行脚怪談袋 芭蕉備前の阿川(あがは)にて難儀事 付 何と無く仇を報ずる事
行脚怪談袋下目錄
一芭蕉備前の阿川にて難儀事
付何と無く仇を報ずる事
一嵐雪上州館僑に至る事
付僧狐に化さるゝ事
一其角猫の戀發句吟ぜし事
付煙草屋長兵衞猫の報いを請くる事
一芭蕉筑前の小佐川を越ゆる事
付多吉夫婦靈魂の事
行脚怪談袋下
四の卷
芭蕉備前の阿川(あがは)にて難儀事
付何と無く仇を報ずる事
扨芭蕉は岡山の荊口が方を立出で、備後伯耆の方(かた)へと急ぎしに、備前岡山の先に丑まど云へる所あり。此の丑まどを越ゆれば、阿川と云ふ川あり、此の川は上は同國曾根川(そねがは)續き、下は海へ連なる、左程の大川にはあらざれども、波あらく瀨早し、然るに、備前より備後へ渡る海道なれば、旅人を通さんがために、所の者ども船を出して船わたしする、此の時ばせを此の所の渡し場へ來かゝり、ふねに乘りてむかふの岸へわたらん事を思ふに、未だ早朝の事なりしが、乘合の旅人もなし、船も岸へ着きて船頭とてもをらず、芭蕉思ふ樣(やう)は、いまだ早朝なれば渡し初まらずと覺ゆる也。此の岸に立ち居んも如何(いかゞ)なり、いづれへなりとも暫く休足(きうそく)なさんと、彼是(かれこれ)と見合す所に、酒屋と覺しき家只一軒見世をひらきありしかば、是幸ひとばせをは其(その)見勢(みせ)へ立寄りて申しけるは、我等は此の渡しを越える者なるが、いまだわたしも始まらずと覺え候間、始まる頃まで、此の見世に休足させ給はれと、則ち右の店の端に腰打ちかけ、渡しの方を見やりてぞいたりける。然る所に渡し場の船頭共と見えて、凡そ十四五人彼の酒やへどろどろとおし入り、酒を所望して出させて、いづれも數盃のみしゆゑ、大勢の事なれば、洒代多分なり、かの者共代物を拂ふ時に及びて、三百錢程も不足也。洒やの主(あるじ)此の不足なるが故に、合點なさずして申す樣、其許達には前々(まへまへ)より多分の酒代(さかだい)借りられ、甚だ迷惑也。其の上今日(けふ)も早朝より來(きた)られ、復候三百錢からんとの事、存じの外(ほか)なる事、且つまた早朝よりも斯く代物(だいもつ)の不足有りては、其の日一日の不吉なり。是非に三百文を出され候得、左(さ)なきに於ては、我等其許達の船頭へ、此の頃のかけを申し達し、すぐに寄らばともかくも、萬一には、諸人を渡して船頭より取らるゝ船賃を、引取り申さんと甚だ立腹をなしければ、船頭共は大きに困り入り、三百文出し度きには一錢もなし。又遣はさねば頭(かしら)の者へ訴られん事を恐れて、すべきやうなく見えけるが、其の中に一人、芭蕉が唯一人默然として居たるをちらりと見やり、殘りの十四人の者へ何やらさゝやきけるが、程(ほど)もあらせず芭蕉が側へづかづかと來り、さも大へいに立はだかりばせをに向ひて申す樣は、我等は當(たう)渡りの船頭どもなるが、今(いま)思はずも酒をのみ過ごし、代錢(だいせん)三百文不足なり。右に付近頃無心(こゝろなき)には候得共、御持合せあらば、三百文我等に御借(か)し給はれかし、何分賴み入ると、差つけがましく申しければ、芭蕉は是を聞きて、何れにも知らざる者、殊更借しくれよとは嗤(わら)はんとの事、然るうへは何のよしみもなき者どもなれば、無益の事に思ひ、殊更諸國修行の事、路錢(ろせん)とても貧しく遣ひ切りし故、三百文をくれん事は詮なき事と、則ち答へて申す樣は、我等は諸國修行の身、最も貧家(ひんか)の者なれば、路錢とても不自由也。