甲子夜話卷之二 9 蘭人獻上驢馬の事
2―9 蘭人獻上驢馬の事
寛政の比、驢を蘭人の官に獻じて、御厩の中に畜置れぬる由聞及ぬ。此事を思出れば、淸五郎に其形狀何にと問しに曰。鹿に似て較(ヤヽ)大なり。耳の長きこと壱尺ばかり。尾は枯て牛尾の如し。其餘は馬に異らず。蠻名をヱーシルスと云。予又乘用を問しに曰。其性鞍轡を受るに堪へず。因て驅行せん時は、繩を以て其首にかけて牽く。若し騎らんと爲るにも、手にて其耳をとり、徒(タヽ)脊に跨るのみ。然ども長ひくきが故に、乘者の足地につけり。因て足を屈して腹側につくれば、體の重さ倍するが故に、それを負こと能はず。脊傾て地につく。因て乘者の足地につけば、即跨下を脱け出づ。故に乘用に足らず。負ものゝかさ、僅に炭俵二つ位なりとぞ。某年小金に御狩せられし前、御召の御馬に鹿を見せ試んとて、御馬預り共の議せし時、急に野鹿を取獲べきならねば、比ヱーセルスを御厩の庭中に放ち、驅逐して御馬を試みしと云。然ば鹿に類して小なること想ひ料るべし。其走行くさま、跳ながら步すこと鹿に似たり。たゞ其行ことの遲きのみなり。又その尿、藥用になる迚、馬舍の内に樋を設て尿を取たりと。是以て思へば、唐畫に驢に騎たる人を圖したるは、此ヱーセルスにては非ざるか。本草者流にたゞし見るべきものぞ。又かの獸、馬舍の内にて子を産せりとなり。然ども牝多して牡少(マレ)なり。牽こと群行に非れば爲がたし。其聲高ふして轆轤の如く、甚きゝぐるしと云ふ。以上倶に鶴見氏が語なり。
■やぶちゃんの呟き
前項「2―8 富士馬の事」に登場した御馬預(おんうまあづかり)役の「鶴見淸五郎」からの聴き書きの完全連作。
「寛政」一七八九年から一八〇一年まで。第十一代徳川家斉の御世。
「驢」「ろ」。驢馬。哺乳綱奇蹄目ウマ科ウマ属ロバ亜属ロバ Equus asinus。ウィキの「ロバ」によれば、『中国には、全世界で飼育されているロバの』三分の一に『相当する頭数が飼われているにもかかわらず、古代から中国の影響を受けてきた日本では、時代を問わず、ほとんど飼育されていない。現在の日本のロバは』二百頭『という説もあり、多くとも数百頭であろう。極暑地から冷地の環境にまで適応し、粗食にも耐える便利な家畜であるロバは、日本でも古くから存在が知られていた。しかし、馬や牛と異なり、日本では家畜としては全く普及せず、何故普及しなかったのかは原因がわかっていない。日本畜産史の謎とまでいわれることがある』。『日本にロバが移入された最古の記録は』、「日本書紀」推古天皇七年(五九九年)、『百済からラクダ、羊、雉と一緒に贈られたとするものである。この時は、「ウサギウマ」』一疋が『贈られたとされ、これがロバのことを指していると考えられている。また、平安時代に入ってからも、幾つか日本に入ったとする記録が見られる。時代が下って江戸時代にも、中国やオランダから移入された記録がある。また、別称として「ばち馬」という呼び名も記されている』とある。
「蘭人の」この「の」は主格の格助詞。オランダ人が。
「官」幕府。
「畜置れぬる」「かひおかれぬる」。
「聞及ぬ」「ききおよびぬ」。
「思出れば」「おもひいづれば」。私(静山)が、このことをふと思い出しによって。
「何に」「いかに」。
「壱尺」三〇・三センチメートル。
「枯て」「かれて」。尾は馬と驢馬の最も形状が異なる箇所では、馬は全体がふさふさしているのに対し、驢馬はその先端にだけ毛が生えて(その尾の主幹の貧毛状態を「枯れて」と言っている)、しょぼく房状になっているだけである。
「ヱーシルス」驢馬はオランダ語では“ezel”(エーゼル)であるが、これはどうも学名の Equus asinus(エクゥス・アシヌス)という日本人には最も聴き取り難い発音(摩擦するs音が多い)を、かく聴き、かく音写したのではあるまいか?
