博物学古記録翻刻訳注 ■17 橘崑崙「北越奇談」の「卷之三」に現われたる珊瑚及び擬珊瑚状生物
――前頭葉挫滅一周年記念――
[やぶちゃん注:「北越奇談」は文化九(一八一二)年に刊行された随筆集で全六巻。越後国の文人橘崑崙(たちばなこんろん)の筆になり、校合・監修・序文は稀代の戯作者柳亭種彦、挿絵はその大部分を、かの葛飾北斎が描いている(崑崙自身が書いた下絵を元にしており、一部には崑崙の自筆も含まれるが、以下の図は崑崙の落款がないので北斎が描き直したものと思われる)。底本は平成二(一九九〇)年野島出版(新潟三条市)刊(第五版)橘崑崙著「北越奇談」を使用したが、恣意的に正字化し、読みは振れるものだけに限った。その代り、読みの一部を本文に出して句読点も増やし、読み易く改変した。一部の歴史的仮名遣の誤りは訂した。踊り字「〱」は正字化した。【2017年8月13日改訂:本年8月4日より「北越奇談」の全電子化注を開始、遂にこの章に辿り着いた。本文を原典と校合して全面改稿し(一部の平仮名を恣意的に漢字化した)、注も再検討し、一部を修正した。本文校訂についての詳細はこちらの冒頭注を参照されたい。 藪野直史】]
玉石(ぎよくせき)
頸城郡(くびきごほり)米山(よねやま)の西三里に、土底(どそこ)と云へる濱(はま)あり。此所(このところ)の漁夫(ぎよふ)、三、四月の間(あいだ)、鰈魚場(かれいば)と云へりて、米山の海岸を離るゝこと、八、九里、佐州、荻(おぎ)の間(ま)見渡しなるに、船を放ち、網を下(さ)げ、釣を垂るゝ所、あり。凡(およそ)此の海底、數十尋(すじうぢん)の下、少し小高き島(しま)ありて、奇木奇石を生ずること、擧(あ)げて算(かぞ)ふべからず。「赤珊瑚(あかさんご)」・「黒珊瑚」・「青白琅玕(せいはくらうかん)」・「拂子石(ほつすせき)」・「木賊(とくさ)石」・「海松(うみまつ)」・「海柳(うみやなぎ)」等(とう)なり。左に図するごとし。「黑珊瑚」・「海松」の類(るい)は常に多し。實(じつ)に、交趾(かうち)合浦(がつぽ)とも云へつべき所なり。漁舟(ぎよしう)の網にかゝりて、根より引(ひき)拔けて上がるもの、多し。初め、水を出(いで)たる時は、水垢(みづあか)にて色も分(わか)らず、匂ひ、惡(あ)しく、手にも、執るべからざるがごとし。淸水(せいすい)に浸(ひた)し、よく洗ひ、日に乾(かはか)す時は、潤色光澤(じゆんしよくくはうたく)、其の奇、云ふべからず。又、自然に大風波(たいふうは)のために千切(ちぎ)れ來りて濱に打ち上げ、砂石(しやせき)の中(うち)に拾ひ得たるものは、殊(こと)に、光澤、絶妙なり。「拂子石」・「琅玕」・「木賊石」の類(るい)は稀(まれ)に、上がる。「赤珊瑚」のごときは、今は絶(たへ)てなしと云へり。十ヶ年前(せん)までは、數品(すひん)、日々(ひび)、漁夫の網にかゝり、上がると雖も、其の奇物(きぶつ)なることを知らず。皆、海底に打ち捨てたり。其折(そのおり)までは、たまたま、赤色(せきしよく)なるものもありし、と云へり。其の後(ご)、好事(かうず)の者、漁夫の話(わ)を聞きて、是れを尋ね求(もとむ)るにより、今は、舟ごとに賴むと雖も、其の求むる人、多きが故に、得ること、難(かた)し。故に價(あたひ)もまた、尊(たつと)し。一種、俗に「薩摩貝(さつまがひ)」と云ふ物あり。玉石に類し、「琅玕」に似(にれ)ども、光澤なく、形(かたち)、屈曲過ぎて、不ㇾ雅(が ならず)。初め、水を出る時、淡紅(たんかう)にして愛すべし。風雨に曝(さ)らす時は、即(すなはち)、白し。總(すべ)て珊瑚より以下、皆、海中にある中(うち)は、柔(やはら)かにして、玉石の類にあらざるがごとし。水を離れ、乾く時は、即、金石(きんせき)のごとし。予は、海濱に年々(としどし)遊玩(ゆふぐわん)して、已(すで)に五、六品(ひん)を得(う)。以(もつて)、好事の客(かく)にふけるのみ。其の余(よ)、北海(ほくかい)數(す)十里の濱(ひん)、皆、稀に此の奇木玉石を拾ひ得ることありと雖も、風波(ふうは)のために打ち上ぐる物にして、海底より直(たゞち)に引き上げたるはあらじ、と、覺ゆ。