據所なき御所望、有合せだに致しなば否(いな)とは申すまじきが、右の通りに候得ば、此の儀に於ては御斷り申し候と言ふ。彼の者共是を聞いて、無法にも大きにいかり、諸國修行も致さるゝ者が、多分の貯へなしと云うてなるものか、殊に人體(じんたい)より姿かつかうと云ひ、賤しき人とは見えず、然らば三百錢位ゐなき事は有るべからず、無きと申さるゝは僞りなり、我等も男なり。斯く申し出しては、是非乞ひ請けでおくべきや、愈々(いよいよ)借されすんばケ樣にして貰ひかゝると、大の男が尻引(しりひつ)からげ、熊の如きの腕をさしのぶ。ばせを大きに驚きしに、懷中へ手を入れさがし出さんとする、芭蕉彌(いよいよ)驚き、こは狼藉也とふりはなすに、殘りの十四人の者共も、おなじく腕をまくりて、ばせをへ取つて懸らんとする氣色(けしき)也。酒屋の亭主旅人の難義を見て、急ぎ中へわけ入り、彼の者共を押止(おしとゞ)め申しけるは、其許達は、興さめたるふるまひを致さるゝ物哉(かな)、誰れ人か未だ見す知らずの者に、大切なる金錢をくれるものあらんや、無體至極(むたいしごく)也と云へども、かの者ども曾(かつ)て聞き入れず、亭主ももてあましけるが、扨(さて)了簡(れうけん)なし、彼らに向ひて申す樣、其許等わづか三百文にて、斯(か)くみだれに及ぶ事、旅人の手前氣の毒千萬也、右に付三百文不足の處は、明日迄相待ち申すべし、右によりしづまりめされよと申しければ、大勢の者ども此の詞を聞き、然る上は明日まで待ちくれ候へと約束し、彼の者共は渡しの方へ出で行きけり。亭主後にて芭蕉に申すは、扨々不埒なる者共にて候。併し貴公の貸しあたへられざるを、此の上心にもかけ、渡し場のせついかなる僻事(ひがごと)か致し申さん、隨分心を付け給へとぞ申しける。ばせをも尤もなりとて答ふ。扨渡し場も始まり、彼是の旅人(りよじん)便船なせば、芭蕉も同じく汀へ至り、かの船に乘りけり。其の船頭はあやにくと、ばせをに錢(ぜに)を借りかけし男也。芭蕉は是はとは思ひけれども。早船も二三間(げん)河中(かはなか)へ出でければ、何知らぬふりにて乘りいたりしに、案の如くに彼(か)の船頭は、後(あと)より來りし外の船の船頭をまねきて、そのふねに大勢の乘合を移し。芭蕉一人此の船に殘し置き、川半へなると、船頭芭蕉が首を押へ、汝先刻能くも我等にかの錢を貸さゞりしぞ、其の御禮斯くの如くと、既に又懷中の物を取らんとす、ばせをあわやとおもひしが、遉(さす)が發句狂歌に名を得たる頓智才覺のもの、大いに笑ひて申しけるは、我等こそ諸國を修行の貧者(ひんしや)、何一文もたくはへあらん。されども我れに無心懸けられ、我れ貧によつてあたへざる事、げにも情なきに似たり。依之(これによつて)貴殿へ右然るべき金まうけ教へ申さん。その手段は、今(いま)晝(ひる)のうちに、岡山家の侍といつはり、京都四條の芝居の役者ども兩人、備後の方に越えんとて、此所の渡し場へかゝるべし。此の役者兩人して懷中に金子五百兩貯へたり。是我等岡山の城下より、此の後迄(あとまで)同道なして來るゆゑ。能く知り侍る所也。足下(そくか)何卒此者を待請けて、唯兩人船へのせ、ケ樣に川中に至らんせつ、如何敷(いかゞし)き申し事なれ共、右兩人ともに討殺(うちころ)し、彼の金子をうばひ取り、死がいは此の川へはめ給はゞ、誰れ知る者なく、手もぬらさず、幸福の身と成り給はん。