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2016/08/30

諸國百物語卷之一 八 後妻うちの事付タリ法花經の功力

     八 後妻(うはなり)うちの事付タリ法花經(ほけきやう)の功力(くりき)

 

 むさしの國ちゝぶと云ふ山ざとに大山半之丞(をゝやまはんぜう)と云ふもの有り。かの男、あるとき、門(かど)に出でてゐけるに、諸國あんぎやの僧と、をりあわせて、半之丞をみて、

「其方は女の物のけ付きて、たゝりをなす人なり。御身、いのち、をわらんこと、ほどちかし」

と云ふ。半之丞おどろき、

「まづ、こなたへ入らせ給へ」

とて、をくにしやうじ、いろいろともてなし、扨(さて)、そのうへにて、半之丞、物がたりしけるは、

「かやうの事申すは御はづかしく候へども、さんぬる比、わが妻、産にてあひはてけるが、此ごろ、又、あたらしく妻をよびむかへけるに、かのふるき妻、此程、夢ともなくうつゝともなく、夜な夜な枕もとにきたりておどろかし候ふが、此さわりいかゞしてはらい侍らんや」

と申しければ、僧、きゝて、

「さればこそ、はじめよりさやうの物のけ有るべし、と、みへたり。さらば封じてまいらせん」

とて、かの男をはだかにして、身うちに法花經をかきて、かの女の塚のまへにつれゆき、

「かまへて、いかほどおそろしき事有りとも、かまへて、いきもあらくし給ふな」

といましめ、僧はかへりぬ。かの塚は、はるかに人家(じんか)をへだてたる山中(やまなか)にて、哀猿(あひゑん)、みねにさけび、鴟梟(しけう)、松桂(しやうけい)になきて、物すさまじき闇の夜に、おりしも、むらさめ、一とおりふりて、すでにその夜も五更(ごかう)におよぶころ、いにしへの妻(つま)、つかのすこしわれたる間(あひ)よりあらわれいでゝ、くるしげなるいきをつぎ、半之丞がうへに、こしをかけたり。又、二さいばかりなる子をつれたりしが、此子、あなたこなたへはいまわりて、

「父の足こゝにあり」

と云ふ。これは半之丞が身にきたるあら薦(こも)にてすれて、經文(きやうもん)のきへたる所にて有りしと也。母、よろこび見て、

「これは足にてはなし、經木(きやうぎ)也」

とて、おそれて立ちさりぬ。さてこの女ひだりの手には、ともし火をもち、右の手には子をいだきて、半之丞が屋敷をさして行きけり。すでに、屋敷、ほどちかくなるじぶんに、ともしび、きへけり。半之丞をみて、又こそわが家に來たりていかなるをそろしき目にもあわんとおもひ、身をすくめてゐたりしが、しばらくありて、後(のち)の妻のくびをひつさげかへりて、又はじめのごとく、半之丞にこしをかけて、女(をんな)子にむかつて云ふやう、

「さてもなんぢが父をとりころさんとおもひしに、いづくへおち行きつらん。今は是れまでなり。年月のほんもうを、とげたり。われ、生世(いきよ)のうちより、此女、われをてうぶくせしゆへに、われ、しゝても、ほむらのたへがたかりしに、今、かく、いのちをとりたる事の、うれしや」

とて、親子もろとも塚の内に入りければ、夜はほのぼのとあけにける。

 

[やぶちゃん注:「後妻(うはなり)うち」「うはなり」は、古代には正妻の意の「こなみ」の対語で、次に迎えた妻(側室)の意であったものが、生死別した先妻に対する後妻の意に変化した語源説は種々あるが、「うは」は「上」(上位・正統)、「なり」は「在(あ)り・成り」の意とするものが多い。而して「後妻打(うはなりう)ち」とは、正妻(或いは前妻)が側室や愛人(或いは自分が離別した後に先夫が迎えた後妻)を強く妬むこと、或いは妬んで実際の暴力的行為(直接・間接)に出ることを言う。なお、室町時代末頃から近世初期にかけてのその嫉妬感情に基づく民俗習俗としてもこの語が使われ、離縁された先妻が親しい女たちなど依頼して、現在の元夫の後妻に予告通知をした上で、後妻の家を襲い、家財などを荒らさせるという、けったいな合法的騒擾行為(行事・儀式)をもかく言うから、本書の成立時期もそこにかかり、この現実に見ることの出来た後妻の正妻への鬱憤晴らしの報復行為的儀式を念頭に置きつつ、本ホラーを書いたとも考えられよう。無論、後妻の嫉妬のモチーフは遥か古えからありはするが、寧ろ、その心理的なはけ口としての「後妻打ち」の半正当な風俗を目の当たりにしてどこかで納得した意識が(筆者は当然の如く男であろうが)、本篇の執筆動機の一つではあろうと私には思われる。話柄全体の濫觴を辿れば「牡丹燈記」であろう。これは、身体に書いた経文の功力という視覚印象の鮮烈さなどを一部で小道具(御札に変えて)として立ち現わせたりしつつ、後の上田秋成の「雨月物語」の「蛇性の淫」から三遊亭円朝の「牡丹燈籠」へ、そうして後妻打ちの真骨頂は小泉八雲の「破られし約束(リンク先は私の拙訳サイト版。私のサイト版原文はこちら。経文のヴィジュアルなどぎつさは同じ八雲の「怪談」の「耳なし芳一」。但し、これは八雲が典拠としたのは天明二(一七八二)年板行になる一夕散人(いっせきさんじん)著「臥遊奇談(がゆうきだん)」の第二巻「琵琶祕曲泣幽靈(びわのひきょくゆうれいをなかしむ)」に基づく妻セツの語りが原話とされる)へと裾野広げてゆく。