[やぶちゃん注:以下、底本からトリミングして画像補正を加えた図版を示す。図版番号は私が附した。それぞれで出るキャプション及び本文を翻刻したが、読み易くするために句読点及び記号と、読み(推定)・送り仮名・訓読を添えた。字の大きさが有意に小さい箇所は割注と判断して、【 】で括った。本文に出ないものは、以下で先に注した。]
図版Ⅰ
・本文の最後の『風波(ふうは)のために打(うち)あぐる物(もの)にして海底(かいてい)より直(たゞち)に引(ひき)あげたるはあらじとおぼゆ』(私は一部を漢字化しているので異なる)が右端に出る。
・キャプション
珊瑚(さんご)【淡紅赤色。光彩、潤沢。根石付(づき)のところ、少し黑く、其の上、淡綠、次㐧に赤色也(なり)。】
[やぶちゃん注:「次第に赤色也」とは岩礁に附着している仮根(かこん)の上部の箇所は淡い緑色をしているが、上方に行くにしたがってだんだん赤みを帯びて全体に淡いしっとりとした感じの光沢のある紅色へと遷移する、の謂いであろう。]
青白琅玕(せいはくらうかん) 二種(しゆ)
【光彩、可愛(あいすべし)。石上(せきしやう)に生ず。】
[やぶちゃん注:「可愛」愛玩賞美するに最適である。]
図版Ⅱ
・キャプション
木賊石(とくさいし) 清白・黑節
【似琅玕(らうかんに にる)。奇玩(きぐわん)、絶品なり。】
【一根(いつこん)數莖(すうけい)なるもの、玉林(ぎよくりん)のごとし。】
[やぶちゃん注:一つの仮根から有意に複数の細い茎(くき)状のものが突出する個体は、まるで玉石で出来た美しい林を遠望するような趣がある。]
黒珊瑚(くろさんご)
【光沢、潤色。人を、てらす。】
[やぶちゃん注:その潤沢なる光彩を持つ茎状の箇所を近づいて見るならば、その人の顏さえ鏡のように映る、というのであろう。]
図版Ⅲ
・キャプション
海松(うみまつ)【一(いつ)に「鉄樹(てつじゆ)」。】
【潤黑色。葉、似榧(かやに に)、少しく高し。】
[やぶちゃん注:「一に」は「別名で」の意。
「潤黑色」「じゆんこくしよく」か。潤いを持った(光沢のある)黒色であろう。
「榧」裸子植物門マツ綱マツ目イチイ科カヤ属カヤ Torreya nucifera のこと。本種の葉の表面は濃緑色で光沢があり、革質で硬く、枝に螺旋状に附くが、これとこの「海松」の分岐した細部が似ている、というのである。]
海柳(うみやなぎ)【葉、細長し。】
図版Ⅳ
・キャプション
拂子石(ほつすせき)
【一根、數百莖を生じ、長き物、二、三尺、短(たん)なるもの、四、五寸。太さ、爲銀針(ぎんしんたり)。白玉鮮潔也。高さ、賢實にして折れやすし。机上の絶玩(ぜつぐわん)なり。】
[やぶちゃん注:「二、三尺」六十一センチから九十一センチ弱。
「四、五寸」十二センチから十五センチほど。
「爲銀針」(まさに)銀の針(そのもの)である。
「机上の絶玩なり」机上に飾って愛でるには最上の愛玩品である。]
図版Ⅴ
・キャプション
【海濱(かいひん)の俗、これを「しほごり」といふ。】
「塩凝」、漢名を、しらず。白色、堅實なり。
「菊銘石(きくめいせき)」の似て、麁(あらし)。肥大なるもの、五、六尺。
[やぶちゃん注:「しほごり」「塩凝」は本文には出ない。結構、同定が難しい。まずは、
