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2016/08/24

諸國百物語卷之一 二 座頭旅にてばけ物にあひし事

     二 座頭旅にてばけ物にあひし事


Zatoukuwaru

 ある座頭みやこのものにて有りけるが、田舍へ下るとて弟子を一人めしつれ、かた山里をとをりしに、日くれ、とまるべき宿なくて、ある辻堂にとまりけるに、夜半すぐるほどに、女の聲にて、

「これはいづくよりの御きやくにて侍るぞ。わが庵みぐるしくは候へども、是れに候はんよりは一夜をあかし給へ」

といふ。座頭きゝて、

「御心ざしのほど忘れは侍れども、たびのならひにて候へば、こゝとてもくるしからず候ふ。そのうへ、夜のほども、ちかく候へば、參るまじき」

といふ。弟子、申すやう、

「御心ざしのほどにて候ふに、かやうなる所に御とまり候はんよりは、たき火などにもあたり、湯水のたよりよく候はんまゝ御越し候へ」

と申す。かの女もひらにと、申しけれども、とかく、われらはこゝがよく候ふとて、物もいわずゐければ、

「しからば、此子を、すこしの間あづかり給はれ」

といふ。

「いやいや盲目のことなり、ことに夜中にて候へば、あづかり申す事なるまじき」

と、かたぎつて申しければ、

「それはあまりにつれなき事にて候ふ、ぜひにあづけ申す」

とて、さし出だす。弟子申すやう、

「少しの間にて候はゞ、それがし、あづかり候はん」

と申せば、師匠きゝて、大いにいかり、

「無用也」

と申せども、

「別のしさいあらじ」

とて、弟子、子をあづかり、ふところにいだきゐければ、女、かへりぬ。少しの間に此子ふところにて大きになりければ、師匠に、かく、といふうちに、此子、十四、五さいほどの子となりて、かの弟子をくひにかゝる。弟子、

「こはなにごとぞ」

とかなしむうちに、ほどなく、くひころしけるに、又、さいぜんの女の聲にて、

「師匠の座頭どのに、いだかれよ」

と云ふ。座頭きもをつぶし、家につたわるわきざし、□□箱にありけるが、取り出だし[やぶちゃん字注:底本では二字の判読不能字の右に『琵琶』と編者注する。]、

「なに物にても我にかゝらば一さし」

と、ぬきもちゐければ、此脇指(わきざし)に、をそれて、よりつかず。女、

「なにとていだかれぬぞ」

としかりければ、子のこゑとして、

「何としてもそばへよられず」

と云ふ。しばらく問答して、かの女も、いづくとなく歸りぬ。座頭、おもふやう、扨(さて)もおそろしき事にあひつるものかなと、脇指をはなさずもちゐけるほどに、夜もすでにあけぬ。さらば、立ち出でんとおもひ、道にかゝりてあゆみ行く、しかる所に、だれともしらず、人にゆきあひけるが、此人申すやう、

「いかに、座頭どの、今日はいづれより出でられ、いづれかたにとまり給ふぞ」

ととふ。座頭、有りし事ども物がたりしければ、

「それには、ばけ物のすむ所なり。ふしぎのいのちをたすかり給ふものかな。まづまづこなたへ入らせ給へ。くはしく御物がたりをも承り候はん」

とて家に入れ、いろいろの馳走(ちそう)をして、

「さて件(くだん)の脇指を一目(ひとめ)御みせ候へ」

といふ。座頭しあんして、

「いや此脇指は人にみせ申す事なり申さず」

とて、はばきもとをくつろげゐければ、又、かたはらより、

「見せずは、くひころせ」

と云ふ聲、あまた聞へける。扨(さて)は件(くだん)のばけ物ぞと心得、脇指をぬき、四方八方、きりはらひければ、しばらく有りて世間もしづかにそらもはれて、まことの夜こそ明けにける。それより座頭は、あやうき命をたすかり、やうやう都へ歸りけると也。此脇指、三條小かぢがうちたる銘の物なるゆへに、そのきどくありけると也。

 

[やぶちゃん注:本話も「曾呂利物語」巻三巻頭「いかなる化生(けしやう)の物も名作の物には怖るゝ事」に基づく、完全な同話。挿絵の右キャプションは「座頭ばけ物にくいころさるゝ事」。

「御きやく」「御客」。

「御心ざしのほど忘れは侍れども」不審。「忘れずは侍れども」ではなかろうか? 「ずは侍り」は「ずはあり」の丁寧表現ととれ、「ずはあり」は「ずあり」の強調表現であるから、「有り難いお志しの程は、これ、深く心に刻みおいてはおりますけれども」の謂いである。

