佐渡怪談藻鹽草 百地何某狸の諷を聞事
百地何某(なにがし)狸の諷(うたひ)を聞(きく)事
百地彌三右衞門(やさえもん)は、會友多き人にて、連俳或は酒盃の交りに夜を更(ふか)しけるに、享保九十の頃にや。秋の末、酒興に出會て、丑の刻斗(ばかり)に歸宅せしに、住所は雜藏谷にて有しが、醉に入(いり)て寢おしければ、竹椽(たるき)に出て、夜氣を請(うけ)居しが、高田六郎兵衞が宅は、中壱軒のみ隔てし。此老人、生得謠(うたひ)を好(このみ)て、其世に名をも稱せられし。去(さる)程に、閑暇には謠を口號みて老を養ひけるに、件(くだん)の夜も、諷(うたひ)をうたふ聲聞へければ、彌三右衞門聞て、
「斯(かゝる)深更にも、諷ふ程にこそ、功者とは成(なり)けり。いざ彼(かの)宅の邊りに行て、おもひも聞(きか)ばや」
とて、立出(たちいで)、高田老士が、寢間の窓ある小路へかゝりければ、老人は能(よく)寢入(ねいり)しとおもひて、鼾高く聞へ、諷(うたひ)の氣色嘗(かつ)てなし。
「扨さて)は何方にか」
と、耳立(みゝだて)すれば、聞えず。不審ながら、宅へ歸りて、椽(たるき)に出(いで)てきけば、始(はじめ)の如く聞ゆ。
「扨は方角の違ひたるか」
と、能(よく)々聞(きか)ば、右の方にあたりたるまゝ、又立出(たちいで)て、件(くだん)の小路を下り、大安寺の境内、藪垣の内を窺(うかゞは)ば、聲高く張立(はりた)て、『實盛』をうたひたり。老の齒の拔(ぬけ)たる息あひ、一體の仕かゝり聲、その如く、聲は彼(かの)老人より少し小聲にきこへて、いと面白く覺へければ、彌三右衞門、
「扨も諷(うた)ふたり」
と、譽(ほめ)ければ、ひしととゝまりて、ふたゝび聞へず。次の日、大安寺住持に逢(あひ)て、
「昨夜客にても有しや、醉夜に、もしや裏の藪に入て諷ひしか」
と、聞合(きゝあは)すれば、
「愚僧は心地よからず、宵より打臥(うちふし)て、客抔(など)は曾てなし」
と答ふ。
「扨は例の聞ゆる狸なり」
と決定して、人にも語り興じけり。
[やぶちゃん注:「百地」「百地彌三右衞門」不詳。姓の読みは「ももち」或いは「ももぢ」であろう。
「諷(うた)ふ」「諷」と「謠」が混淆しているが、「諷」も「節をつけてとなえる・諳(そら)んじて歌う」の意があるので、問題ない。
「會友」頻繁に直(じか)に会って交わる友の謂いであろう。
「連俳」複数で座を組んで行う連歌や俳諧(連句)のことであろう。
「享保九十」グレゴリオ暦一七二四年・一七二五年。
「酒興に出會て」外での飲酒を伴う会に出でて。
「丑の刻」午前二時頃。
「雜藏谷」古地名に確認は出来るが、位置は不詳。後の大安寺を右手とするところからは相江戸沢町の北の辺りか。
「寢おしければ」よい酔い心地で、寝るのも惜しい気がしたので、の謂いか。でないと、以下と繋がらない。
「竹椽(たるき)」「たるき」は「椽」のルビ。竹で作った縁側。
「夜氣を請(うけ)居し」少し酔いを覚ましている体(てい)か。
「高田六郎兵衞」同名の坑道の監督者を見出せるが、時代がずっと後で合わない。
「口號みて」「くちずさみて」と訓じておく。
「おもひも聞(きか)ばや」その風流をも相伴致そう。あくまで、邪魔をせずに、こつそりと聴きに行こうというのであろう。
「鼾」「いびき」。
「何方」「いづかた」。
「耳立(みゝだて)すれば」聞き耳を立ててみると。
「大安寺」「だいあんじ」。佐渡市相川江戸沢町に現存。浄土宗長栄山大安寺。慶長一一(一六〇六)年に初代佐渡奉行大久保長安が創建した寺。本堂左手に慶長一六(一六一一)年に建立された大久保長安の逆修塔(死後の冥福を祈って生前に自ら建てる墓)がある。
「實盛」世阿弥作の老武者斉藤別当実盛の心意気と無念を描く修羅物の複式夢幻能。梗概は「名古屋春栄会」公式サイト内の「実盛(さねもり)」を参照されたい。なお、作者世阿弥(正平一八/貞治二(一三六三)年?~嘉吉三(一四四三)年?)は室町幕府第六代将軍足利義教に嫌悪され、永享六(一四三四)年、実に七十一歳という高齢で佐渡国に流刑となっている(継承者問題で強要する義教に抵抗した結果、将軍に謀反した重罪人として処罰されたもの。嘉吉元(一四四一)年に義教が赤松満祐によって暗殺されると、一休和尚の尽力によって七十八歳になっていた世阿弥の配流も解かれ、娘夫婦の元に身を寄せたとも伝えられる)。
「仕かゝり聲」謠の始まりの箇所の発声法を指すか。
「ひしと」ぴたっと。
「とゝまりて」「ゝ」はママ。「留(とど)まりて」。