「功力(くりき)」功徳(くどく)の力。効験(くげん)。

「をりあわせて」「居り遇はせて」(「あわせて」は歴史的仮名遣の誤り)。たまたま行き逢い。

「をくにしやうじ」「奥に招じ」。

「さんぬる比」「去(さ)んぬる比(ころ:頃)」「さんぬる」は「去りぬる」が転じた連体詞で「過ぎ去った・さる」の意。先頃。先だって。但し、死んだ子(女児)が数え二歳となって「父の足こゝにあり」と明白に喋るほどに成長しているから、最低でも一年半近くは経っていなくてはならぬ。ごく直近の謂いではない。冥界では子は早く成長するとは私は寡聞にして聴かぬが、但し、心霊譚には赤子(型の物の怪や霊)が大人のように語るというシーンはよく出るから、まあ、一年以内としておこう。「こゝろ」の「先生」の自殺ではないが、二年も経っての所行では怨みのパワーが減衰する。

「産にてあひはてける」「産にて相ひ果てける」言わずもがなであるが、「相ひ」は死に果てた、その対象事実動機としての「産」という行為そのものを指す語であって、「子とともに」などという意味ではない。

「さわり」「障り」。歴史的仮名遣は「さはり」が正しい。

「はらい」歴史的仮名遣は「拂(はら)ひ」が正しい。

「いきもあらくし給ふな」眼には見えなくても、それが聴こえてしまうと亡霊が半之丞の存在に気づいてしまう惧れがあるからである。しかし、この禁止は以下の亡霊に身体の上に坐られるというシークエンスを見る限り、命を縮めるほどに苛酷であると私は思う。

「哀猿(あひゑん)」これで時節が示される。猿が甲高い声を挙げて叫ぶのを「哀猿」と呼び、悲壮感を煽るようなその響きから中国の古来より、「哀しみ」の象徴として詩歌に詠まれてきたが、これは実は猿の晩秋の頃の求愛行動であるからである。

「鴟梟(しけう)」「鴟鴞」現代仮名遣では「しきょう」で、この二字で梟(鳥綱フクロウ目フクロウ科 Strigidae に属するフクロウ類)の別名である。

「松桂(しやうけい)」松(裸子植物門マツ綱マツ目マツ科マツ属 Pinus のマツ類)や桂(被子植物門双子葉植物綱ユキノシタ目カツラ科カツラ属カツラ Cercidiphyllum japonicum)。

「むらさめ」「群雨・叢雨・村雨」。ひとしきり強く降って止む雨。強くなったり弱くなったりを繰り返して降る雨。にわか雨。驟雨(しゅうう)。

「五更」日の出前の二時間余りを指す不定時法であるが、季節から見て午前四時前から午前六時前に当たり、「およぶ」とあるので、正確な場面内時間は午前三時半過ぎ頃と考えてよかろう。

「つかのすこしわれたる」「塚の少し割れたる」。

「半之丞が身にきたるあら薦(こも)にてすれて」「あら薦」は「粗薦・荒薦」で粗く編んだ薦莚(こもむしろ)のこと。これも言わずもがなであるが、亡霊にばれないように半之丞は素っ裸なので、せめても寒さを凌ぐ(晩秋の秩父の奥深い山中である)ために莚を被っているのである。

「母、よろこび見て」「よろこびて見るも」の意。

「經木(きやうぎ)」供養のために経文を書くための薄く削った木。半之丞の足(恐らく脛(すね)であろう)の消えた周囲の法華経の文字を見て、かく誤認し、畏れたのである。

「半之丞をみて、又こそわが家に來たりていかなるをそろしき目にもあわんとおもひ、身をすくめてゐたりしが」この冒頭は「半之丞これをみて」の脱字であろう。後文も半之丞は自分のことで精一杯であることから(後妻のことなど考えている余裕がない、とんでもなく利己的な男である)、もし、家に自分が居たとしたら、「いかなるをそろしき目にもあわん」という謂いであるが、まあ、恐怖の極限状況にあるのであるから、ここの謂い方のおかしさはあっても、寧ろ、自然ではある。

「後(のち)の妻」後妻(うわなり)。

「ほんもう」「本望」。

「われ、生世(いきよ)のうちより」私の生前より。

「てうぶく」「調伏」。呪(まじな)いによって人を呪(のろ)い殺すこと。呪詛(じゅそ)。

「ほむら」「 焰」或いは「炎」。原義は「火群(ほむら)」で、ここは心中に燃え立つ激情、ここでは嫉妬と怨恨(瞋恚(しんい))のそれを譬えて言った。]

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