かく告げし我等にも、此の先の何某(なにがし)と云へる方に待つべき間、金子二三十兩も給はば候へ、最早おし付(つけ)此の渡しヘ來(きた)るべし、何卒ケ樣に成して仕とげ給ふべし、我等三百文を用立てざる替りなりと、其の役者兩人の侍に出立(たちいで)し恰好衣類の色迄の、誠しやかに告げければ、邪欲貪取りの船頭、此事を實事(じつごと)と思ひ、大いに悦び、ばせをがえり元をはなし、却つて一禮して申す樣、御人には能くこそ告げ給へり。我れ人間と生れ、ケ樣の船頭なす事心うく思ひ、何卒樂の身の上とならん事を思へども、金子なければ是非もなき事也。何分いか樣の儀を成しても、金子を得んと思ふ所、夫れこそ一段の事なり。もし首尾よく仕とぐる事あらば、足下の宿(やど)へ尋ね行き、此の一禮申すべし、延引ならば惡(あし)かるべし。早速元の渡し場へ歸り侍ち出づるべしと、ばせををいぎ向ふの岸に上げ、自分はあわてたる體(てい)にて急ぎ其の船をこぎ戾し、元の渡し場へ立歸(たちかへ)る。ばせをからきさいなんをのがれ。岸へ上るや否や早足(はやあし)に其の所を立去り、備後の三吹(みふき)の方に至る。扨かの船頭は元の渡し場へ歸り、皆々は又も渡すに、自分は右の了簡有れば、曾て船を出さず、かの侍來るや否やと窺ふ所に、芭蕉が詞にたがはず案の如く衣類より恰好、我がまつ侍兩人來り、けんぺいに船を呼寄する、得手に帆と、かの船頭は己れが船をこぎ寄せ。右の侍兩人のみを乘せて、かひがひ敷く棹さし、則ち舟をこぎ出す程もあらせず、船川中にいたりし頃、彼の船頭は仕すましたりと、棹を打捨てゝづかづかと來(き)て、左右の手にさむらいの胸ぐらをつかみ、侍とは僞り誠は京都の役者にして、兩人金子五百兩を所持なしたらん。此方へ渡すべしと、既に懷中に手を入れんとするに、右の侍は大いにいかり、汝不屆千萬(ふとどきせんばん)なる者かな。我等はたれとかおもふ。岡山の家中にて名を得し相澤又七米澤(よねざは)民部(みんぶ)と云ふ者也。然るを役者抔と云ひなすのみか、却つて五百兩のきん子を所持なすがゆゑに、うばひ取らんとの事共、其の分にしてなり難し、言語同斷の賊(ぞく)、武士の手なみ是見よと、兩人船頭の兩手を取り、やはらの手にて彼の者を打落し。ねぢふせ上へのし懸り、兩人が刀の下緒(さげを)をつるべ、あはや繩となし、かの船頭を高手小手にいましめ、刀の胸打(むねうち)に。はつしはつしと打伏(うちふ)せ。その後船の艗(とも)に立ちあがり、此の船の船頭、我等にふとゞきをなす故により、斯くのごとくにいましめたり。外(ほか)の船頭來り、此のふねを向ひの岸へ着くべしと、高聲(かうじやう)に呼(よば)はる。此の詞に外のせん頭ども大いに驚き、急ぎ彼のふねへ入替り、あなたの岸へつけたり。其の後兩人の侍は此の渡しの船頭を呼付け。かの船頭が委細の手段(しゆだん)を語り、何樣(なにさま)ふとゞき成る次第なれば、其の分に成りがたしと云ふ。船頭も大きにおどろきしが、され共我が寄子(よせこ)の者なれば、色々にあやまり、夫れにても叶はねば、近所の町人どもを賴みて扱ひに懸け、樣々(さまざま)の事にて、船頭よりあやまり證文を出し、漸(やうや)く貰ひ受けしも、右體の無法者故、所追放にぞなしたり。右此の侍はばせを岡山より渡し手前まで同道なして來りしゆゑ。岡山の武士と知れしが、態(わざ)と役者なりとかのせん頭へ告げ、其の上にも五百兩の金を所持なせし抔と、跡方(あとかた)もなき啌事を言ひ聞かせ、彼等にケ樣の無法をさせ、却つて難儀を請けさせて、自分へ樣々(さまざま)ゆすりをいたせし仇(あだ)を、報ずべき頓そくの氣てん也。扨またばせをは、備後の三吹に至り、とある野邊を通りしに、頃は春の半、其の日はいと空も長閑(のどか)にて、暖氣(だんき)を催(もよ)ふし、右の原の傍に蕗の薹の賑々敷(にぎにぎし)く出でたるを見て、其の上阿川(あがは)にてせん頭の我れにひどくもあたりしを、だましすかし來れるよしをふくみ、強力なる船頭と云へども、頓智の志しには相手にたゝずと、