刺胞動物門花虫綱八放サンゴ亜綱ウミトサカ目 Alcyonacea の一種を考えたが、彼らは炭酸カルシウムの骨軸を持たず、多肉質で軟らかいのでこれに当たらない(同定考証される場合は越後国の沖合(詳細は以下の注を参照)である点にも注意されたい)。なお、
海綿動物門石灰海綿綱 Calcarea に属する種群
は炭酸カルシウムから成る方解石やアラレ石で出来た骨針を持ち、死後も他の海綿と異なり硬いので、それも考えたが、同綱の種群は群体を造っても小さく、高さも直径も十センチメートルほどの淡褐色で、ここに示されたような大きさにはならない。お手上げである。図を最初に見た時には、容易に同定出来ると思ったのだが。識者の御教授を乞う。
「菊銘石」この場合は陸で発見され、古くから愛石家に珍重された軟体動物門頭足綱アンモナイト亜綱Ammonoidea の絶滅種群であるアンモナイト類の化石のことであろう。日本や中国では菊の葉を連想することから昔から「菊石(きくいし)」と呼ばれ、生前にキチン質で出来ていた殻の表面部分の殻皮を剥がし、磨きをかけて商品化される(「菊銘石」は現在、代表的な造礁サンゴの一つで塊状或いは半球状の群体を造る刺胞動物門花虫綱六放サンゴ亜綱イシサンゴ目キクメイシ科Faviidae の珊瑚をも指すが、ここはそれとは私はとらない)。
「麁(あらし)」粗い。
「五、六尺」十五センチから十八センチほど。]
図版Ⅵ
・キャプション
琅玕の類か、山中、石髓・乳石盤の類か。其の大なるもの、二、三尺。
俗に「薩广貝(さつまがひ)」と称するもの。水にあるとき、淡紅色。日(ひ)に曝すときは、淡白、堅實なり。
[やぶちゃん注:「山中石髓・乳石盤」やや、おかしな謂いである。海産の珊瑚或いは擬珊瑚様の生物を語っているのに、山中から出土する「石髓」(「玉髄」と同じならば石英の微細な結晶の集合体が岩石の割れ目や空洞を満たして放射状や葡萄状などを成して産したもので、含有する不純物の色によって紅玉髄・緑玉髄などと呼ばれて飾り石にする)或いは「乳石盤」(鍾乳石のことか)であろうか、と疑問文にしてあるからである。但し、筆者がそういったものが海底から出たとしても、陸にあるのだから、海の底にあってもおかしくないと考えたとしても、これは実はおかしくはないとは言える。しかし、石英の変成したものや鍾乳石が普通にしばしば浜辺に漂着したり、漁師の網に掛かるというのはこれまた逆に考え難いことである。そもそもこの図版Ⅵのそれは、そんなものじゃあ、ない(後の「薩摩貝」の注を参照)。]
□やぶちゃん注
・「頸城郡(くびきごほり)米山(よねやま)」新潟県中越地方と上越地方との境に位置する山。九百九十二・五メートル。江戸時代に北陸道が再整備された際、米山麓の米山峠には鉢崎関が設置され、出雲崎や佐渡島に向かう旅客を取り締まっていた。ここ(グーグル・マップ・データ)。北国街道一番の難所とされた。
・「三里」十一・八キロメートル弱。
・「土底(どそこ)」新潟県上越市大潟区土底浜。この附近(グーグル・マップ・データ)。
・「三、四月」陰暦なので注意。晩春から初夏である。
・「鰈魚場(かれいば)」カレイ目カレイ科 Pleuronectidae のカレイが多く獲れる海域を指すと考えてよい。場所はずっと南であるが、歌川広重「六十余州名所圖會」に「若狹 漁船 鰈網」の図がある。国立国会図書館デジタルコレクションのカラー画像をここで視認出来る。
・「八、九里」三十二~三十五キロメートル強。土底から佐渡へ北へ直進した場合、丁度、その半ばぐらいの距離に当たる。浜から南西へ直進したとも読めるが、船の位置や海域を確認するには直進した方が分かり易いと私は思う。
・「佐州」佐渡国。佐渡ヶ島。
・「荻の間(ま)」これは現在の佐渡市小木(おぎ)のことで、佐渡の南の端、小木半島に位置する。「間」はまさに前に注した通り、土底と小木の中間点を指すのではあるまいか?
