宗祇諸國物語 附やぶちゃん注 連歌、知らぬ國
連歌不ㇾ知國(れんかしらぬくに)
播州印南野(いなみの)を過ぐるに、野中の淸水すみて、久しきもとの心をくみて、古き名所をも、とはまはしけれど、此のわたり、女郎花(をみなへし)のさかり、みごとなるにぞ、數ならねど、世をそむく我がために、あやなく、あだ名のたゝん、と、やすらひかねつ、行きも得ず、誠に別れを惜しむ歌(うた)社(こそ)あれ。
女郎花我れに宿かせいなみのゝ
いなといふとも爰を過ぎめや
爰に久しき行基(ぎやうき)の作とやらん、たとき藥師の像、まします。去んぬる應仁の兵亂に、此の堂も兵火の爲め、燒失しけるを、ちかき頃、再興して、今日、徑移(わたまし)のことぶきとて、連歌(れんか)の百韻を催ふし、一在のしかるべき者ども、集まり、席(せき)ぶり、物々しく居ながれたるが、兼日(けんじつ)の一順(じゆん)もなかりけるにや、當座の發句(ほく)を案ずる折りなりし、祇は、それとも不ㇾ知(しらず)、此の御堂の結構(けつこう)を人にとふに、しかじかといひしほどに、佛、拜まん、と寺前(じぜん)に詣ず、とある一間に座をしめて、文臺、硯、懷紙、いみじく、執筆(しゆひつ)の男、文臺わきに宗匠(そうしやう)とおぼしき法體(ほつたい)、首(かうべ)をかたぶけ、扇(あふぎ)手まさぐりたる、其の中に小賢(こざかし)き男、祇を見付け、御僧は都方の人と見え侍り。連歌など存じならば、休らひながら一順めされよとすゝむ。もとよりすける道さのみいなみもやらず、席にのぞむ。宗匠、祇に向ひしかじかの會(くわい)にて侍れば、わたましの心をこめて發句(ほく)し侍り、旅僧に脇(わき)を賴み侍る、と吟ずるを聞けば、
あたらしく作りたてたる藥師堂かな
といひて、會釋もなく、懷紙に書く、祇、是を味はふに、其の時節の季もきこえず、歌の下の句に似て、左にも非ず。發句にてもなけれど、一座のかんじけるほどに、祇もともに稱美するに、旅僧に脇を、と、のぞみけるまゝ、
物ひかる露のしら玉
と吟じければ、宗匠、聞きて誠に僧は連歌未練(みれん)に侍り、文字ふたつ不足いたし侍る、と、祇、こたへて、いやとよ、我が手習ひしは歌一首を上下にわけ、發句と付句(つけく)とになす、と侍れば、發句、既に二字あまるを此の脇にそへて、
あたらしくつくりたてたる藥師堂
かな物ひかる露のしら玉
と委細に吟し教ふるに、一座、肝をけし、宗匠、おもなげに成りて、名をとふに、白地(あからさま)にもかたらず、猶、此所に滯留して一道を指南しけり。是より、日每の連歌、間(ま)なく、一村、道を得けり。
■やぶちゃん注
・「播州印南野」兵庫県南西部に広がる播磨平野東部の「印南野(いなみの/いんなみの)」と呼ぶ、なだらかな段丘台地。明石川・加古川・美囊(みのう)川に囲まれた三角状を成し、東西約二十キロメートル、南北約十五キロメートル。古くは「伊奈美野」「稲日野」とも書いた。播磨町の大中遺跡などの弥生・古墳時代の遺跡が多い。台地の周囲を流れる河川と急崖で隔てられているために水利が悪く、近世初期になってやっと開発が始まった。溜め池が多い(平凡社「世界大百科事典」などに拠る)。
・「行基の作とやらん、たとき藥師の像」ここかどうかは分らないが、これらの条件で合致する現存寺院を調べると、播磨八薬師第一番霊場・明石西国第七番霊場である明石市魚住町西岡清冷山閼伽寺薬師院が候補にはなる。寺伝によれば、天平年間(七二九年~七四九年)に行基がこの地を訪れた際、錫杖を地に突き立てると霊水が湧き出し、その中から薬師如来の尊像が得られたので、帝に奏上、勅命によって創建されたと伝える。
・「徑移(わたまし)」通常は「移徙」「渡座」と漢字表記する。原義は貴人の転居の敬語であるが(神輿の渡御も言う)、ここは再興成って本尊薬師如来を仮の場所から新しい御堂に安置することを指している。
・「ことぶき」「壽(寿)」で慶事・祝事。
・「居ながれたる」「居流れたる」は、多くの人が上席から順に並んで列座する、居並ぶの意。
・「兼日(けんじつ)」「兼日題」の略で、歌会・句会などで、予め出しておく題及びその題で事前に作っておく歌や句。兼題とも言う。「当座」の対語。
・「一順(じゆん)」連歌や俳諧で会席に連なった人々が発句以下順次に一句宛付けて、それが一渡り終わること。このような落慶法要の席の場合、普通は兼日題によって準備されてあって滞りなく済むところである。
・「結構(けつこう)」ここはその寺院の由来や復興の経過、新御堂の善美を尽くした構築の様子やらを問うたのであろう。
・「おもなげ」「面無げ」で恥ずかしくて合わせる顔がない、面目(めんぼく)ない様子の意。
・「是より、日每の連歌、間(ま)なく、一村(そん)、道を得けり」女郎花の儚い美しさに宗祇が思わず去りがてになった「一道」を入った「一村」にて、連歌の心の「一道」を教え、それより村を挙げて連歌に「一心」を傾けるようになり、この「一村」、正統の連歌の「一道」を得たという二部構成になっている。連歌自体はつまらぬものだが、この結構はまことに結構である、と私は思う。