推理小説 梅崎春生
雑誌「宝石」が江戸川乱歩編集になって以来、毎号一人か二人かの文学畑の作家に、推理小説を書かせた。結果はどうであったかというと、雑誌評なんかではあまり好評でなかった。純文学の方では専門家でも、推理小説では素人だ。素人はやっぱりだめだ。乱歩編集長も道楽はもうやめた方がいい、というような批評が多かった。
私も書いて不評だった一人であるが、なぜ私が書けといわれたかというと、私が推理小説好きだということになっていたからだろう。江戸川乱歩編集長が編集員を帯同、威風堂々とわが家に来訪、執筆を慫慂(しょうよう)した。乱歩先生じきじきの慫慂では、断るわけにはいかない。
うちの子供たちなんかは、少年探偵団の団長が来たというので、大喜びであった。
引き受けてはみたものの、さっぱり自信はない。結局一カ月延ばしてもらって、苦吟して書き上げて送ったが、あまり会心のできではなかった。その反対のできであった。果たして評判も良好でなかった。
つまり私が推理小説が好きだということは、読むことが好きなのであって、書くことが好きなのではない。好きにも二種類あって、そこを誤解したのである。小説好きにも種類がある。
おれは犬が好きだ、という場合、愛犬家の意味の犬好きと、犬の肉を食べるのが好きだ、という二種類がある。それとよく似ている。つまり私は愛玩(あいがん)すればよかったのに、ついあやまって肉を食べて、失敗したのである。
[やぶちゃん注:本篇は昭和三三(一九五八)年一月十六日附『毎日新聞』掲載。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。梅崎春生の推理(風)小説については「南風北風」の「多情多恨」に注したように、昭和三〇(一九五五)年九月号『小説新潮』発表の「十一郎会事件」、昭和三二(一九五七)年一月七日号『週刊新潮』発表の書簡体探偵物「尾行者」辺りがあるが、孰れも初出は『宝石』ではない。ところが、ネット上で調べてみると、彼の小説の中では本格物推理小説と言える「十一郎会事件」は昭和三一(一九五六)年十一月一日発行の『別冊宝石 文芸作家推理小説集』(第九巻八号通巻六十号)にも初出している。書き下ろし出ない以上、これを指しているとは思われない。今一つ、「カタツムリ」という推理小説(沖積舎版全集未収録で私は読んだことがない)が『別冊宝石エロティック・ミステリー 十八集』(第十一巻十号通巻八十二号)に載るが、これは昭和三十三年十二月十五日発行で、本記事後の発表である。不審。]