・「見渡しなるに」「小木半島」を見渡す位置。半島が海域特定の指標となるのである。
・「數十尋(ぢん)」一尋は六尺(約一・八メートル)であるから百八メートルほどか。
・「赤珊瑚」現行では狭義には、
刺胞動物門花虫綱ウミトサカ(八放サンゴ)亜綱ヤギ(海楊)目サンゴ(骨軸・石軸)亜目サンゴ科 Paracorallium 属アカサンゴ Paracorallium japonicum
を指す(淡紅色のものは日本近海に何種かいるが、太平洋岸の深海に限られ、長崎県五島列島辺りならば、Corallium属ゴトウモモイロサンゴ Corallium gotoense は採れるが、ここでは挙げられない)。
・「黑珊瑚」現行では、
花虫綱六放サンゴ亜綱ツノサンゴ目全指亜目ウミカラマツ科 Antipathidae
に属する珊瑚類を広く指すが、後に「海松」が出るから、筆者橘崑崙は現在の種のレベルで違うある種群、或いは、一定の太さを持った個体を「黒珊瑚」、別なある種群或いは前者よりも有意に背の高い個体を「海松」として区別していたと私は推理する。後の「海松」の注も参照のこと。
・「靑白琅玕(せいはくらうかん)」単に「靑琅玕」ならば、八放サンゴ亜綱共莢(アオサンゴ)目アオサンゴ科アオサンゴ属アオサンゴHeliopora coerulea をまず名指せるのであるが、図版Ⅰの二種(二種を纏めて出し、ひっくるめてこう呼んでいることからは別種ではなく、成長度の異なる二個体と考えてもよいように私には思われる)は孰れもその形状からアオサンゴではない。同種は藍青色の骨格が多数板状に癒着し、骨格は石灰質で硬く、先端は波をうっていて一センチほどの厚さがあるゴツゴツとしてずんぐりした形状だからである(大きなものでは高さ一メートルにもなる群体を造る)。比較的浅海に棲む、
Corallium属シロサンゴ Corallium konojoi
ではなかろうか。同種は東シナ海から日本近海の広い範囲に棲息している。宝石珊瑚としては桃色珊瑚に分類されるものの、白を基調としている。中でも象牙色(淡黄白色)を帯びたものは希少性が高く、細工がより際立ち、仕上がりも美しいことから高値で取引される、と宝石関連の記事にある。図はシロサンゴ Corallium konojoi の枝の形状ともよく一致するように思われる。
・「拂子石(ほつすせき)」これは、
海綿動物門六放海綿(ガラス海綿)綱両盤亜綱両盤目ホッスガイ科ホッスガイHyalonema sieboldi
である。英名“glass-rope sponge”。柄が長く、僧侶の持つ払子(「ほっす」は唐音。獣毛や麻などを束ねて柄をつけたもので、本来はインドで虫や塵などを払うのに用いた。本邦では真宗以外の高僧が用い、煩悩を払う法具)に似ていることに由来する。深海産。この根毛基底部(即ち柄の部分)には「一種の珊瑚蟲」、
刺胞動物門花虫綱六放サンゴ亜綱イソギンチャク目イマイソギンチャク亜目無足盤族 Athenaria のコンボウイソギンチャク(棍棒磯巾着)科ヤドリイソギンチャク Peachia quinquecapitata