「扨は例の聞ゆる狸なり」これは高い確率で例の団三郎狸である。化けるばかりか、謡曲の「実盛」をいぶし銀で謠うとは、これ、「タダ」者、基、狸ではないぞ!(以下、謡曲「實盛」より。本文は新潮日本古典集成「謡曲集 中」を参考につつ恣意的に正字化し、一部表現・表記を改変した。読みは概ね、参考本の実際音のカタカナ表記をひらがなにして示した)
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…………
シテサシ〽笙歌(せいが)遙かに聞ゆ孤雲の上 聖衆(しよおじゆ)來迎(らいごお)す落日の前 あら尊(とおと)や今日(きよお)もまた紫雲の立つて候ふぞや
…………
シテ「われ實盛が幽靈なるが 魂(こん)は冥途にありながら 魄(はく)は此の世にとどまりて ワキ〽なほ執心の閻浮(えんぶ)の世に シテ詞「二百餘歳の程は經れども ワキ〽浮みもやらで篠原の シテ〽池のあだ波夜となく ワキ〽晝とも分かで心の闇の シテ〽夢ともなく ワキ〽現(うつつ)ともなき シテ〽思ひをのみ
上ゲ歌 シテ〽しのはらの 草葉の霜のおきなさび 地〽草葉の霜の翁さび 人な咎めそかりそめに 現はれ出たる實盛が 名を洩し給ふなよ 亡き世語りも恥かしとて おん前を立ち去りて 行くかと見れば篠原(しのわら)の池の 邊(ほとり)にて姿は 幻(まぼろし)となりて 失せにけり 幻となりて失せにけり
〈中入〉
…………
後シテ出端〽極樂世界に行きぬれば 永く苦界(くかい)を越え過ぎて 輪𢌞(りんね)の故郷(ふるさと)隔たりぬ 歓喜(かんぎ)の心いくばくぞや 處は不退(ふたい)のところ 命は無量壽佛(むりよおじゆぶつ)とのう賴もしや
…………
掛ケ合 ……シテ「唯上人のみ明らかに ワキ〽見るや姿も殘りの雪の シテ〽鬢髭白き老武者なれども ワキ〽その出立(いでた)ちは花やかなる シテ〽よそほひ殊に曇りなき ワキ〽月の光 シテ〽燈火(ともしび)の影
…………
シテ語リ「……さても篠原(しのわら)の合戰(かせん)破れしかば 源氏の方に手塚の太郎光盛木曾殿のおん前に參り申すやう 光盛こそ奇異の曲者(くせもの)と組んで首取つて候へ 大將かと見ればつづく勢(せい)もなし また侍かと思へば錦の直垂(ひたたれ)を着たり 名のれ名のれと責むれども終(つい)に名のらず 聲は坂東聲(ばんどうごえ)にて候ふと申す 木曾殿あつぱれ長井の齋藤別當實盛にてやあるらん 然らば鬢髭(びんひげ)の白髮(はくはつ)たるべきが 黑きこそ不審なれ 樋口の次郎は見知りたるらんとて召されしかば 樋口參り唯一目(ひとめ)見て 淚をはらはらと流いて あな無慚(むざん)やな 齋藤別當にて候ひけるぞや 實盛常に申ししは 六十に餘つて戰(いくさ)をせば 若殿ばらと爭ひて 先をかけんも大人氣(おとなげ)なし また老武者(ろおむしや)とて人びとにあなづられんも口惜しかるべし 鬢髭を墨に染め 若やぎ討死すべきよし 常々申し候ひしが 誠に染めて候 洗はせて御覽候へと 申しもあへず首を待ち 地〽おん前を立つてあたりなる この池波(いけなみ)の岸に臨みて 水の綠も影映る 柳の糸の枝垂れて
上ゲ歌 地〽氣霽(きは)れては 風(かぜ)新柳(しんりう)の髮を梳(けず)り 氷(こおり)消えては 波(なみ)舊苔(きうたい)の 鬚(ひげ)を洗ひて見れば 墨は流れ落ちて 元の 白髮(はくはつ)となりにけり げに名を惜む弓取りは 誰もかくこそあるべけれや あらやさしやとて 皆感淚をぞ流しける
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中ノリ地 地〽その後(のち)手塚の太郎 實盛が弓手(ゆうで)にまはりて 草摺(くさず)りを疊み上げて 二刀(ふたかたな)刺すところを むずと組んで二匹(にひき)が間(あい)に どうど落ちけるが シテ〽老武者の悲しさは 地〽戰(いくさ)には爲疲(しつか)れたり 風に縮める 枯木(こぼく)の力も折れて 手塚が下になるところを 郎等(ろおどお)は落ちあひて 終(つひ)に首をば搔き落とされて 篠原の土となつて 影も形もなき跡の 影も形もなむあみだぶ 弔(とむら)ひて賜(た)び給へ 跡(あと)弔ひて賜び給へ
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…………いやいや! 或いは! 年経て佐渡一の化け狸となった団三郎なればこそ! この二百九十年も前に島にやってきた作者世阿弥直々に、若武者に化け、その手解きを受けたものやも知れぬではないか!?!
「決定」「けつじやう(けつじょう)」。]