投入れや梅の相手に蕗の薹
と一句を吟ず。是自分を梅にたとへ、船頭をふきにたとへたる也。此の物語りかのせん頭の事も、ばせをのちに聞及び、廻國をはりて後に、門人へ是を咄せりと。扨々此の物語り、ばかばか敷(し)き事どもなり。ばせをこけにしたる噺(はな)しなり。
■やぶちゃんの呟き
・「備前の阿川(あがは)」不詳。現在の牛窓(次注)を越えた西にも東にもこの名を持つ河川はない(河川の旧称も管見したが、ない)。そもそもが「岡山の荊口が方を立出で、備後伯耆の方(かた)へと急ぎしに、備前岡山の先に丑まど云へる所あり。此の丑まどを越ゆれば、阿川と云ふ川あり、此の川は上は同國曾根川(そねがは)續き、下は海へ連なる、左程の大川にはあらざれども、波あらく瀨早し、然るに、備前より備後へ渡る海道なれば、旅人を通さんがために、所の者ども船を出して船わたしする」という叙述自体が奇異である。ここで芭蕉は「岡山の荊口が方を立出で、備後伯耆の方へと急」いだというのなら西に備中を横断して備後へ、或いは北に中国山地を山越えして伯耆へ向かわねばならないのに、岡山のずっと手前、東の牛窓を越えるというのは山陽道を戻ってしまっていることになるからである。そもそもが仮託の偽書なれば、同定すること自体に意味はあまりないのであるが、これほどひどい地理的矛盾は私には不可解にして不快である。「曾根川(そねがは)」(河川の旧称も管見したが、ない)という河川も当然の如く、現認出来ないのである。識者の御教授を乞う。この注の末も参照のこと。
・「丑まど」牛窓。岡山県南東部の旧邑久(おく)郡。現在は瀬戸内市内。直線で岡山の西南西二十一キロメートルに位置する。
・「二三間(げん)」三・七~五・五メートル弱。
・「右然るべき」「みぎ(、)しかるべき」。
・「邪欲貪取り」ママ。「り」がなければ「じやよくどんしゆ」(「貪取」は貪(むさぼ)り取ること)でリズムがよい。「どんとり」では如何にもお洒落でない。
・「えり元」襟元。
・「延引ならば惡(あし)かるべし」ぐずぐずしていていると(彼等が別な船に乗って渡ってしまって襲う機をあたら逃してしまうので)よろしくない。
・「三吹(みふき)」この地名も不祥。宿をとる以上、宿場でなくてはならないが、備後にはこのような宿駅はない。
・「けんぺいに」「權柄」。傲慢・尊大なさま。
・「得手に帆」「江戸いろはかるた」にある故事成句「得手に帆を揚ぐ」。「得手に帆を掛ける(上げる)」などとも称する。「得手」とは、最も得意とすることを意味し、追い風に帆を揚げるように「得意とすることを発揮できる絶好の機会に恵まれ、それを逃がすことなく利用し、自分の思うように事態を進めさせようとすること」を指す。
・「程もあらせず」大した手間も時間かけずに、間もなく。
「仕すましたり」「しすましたり」。まんまと思う通りにやり遂げたもんだ。
・「相澤又七」不詳。
・「米澤(よねざは)民部(みんぶ)」不詳。
・「やはら」柔術。