が着生する。荒俣宏氏の「世界大博物図鑑別巻2 水生無脊椎動物」のホッスガイの項によれば、一八三二年、イギリスの博物学者J.E.グレイは、このホッスガイの柄に共生するヤドリイソギンチャクをホッスガイHyalonema sieboldi のポリプと誤認し、本種を軟質サンゴである花虫綱ウミトサカ(八放サンゴ)亜綱ヤギ(海楊)目 Gorgonacea の一種として記載してしまった。後、一八五〇年にフランスの博物学者A.ヴァランシエンヌにより本種がカイメンであり、ポリプ状のものは共生するサンゴ虫類であることを明らかにした、とあり、次のように解説されている(アラビア数字を漢数字に、ピリオドとカンマを句読点を直した)。『このホッスガイは日本にも分布する。相模湾に産するホッスガイは、明治時代の江の島の土産店でも売られていた。《動物学雑誌》第二三号(明治二三年九月)によると、これらはたいてい、延縄(はえなわ)の鉤(はり)にかかったものを商っていたという』。『B.H.チェンバレン《日本事物誌》第六版(一九三九)でも、日本の数ある美しい珍品のなかで筆頭にあげられるのが、江の島の土産物屋の店頭を飾るホッスガイだとされている』とある。私は三十五前の七月、恋人と訪れた江の島のとある店で、美しい完品のそれを見た。あれが最後だったのであろうか。私の儚い恋と同じように――(画像は例えばこちら)。私の「生物學講話 丘淺次郎 四 寄生と共棲 五 共棲~(2)の2」も参照されたい。
・「木賊(とくさ)石」これは、
ウミトサカ(八放サンゴ)亜綱ヤギ(海楊)目角軸(全軸)亜目トクササンゴ科トクササンゴ属 Ceratoisis のトクササンゴ類
である。英文サイト“Ocean Explorer”のCeratoisis flexibilis の美しい縞を見よ!
・「海松(うみまつ)」こちらは、
六放サンゴ亜綱ツノサンゴ目ウミカラマツ科ウミカラマツAntipathes japonica
に同定しておく。「ツノサンゴ」「クロサンゴ」「マヨケサンゴ」などの異名を持つ。「角珊瑚」「黒珊瑚」の名は硬く黒い骨軸に由来するもので、「魔除珊瑚」は、昔、ヨーロッパでこの類の骨軸から作った御守が魔除けとして使われたことによるとされる。本州中部以南に広く分布し、水深十メートル以深の岩礁に着生する。通常の高さは五十センチメートル内外で、樹状群体を形成するが、時には二~三メートルの高さに及ぶものもある。一本の幹から斜め上方に向けて一平面上に広がった羽状枝を多数出して群体を造る(ここは平凡社「世界大百科事典」に拠った)。
・「海柳(うみやなぎ)」現行では狭義に、八放サンゴ亜綱ウミエラ目ウミエラ(半坐)亜目ヤナギウミエラ科ヤナギウミエラVirgularia gustaviana を別名「ウミヤナギ」と呼ぶが、これは相模湾以南に分布し、一〇メートル以深の砂泥海底に朱色の柄部で以って直立する(長さ三十~四十センチメートル)。発達した骨軸を中心にして、柄上部には紫色の三角形をした葉状体が羽根のようにあって、葉状体上縁には二百以上の大きなポリプが並んでいる。ところが、これと図版Ⅲの左のそれは全く一致しない。従ってこれは現在の「ウミヤナギ」たるヤナギウミエラVirgularia gustaviana ではないことが判る。寧ろ、これは同じ図版Ⅲの右手に「海松」として別種として掲げられてあるものとかなり相似的であることが判る。だから、これも、
花虫綱六放サンゴ亜綱ツノサンゴ目全指亜目ウミカラマツ科 Antipathidae に属する珊瑚類の一種と見た方が自然である。
・「交趾(こうち)・合浦(がつぽ)」「交趾」郡(ベトナム語:Giao Chỉ:「こうし」とも読み、「交阯」とも書く)は前漢から唐にかけて、現在のベトナム北部の紅河(水源は中国雲南省)の中下流域に置かれた中国の郡の名。後にこの地域が独立した後も、この地域をかく呼称し続け、日本でも「コーチ・シナ」(英語:cochinchina, cochin china)が永く使われた。「合浦」郡は漢代から唐代にかけて現在の広西チワン族自治区北海市一帯に設置された郡の名。ここは古くから合浦真珠で知られるから、それも含めて、孰れも南海の高級宝石である珊瑚の産地といったニュアンスに匹敵するという謂いである。ちょっと大袈裟。かく呼ばうなら、日本の南西諸島の方がより相応しい。
