ちかくよりて、是や是や、と、いふに、又、答ふ事なし、手に取りつきて、言(もの)いふに、よのつね、ひやゝかにて、生ける身に、やうかはりて覺ゆ、こは、いかに、と腦(なづき)をいらふに、又、寒し、高聲(かうじやう)に言へども、つひに答へず。爰に知んぬ、此の人、往生の素懷(そくわい)をとげぬと、さぞな、命終(みやうしう)も、目出度き事、と思ひしらる。世には類ひなき隱逸の人も有りけり。身をうきものにし、世の常なきを辨(わきま)へて、山野にかくるといへど、又、かくのごとき人を見ず、手にちかき反古(ほうご)どもとりてみれば、類ひなき筆の跡して、歌どもかけり。無常と隱遁の心より外、又、他事なし。山居を卑下(ひげ)して讀めるにや、
草の戸にすむかひありと見えながら
木の間の月ぞ影くもりける
一所不住の心とおぼしくて、
松にだになるればしとふおもひあり
奧よりおくの山を尋ねん
元日と前書ありて、
一とせのきのふにくれておどろけば
ことしもけふの入相のかね
初發心(しよほつしん)の歌か、
名にたてる霞のやまをこゝろ見て
くらき道こそなげかれにけれ
終焉ちかき頃の歌なるべし、
かぎりあれば泊りの磯に住みはてず
霞の浦も春はくれ行く
此歌を案ずるに、泊の磯隱岐(おき)の國なり。此の人、其の國を離れ來て、爰に隱れたる事、しるし、海上いくばくの道をこえて、此山におりし、故こそ有るらめ、此の後、隱州(いんしう)修行(すぎやう)の次(つい)で、寺により、在家(ざいけ)に入りて、さる僧をしれるや、と、とへど、こなたに名をしらねば、年のほどゝ、その人のかたちとを語るに、定かにしる人なければ、止みぬ。書きのこす反古の中に、名と覺しき事のなかりしも、いつかうに名利を捨てたる人には有りけり。古歌なんども多く、自(みづか)らよめるも多く見え侍れど、事しげゝれば、のこし侍る。扨、彼の庵をくづし、薪(たきゞ)として一ぺんの煙(けむ)りとなし、死骨(しこつ)と本尊の彌陀とをとり奉り出づるとて、
とし月を松ふく風になぐさみて
つひの行衞も煙りなりけり
是より、信州に越えて善光寺に詣で、白骨(はくこつ)ををさめ、ちかきわたりに庵むすびて、念佛する僧の年高きに、此事を語り、本尊を守り參らせよといへば、一僧、打ゑみ、左計(さばか)りかけはなれたる桑門(よすてびと)に、結緣(けちえん)あらまほしく侍る、とて限りなくよろこび、佛をすゑ參らせ、卒都婆(そとば)、新(あらた)にして、無二に吊(とぶら)ふけしきなれば、爰に一夜とまり、能くあつらへつけてまかでぬ。
■やぶちゃん注
・「水無能川(みなのせがは)」現在は「男女川」或いは「水無川」と書き、「みなのがわ」と読む。現在の茨城県の筑波山に源を発し、筑波山の南麓で広大な田畑の中を細々と南流して桜川に合流する川。歌枕。
・「櫻川(さくらがは)」現在の茨城県の南西部を流れ、霞ヶ浦に流入する利根川水系の一級河川。桜川市北部の岩瀬地区の鍬柄峠付近にある鏡ヶ池を源として南へ流れ、土浦市のJR土浦駅付近で霞ヶ浦に注いでいる。世阿弥の謡曲「桜川」で有名であり、磯部稲村神社を中心として古くからの桜の名所として知られ、「西の吉野と東の桜川」と並び称される(ウィキの「桜川」に拠る)。
・「はつかに」ほんのちょっと。
・「霞山(かすみやま)」固有名詞ではなく、霞の懸かったとある山、ととる。それが本話柄のしっとりとした味わいのためにも、よい。
・「廿四町」二・六キロメートル強。
・「方二間にたらず」凡そ三メートル六〇センチメートル四方相当。
・「花瓶に松のたちたるのみ、靑し」この描写から、死後、数ヶ月と読む。
・「一時(じ)計り」二時間ほど。
・「腦(なづき)」頭部。
・「いらふ」「弄(いら)ふ」。触れる。
・「さぞな」「さぞ」(副詞「さ」+係助詞「ぞ」)の感動的表現。「なるほど・如何にも」「定めし」。
・「入相のかね」日暮時に撞かれる鐘の音。
・「初發心(しよほつしん)」悟りに向かう菩提心を初めて起こすことであるが、ここは寧ろ、そう心得て、遁世僧となった直後の新発意(しんぼち:出家したての若き僧)の頃の彼を指していると読みたい。
・「泊の磯隱岐(おき)の國なり」隠岐に現在、「泊の磯」に相当する地名はない。鳥取県東伯郡湯梨浜町泊に泊港は存在するが、ここは伯耆であって隠岐ではない。「海上いくばくの道をこえて」とある以上、明らかに隠岐にこの遁世者の故郷はなくてはならぬ。かの隠岐なればこそ、ここはまた、よい。識者の御教授を乞う。
・「事しげゝれば」何かとせねばならぬことが多く、相応の荷もあったので。見る通り、宗祇は彼を火葬になし、その骨を拾い、本尊の阿弥陀像とともに善光寺まで持って行って納め、その庵跡をも崩して焚き上げて追福していることなどを受けているのである。
・「あつらへつけて」(追善供養の儀を改めて)十全に依頼して。
本話、一読忘れ難い。私は怪奇談とは受け取らず、しみじみとしたリアリズムの映像として最後まで読む。「西村本小説全集 上巻」(昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊)の解題では殊更に「雨月物語」の「青頭巾」に似ている、とするが、私は「青頭巾」を愛することに於いて人後に落ちないつもりながら(リンク先は私の電子テクスト。他に私の教師時代の「授業ノート」及び正字正仮名遣版現代語の拙訳もある)、本話の方が遙かに自然であり、佳品であると思うている。