「ひらに」何卒。是非とも。

「とかく、われらはこゝがよく候ふとて」ここも会話記号を附さないのは頷ける。「物もいわずゐければ」と後へ続く以上、上記の台詞は女にあからさまに答えたものではなく、弟子がそっちへ行きたいとぐずるのを、内輪で諭す師匠の言葉だからである。「我らはここが分相応なので御座るぞ、よいな。」というのである。

「かたぎつて」「かたきる」で「日本国語大辞典」に一方的に相手との交際や連絡を絶つという謂いを見出せる。出来ないときっぱり強く断って。ここまでの師匠の固辞があるのに、今度は子を預かて呉れなどとは言語道断という生理的拒絶感を思うと、自然な表現である。

「別のしさいあらじ」「しさい」は「仔細」で、ここは「不都合」「差し障り」の意。「別に、どうってこと、ありませんよ」。

「かく」「お、おっ師匠さま! こ、子(こお)が! な、何やらん、お、大きゅうなって参りまする!!」といったように叫んだのである。

「こはなにごとぞ」「こ、これっは! な、なんじゃあッツ!!!」

「かなしむうちに」歎き悲しみ、阿鼻叫喚する間(ま)もなきうちに。

「さいぜん」「先前」。

「なに物にても我にかゝらば一さし」「物の怪であろうが、盗賊の如き者であろうが、如何なるものをも我に襲いかかってきたら! これにて! 一刺し!」彼は座頭で目が不自由であるから、その子がみるみるうちに大きくなって頭から弟子を食い殺した(挿絵に従う)ことも知らず、女や子が変化(へんげ)のものと現認識しているわけではない点に注意しなくてはならぬ。それが後半の怪異のツボでもあるからである。

「ぬきもちゐければ」「拔き持ち居ければ」。

「をそれて」「恐れて」。但し、歴史的仮名遣では「おそれて」。

「はなさずもちゐけるほどに」「離さず持ち居けるほどに」。

「夜もすでにあけぬ」ものは見えずとも光りあるを僅かに感ずることはでき、また、虫の集く声の止んで、早朝の鳥の声が聴こえてきたのであろう。無論、それは総てが物の怪による演出、フェイクであることも知らんずに、なのである。なお、この時点で座頭は手探りして弟子の姿が消えており、多量の出血のあることなどを認知したであろうから、この時、かの女と子は、確かな人食いに鬼、変化のものと認識はしたはずである。

「いづれかた」「孰れ(が)方」。

「しあん」「思案」。

「はばきもとをくつろげゐければ」「はばき」は「脛巾」「行纏」「半履」などと書き、「脛巾裳(はばきも)」の略。旅行や外出の際に防護目的と、疲れを防止させるとして脛(すね)に巻きつけた布製のもの。後世の脚絆(きゃはん)と同じい。座頭がこの者(座頭が全く警戒しなかったのは声の主が男のそれであったからであろう)に気を許して、「はばき」のきつくまいたそれを緩めて足をくつろげ、ゆったりと座っていたところが。

『又、かたはらより、「見せずは、くひころせ」と云ふ聲、あまた聞へける』この声こそ、かの「女怪」の声なのである。それが「男」の「かたはらより」するということは、前の接待した「男」とは、それこそ、弟子を食い殺したかの「児怪」であったと読める。「あまた」というのは物の怪が複数いるというよりも、おどろおどろしく何重にも声が反響するという表現と読む。

「三條小かぢ」「三條小鍛冶」。平安時代の伝説の刀工三条宗近(生没年未詳)の流れを汲む刀工或いはその工房(古く、製鉄業者を相称して「大鍛冶(おおかじ)」と称したのに対し、特に刀鍛冶のことを限定して「小鍛冶(こかじ)」と呼んだ)。ウィキの「三条宗近」を参考までに引いておく。『山城国京の三条に住んでいたことから、「三条宗近」の呼称がある』。『古来、一条天皇の治世、永延頃』(十世紀末頃)『の刀工と伝える。観智院本銘尽には、「一条院御宇」の項に、「宗近 三条のこかちといふ、後とはのゐんの御つるきうきまるといふ太刀を作、少納言しんせいのこきつねおなし作也(三条の小鍛冶と言う。後鳥羽院の御剣うきまると云う太刀を作り、少納言信西の小狐同じ作なり)」とある』。『日本刀が直刀から反りのある湾刀に変化した時期の代表的名工として知られている。一条天皇の宝刀「小狐丸」を鍛えたことが謡曲「小鍛冶」に取り上げられているが、作刀にこのころの年紀のあるものは皆無であり、その他の確証もなく、ほとんど伝説的に扱われている。実年代については、資料によって』「十~十一世紀」・「十二世紀」等と幅があるとする。『現存する有銘の作刀は極めて少なく「宗近銘」と「三条銘」とがある。代表作は、「天下五剣」の一つに数えられる、徳川将軍家伝来の国宝「三日月宗近」』である。

「きどく」「奇特」。神仏の霊験(れいげん)。]

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