・「云へつ」ママ。
・「匂ひ、惡(あ)しく」多く珊瑚虫類の生体は海上に揚げると、独特の生臭さがあり、破損して網に掛かったり、近海へ漂着したものなどは、個虫が既に死んでいるか、死にかけているものが多いため、腐敗臭もかなり激しい。私は沖繩の海岸でその強烈さをかつて体験済みである。
・「十ヶ年前」「北越奇談」は文化九(一八一二)年刊行であるから、一八〇〇年前後とすると、寛政中頃から享和辺りである(一八〇一年が寛政十三・享和元年)。
・「舟ごとに賴む」網元ではなく、一人ひとりの舟を持つ漁師を個別に訪ね、珊瑚が獲れたら優先的に直接売ってくれることを依頼する。
・「薩摩貝(さつまがひ)」私は思うに、生体の色といい、コンガラガッた奇体な形状といい、これは珊瑚や鉱物なんぞではなく、クモヒトデの仲間で千メートルほどの深海底に棲息する、
棘皮動物門クモヒトデ(蛇尾)綱カワクモヒトデ(革蛇尾)目テヅルモヅル亜目テヅルモヅル科オキノテヅルモヅルGorgonocephalus eucnemis
或いはその近縁種の死亡個体の触手の断片ではないかと疑っている。何故と言うに、私は数年前、まさに佐渡の水族館で同種の巨大な生個体(標本は何度も見たが、生きたそれを現認したのはその時が初めてだった)を見たことがあるからである。何故、「薩摩」なのかは不詳。生時の色が薩摩芋の皮の赤味と似ているからか? オキノテヅルモヅルについては私の『栗本丹洲「栗氏千蟲譜」巻九』も是非、ご覧戴きたい。以下の同種の図はそちらで底本とした「国立国会図書館デジタルコレクション」のもの。当時は使用許可制であったが、総て事前に許可書を貰ってある。
・「海濱に年々(としどし)遊玩(ゆふぐわん)して」「遊玩(ゆふぐはん)」は賞玩・玩弄に同じい。所謂、毎年毎年、ビーチ・コーミングをして、の意である。
・「ふける」ラ行四段活用の自動詞で「見せびらかす」の意。
・「數十里」二百三十六キロメートル前後。現在の新潟県を沿岸に沿って計測すると二百六十キロメートルほどは確かにある。
・「濱(ひん)」ここのみ、音読みしている。
□やぶちゃん現代語訳
海産の玉石(ぎょくせき)
頸城郡(くびきごおり)の米山(よねやま)の西、三里のところに、「土底(どそこ)」という浜がある。
この場所の漁師は、毎年三月から四月の時期、「鰈魚場(かれいば)」と称する、米山の海岸線から離れること、真北へ八里から九里の、佐渡ヶ島の小木との中間のところ、その小木の半島を見渡せる海上に、船を流しつつ、網を海に下げ降ろし、鰈を始めとして種々の魚介を漁(すなど)る海域がある。
だいたいからして、ここの海底(うなぞこ)、周囲は深いのであるが、その辺りの数十尋(じん)の下方には、少し小高くなった岩根のあって、そこに奇木・奇石が、びっしりと生えておること、これ、その数を数えるに、枚挙に暇がないほどである。
「赤珊瑚(あかさんご)」・「黒珊瑚」・「青白琅玕(せいはくろうかん)」・「払子石(ほっつすせき)」・「木賊石(とくさいし)」・「海松(うみまつ)」・「海柳(うみやなぎ)」などがその主たるものである。
それらは左に図示したような形を成しておる。
「黒珊瑚」・「海松」の類は常に多く見らるる。