「轡」「くつわ」。
「受る」「うくる」。装着する。
「騎らん」「のらん」。
「徒(タヽ)」「ただ」。
「跨る」「またがる」。
「長」「たけ」。丈。驢馬の体高(蹄から首の付け根まで)は七十九センチから高くても百六センチメートル程度で、概ね子どもの背丈ほどしかない。
「乘者」「のるもの」。
「足地につけり」「足(あし)、地につけり」
「因て足を屈して腹側につくれば」そこ(足が地面についてしまう状態を指す)で、騎手がその地面についてしまった足を曲げて驢馬の腹側にぴたりとくっつけてしまうと。
「體の重さ倍する」騎手の体重がそのまま丸ごと、地面に足がついている状態のほぼ二倍「負」「おふ」。
「脊傾て」「せ、かたむきて」
「即跨下を」「すなはち、こかを」「跨下」は股の下・またぐらの意。
「負ものゝかさ」「おふものの嵩(かさ)」。「嵩」は「量」でもよい。
「某年」「ぼうねん」。とある年。
「小金」「こがね」で、現在の千葉県北西部の松戸市北部の地区の古名。かつては水戸街道沿いの宿場町であったが、近世には江戸幕府直営の馬の放牧地「小金五牧(こがねごまき)」があった。
「御召の御馬に鹿を見せ試ん」「おめしのおんうまにしかをみせ、こころみん」。その時、将軍様が当日乗用することになっておられた御愛馬に「こやつに見たことがない鹿を見たなら、どのような反応を示すであろう? 事前に試みてその様子をみたい。」と仰せになった、というのであろう。自分の思うように操れないような過剰な反応を示して暴れるかも知れぬといった、不測の事態を想定したのである。家斉、なかなか用心深いぞ。
「御馬預り共の議せし時、急に野鹿を取獲べきならねば、比ヱーセルスを御厩の庭中に放ち、驅逐して御馬を試みしと云」直ちに御馬預(おんうまあずか)り役である我々が協議し、急に今すぐ、野生の鹿を「取獲」(「とりう」(獲得)と訓じておく)る(捕獲してくる)というのは、これ、とても出来難いことであるから、この野生の鹿と変わらぬ大きさである驢馬を、御厩(おんうまや)の庭の中に放って、我々がその驢馬を追い掛け回し、まさに鹿が飛び跳ねるようにさせて、御馬を試みて御座った、と鶴見が言った。
「然ば」「しからば」。
「料る」「はかる」。
「其走行くさま」「その走り行く樣」。
「跳ながら步すこと」「とびながら、あゆます(る)こと」。
「其行ことの」「その行くことの」。
「尿」「いばり」と訓じておく。薬効は不詳。但し、漢方では実際に「童子尿」として少年の小便が薬用に用いられており、民間でも健康法としての尿の飲用療法を今もよく耳にはする。
「樋」「ひ」或いは「とひ(とい)」。
「設て」「まうけて」。
「是以て思へば、唐畫に驢に騎たる人を圖したるは、此ヱーセルスにては非ざるか」これは驢馬には乗馬出来ないはずなのに、南蛮の驢馬の図には完全に蛮人が悠々と騎乗している。されば、それは「驢馬」と称しながら、実際の驢馬、即ち、ここで言っている「ヱーセルス」ではないのではないか? 驢馬であるはずの「ヱーセルス」とは違う別な「驢馬」がいるのではないか?
「本草者流にたゞし見るべきものぞ」本草学者(この場合は動物関係に詳しい博物学者)流(りゅう)に、種を判別考証同定し、異種か同種かを糺してしかるべき重大な問題であるぞ!
「馬舍の内」幕府の御馬預りの厩舎(きゅうしゃ)内。
「然ども」「しかれども」。
「牝多して牡少(マレ)なり」「メスおほくして、オス稀れなり」。これは単なるその♂♀のケースに過ぎない。ロバにそのような現象は見られないと思う。それはしかし、ロバ同士の場合である。いや、或いはこれは、厩の中で♀のロバが♂のウマと交雑して雑種を産んだのではないか? この場合、ロバが生んだとしか読めないから、とすれば、この最初出産のケースは、♀のロバと♂の馬の雑種であるウマ科ウマ属ケッテイ Equus caballus × Equus asinus の本邦での最初の誕生事例を記していることになる!(但し、彼ら(♂のロバと♀のウマの交雑種であるウマ属ラバ Equus asinus × Equus caballusを含む)は一般に不妊であるが、♀が多く、♂が稀れなわけではないと思う)
「牽こと群行に非れば爲がたし」「牽(ひ)くこと、群行(ぐんかう)に非ざれば爲(な)しがたし」牽いて行こうとしても、群れて活発に行動する性質(たち)ではないので、牽くのはすこぶる難しい。事実、ウィキの「ロバ」によれば、『ロバとウマは気質に違いがあると言われる。ウマは好奇心が強く、社会性があり、繊細であると言われ、反してロバは新しい物事を嫌い、唐突で駆け引き下手で、頑固であると言われる』。『実際、ロバのコミュニケーションはウマと比較して淡白であり、多頭曳きの馬車を引いたり、馬術のように乗り手と呼吸を合わせるような作業は苦手とされる』。『野生のウマは、序列のはっきりしたハレム社会を構成し群れを作って生活するが、主に食料の乏しい地域に生息するノロバは恒常的な群れを作らず、雄は縄張りを渡り歩き単独で生活する』。『ロバの気質はこうした環境によって培われたものと考えられる』とある。
「高ふして」高(たこ)うして。
「轆轤」「ろくろ」。この場合は、井戸の釣瓶(つるべ)を上下するための滑車、重い物の上げ下ろしに用いる滑車類などを指し、その軋(きし)る音にロバの鳴き声が似ているというのであろう。
「甚」「はなはだ」。
「語」「かたり」。