あまり勉強するな 梅崎春生
夏休みも終りに近づいて、うちの子供たちも、たまっている夏休みの宿題の整理に大わらわである。おやじも協力を要請されて、手つだったりしているが、どうもいまの子供たちの宿題の量は、私たちが子供の時のそれよりも、ずっと多いようだ。つまりいまの子供は、昔の子供より、ずっと多量の勉強を課せられているようである。そうなった一因は、戦後とみに激烈になった入試競争にたえて行かねばならぬことであろうが、しかしこの競争というやつは、とかく人間を非人間的に育てるものである。
現今の大学の入試競争というのは、たいへんなものらしい。
私が東大文科に入学したのは昭和十一年で、定員四百人に志望者が三百人そこそこで、もちろん無試験で、のんびりしていた。そのころ法科の方は、四倍か五倍の競争率で、四人か五人の同輩を蹴落して入学、さらにがりがりと猛勉強、同輩をぬきん出て役人の試験に合格したのが役人となる。
官僚というものの非人間的なつめたさ。中にひそむいやな立身主義などの一因は、その構成分子の役人たちが、学生時代に凄惨(せいさん)な競争をしてきたからではないのか。勝つためには相手をおとしいれるのも辞さぬという、あまりにも非人間的な競争の場に、若い時からしょっちゅう臨んできたからではないか、と私は思っている。
青年よ。あまり勉強をするな! 勉強が過ぎると、人間でなくなる。
[やぶちゃん注:本篇は昭和三三(一九五八)年八月二十九日附『毎日新聞』掲載。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。本篇を以って底本の「憂楽帳」パートは終わっている。]