げに、本邦に於ける「交趾(こうち)・合浦(がっぽ)」――古えより、美しい真珠や珊瑚が獲れると聴き及ぶ、海の彼方、南方の海中の楽園――と言ってもおかしゅうない珍物(ちんもつ)の名所なのである。
漁師の小舟の網に掛かって、根の部分より引き抜けて、海上へと揚がってくるもの、これ、まことに多い。
当初、海水から出たばかりの時は、水垢(みずあか)で汚れきっており、その地(じ)色も定かでないほどに穢(きたな)く、加えて何とも言えぬ、ひどい匂いのして、手に執るのも憚られるほど、厭な感じのするものではある。
ところが、それを陸(おか)に揚げて、清水(しみず)に浸した上、よぅく洗い、陽(ひ)に乾かして見れば、その潤いをもった色彩や光沢、はたまた、その奇体(きたい)な形は、これ、言いようもなく、素晴らしい。
また、自然に大風(おおかぜ)や大波(おおなみ)のために、海底(うなぞこ)の岩根から千切れ流れてきて、浜にうち揚げられ、砂や石の中に拾い得たそれは、小さくなってはおるものの、自然の力にて、時をかけて磨かれてあればこそ、殊(こと)にその光沢、これ、絶妙である。
「払子石」・「琅玕」・「木賊石」の類は、ごく稀れに漁の中で揚がる。しかし、「赤珊瑚」のごときは、これ、今はまず、絶えて漁獲されることがない、と伝え聴いておる。
十年ほど前までは、毎日のようにそれら数品が漁師の網に掛かって揚がったと言うが、それが珍奇なる品として高値(こうじき)で取り引きされるなどということは、野夫(やぶ)のことなれば、全く知らなかったがため、これ、何と、皆、海底(うなぞこ)にうち捨てておったということである。
その頃までは、ごく、たまに、赤珊瑚のようなるものも揚がったと申す。
その後(のち)、好事(こうず)の者が、こうした漁師の古い話を聴き知って、これらの奇物(きぶつ)を執拗に訊(たず)ね求めるようになったによって、今は、それぞれ、小舟を持ったる漁師に一人ひとり個別に巡り訪ねては、奇物が揚がったらよろしく、と頼んでおるのであるが、これ、その奇物を求める者の方が多いがために、実際に珍品を得ることは、すこぶる難しい。故にこそ値段もまた、さらにさらに高値(こうじき)となっておる。
なお一種に、俗に「薩摩貝(さつまがい)」という奇物がある。
これも玉石に類するもので、先に示した「琅玕」と似てはおれども、光沢をまるで欠いており、またその形も、これ、異様に、ぐにゃぐにゃ、ごちゃごちゃ、と屈曲し過ぎておって、雅(みや)びな感じが全くない。これ、海水から揚がった当初は、淡い紅(くれない)を帯びており、私は可愛らしいと感ずる。但し、浜に漂着して風雨に曝(さら)されてしまったそれは、これ、全く白うなってしもうておる。
須(すべから)く、珊瑚より以下に掲げた物は、これ皆、海中にあるうちは、手触りは概ね軟らかであって、それは少しも玉石の類ではないようにしか見えぬ。ところが、これら、水を離れ、十分に乾いた時には、まさしくこれ、金石(きんせき)の如くに硬(かと)うなるものなのである。
私は、海浜に毎年、遊んでは、こうしたものを蒐集しきたって、そうさ、すでに名品と思われるもの、五、六品(ひん)を得た。と申せども、それを売り捌(さば)くというわけではなく、ただこれを以って、好事の客(きゃく)に見せびらかすだけのことで御座る。
その他(ほか)、この越後北海の数十里に及ぶ浜辺には、どこでも、今は稀れとはなったものの、この奇木・玉石を拾い得ることは、ある。とは申せども、それはたまたま、大風や大波のためにうち上げられた物であって、前に述べたような、海底より、直(ただち)に引き揚げた、欠けたところの少ないほぼ完品に近いものは、これ、望めまい、とは思うておる。