・「刀の下緒(さげを)」刀の鞘を着物の帯に結び付け、鞘が帯から抜け落ちないようにし、同時に不意に差している刀を奪われないようにするための鞘に装着して用いる紐のこと。素材は絹や皮革(主に鹿革)が用いられた。解いた長さは通常は約七尺強(二メートル二十センチメートル)あるので、人を縛って拘束するのに用いるには充分な長さがある。
・「つるべ」「連るぶ」で、本来は並べ連ねるの意であるから、二三重に重ねて強靭な拘束用の縛り紐となし、の謂いととっておく。
・「あはや」これは感動詞ではなく、「足速(あはや)」(スピードの速いこと)の副詞的用法で、「あっという間に」の意でとっておく。
・「高手小手」「たかてこて」と読む。両手を後ろに回して、首から繩をかけ、二の腕から手首まで厳重に縛り上げてしまうこと。
・「刀の胸打(むねうち)」棟打(むねう)ち。我々は通用、「峰打ち」と言っているが、正しくは「むねうち」である。
・「艗(とも)」舳(へさき/とも)に同じい。中国では船の船首に想像上の水鳥である鷁(ゲキ:白い大形の鳥で風によく耐えて大空を飛ぶとされた)の形を置いて飾りとしたことによる。
・「此の渡しの船頭」舟渡しの船頭の元締め。
・「かの船頭」悪心を起こして二人の侍を襲った船頭。
・「其の分に成りがたし」この場合の「其の分」とは、罪咎(つみとが)として軽く許し得る許容範囲で、それを逸脱している、最早、問答無用の斬り捨て御免のレベルである、と言っているのであろう。
・「寄子(よせこ)」元締めが纏めて支配している正規の人足としての配下の船頭の一人の謂いであろう。
・「所追放」これは私刑であると判断出来るので、所属する水主(かこ)集団及び居住地からの追放措置である。
・「跡方(あとかた)もなき」事実無根の。
・「啌事」「そらごと」(空言・虚言)と読ませていようが、用法としては誤りで、「啌」(音は「カウ(コウ)」には「叱る・怒る声」「漱(すす)ぐ」「喉の塞がる病い」の意以外にはない。
・「頓そく」「頓」智「即」妙の略か。但し、本来は「即妙」は「当意即妙」(素早くその場面に適応して機転を利かすこと)が正しく、「頓智即妙」という四字熟語は常用四字熟語ではない。
・「氣てん」機転。
・「強力」「がうりき」。力の強いこと。
・「投入れや梅の相手に蕗の薹」またしても芭蕉の句ではない。「續猿蓑」「卷之下」の「春之部」の、「梅 附柳」の五句目に出る、伊賀蕉門の一人で藤堂藩士であった友田良品(りょうぼん ?~享保一五(一七三〇)年)の、
投入(なげいれ)や梅の相手は蕗のたう 良品
で、「投入」は古華道で自然に限りなく似せて花を生ける手法を指す(現在の壺形・筒形の背の高い花器に生けた「投げ入れ」は近代の用語である)。参照した伊藤洋氏の「芭蕉DB」の「續猿蓑 巻之下 春の部脚注」によれば、句意は『投入れに梅の花を使うとすれば、相棒にフキノトウを使うと投入れに似つかわしい』とある。余り、面白い句とは思われない。
・「ばせをこけにしたる噺(はな)しなり」やや気になる。前で「扨々此の物語り、ばかばか敷(し)き事どもなり」と書いた話柄全体を批判した上で、かく言った場合、これは俳聖芭蕉自身を「虛仮(こけ)にした」(馬鹿にした)とんでもない話だ、という意でとれるからである。即ち、偽書を書いて筆者自身が、自分が書いた(素材は如何にも別な人物で幾らもありそうではあるから彼の純粋な創作ではない可能性が高い)このトンデモ咄を自ら空言だと否定するという、入れ子的でメタな捩じれを持った発言だからである。さればこそ、先に述べた地理矛盾の不信もやはり確信犯なのかと疑われてくるのである。