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2016/09/14

諸國百物語卷之二 三 越前の國府中ろくろくびの事

 

     三 越前の國府中ろくろくびの事

 

 

Rokurokubi

 

 ゑちぜんのくに喜多の郡(こほり)のもの、上(かみ)がたへのぼるとて、いそぐ事ありて、夜をこめてゆくに、さはやと云ふ野を過ぎけるが、この野に大きなる石塔あり。そのしたより、にわ鳥一疋いでゝ、道にふさがりゐけるを、よくよく見れば、女のくび也。此くび、かの男をみて、にこにこと、わらふ。男、さわがず、わき指(ざし)をぬきて、切りはらひければ、此くび、上(かみ)がたをさしてにぐるを、おふてゆく。行くほどに、府中の町、上市(かみいち)と云ふ所の、ある家の窓のうちに入りぬ。男、ふしぎにおもひ、門(かど)にしばらく立ちやすらひ、内のやうすをうかゞひ、聞きければ、女ばうのこゑにて、

「あら、おそろしや。たゞ今、ゆめに、さはや野をとをりければ、男、われをきらんとておひけるほどに、やうやう是れまで、にげかへりぬ」

と、夫をおこして物がたりしけるを、門(かど)なる男、これをきゝて、戸をたゝき、うちに入り、

「ちかごろ、そこつなる申し事にて候へども、われ、さはや野にて、かやうかやうの事にあひ、是れまでおわへ參りて候ふ」

と、はじめをわり、ねんごろにかたりければ、

「さては、さやうにて候ふや。扨(さて)々、罪業のほど、御はづかしく候ふ」

とて、夫婦(ふうふ)おどろき、そのゝち、かの女は夫(をつと)にいとまをこひ、京にのぼり、髮をおろし、嵯峨のをくに庵室をむすび、ぼだいをねがひて往生しけると也。

「ろくろ首と云ふものもある事にこそ」

と、人のいひける也。

 

[やぶちゃん注:本話も「曾呂利物語」巻一の「二 女のまうねんまよひありく事」(女の妄念迷ひ步く事)とほぼ同話であるが、ロケーションが微妙に異なる。『東京学芸大学紀要』(二〇〇九年一月発行第六十巻所収)の湯浅佳子氏の論文「『曾呂里物語』の類話」によれば、「曾呂里物語」の「北の庄」が、この「諸国百物語」では「喜多の郡」(調べて見たが、このような郡名は近世の越前国にはなく、それ以前の広域としての同国内(近世の越中・越後をも包含した)にも存在しない。不審である。或いはこの「北の庄」(以下の引用にある通り、現在の福井の旧称)を郡名に変えた架空のものか。(以上やぶちゃん))、『「かみひぢ」は「上市」、「北野真西寺」は「嵯峨のをく」とあり。「北の庄」は現在の福井の旧称。「上市」は福井県武生市上市町か(現在の越前市武生柳町・若竹町)。京都北野の「真西寺」は不明』とする。典型的な飛頭盤(ひとうばん)型(本体から首が伸びるのではなく、首が切れて離れて飛ぶタイプ――一般には細い糸のようなもので胴体と繋がっているとする。挿絵の石塔の下から首のところまであるのは首の動いた痕跡のようにも見えるが、そうした糸のように見ることも可能である――)轆轤首(ろくろっくび)である。詳細を語り出すと、フリーキーな私の場合、またまたエンドレスになるので、ウィキの「ろくろ首」をリンクするに留めておく。但し、この手の話はごく近代の都市伝説でもよく似たものを読んだことがあり、「ろくろ首」譚としては非常に人気のある話柄の一つであることが判る。また、私の『小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十八章 女の髮について (五)』の本文と私の注も大いに参考になるはずではある。是非、ご覧あれ。挿絵の右キャプションは「府中ろく轤くひの事」。

「越前の國府中」「府中」は国府のある場所であるから、それならば現在の福井県越前市国府が相当すると考えられてはいる(遺構は未発見であるが、ここであった可能性は高い)。

「さはや」不詳。漢字表記も不祥。

「にわ鳥」「鷄」。

「上(かみ)がたをさしてにぐるを」男が向かおうとしている「上方」を「指して逃ぐるを」。

「わき指」「脇差」。

「上がたをさしてにぐるをおふてゆく」「上方を指して逃ぐるを追ふて行く」。

「ちかごろ」「近頃」。ここは「近頃になき」の意から生まれた副詞で「甚だ」「大層」の意。

「そこつなる」「粗忽なる」。失礼なる。初対面でしかも深夜の訪問で、言わんとせんことも奇っ怪至極なことなれこそである。

「おわへ」「追はへ」。ハ行下二段活用の他動詞で、「追う・追いかける」の意。

「罪業」ウィキの「ろくろ首」に、『江戸後期の大衆作家・十返舎一九による読本『列国怪談聞書帖』では、ろくろ首は人間の業因によるものとされている。遠州で回信という僧が、およつという女と駆け落ちしたが、およつが病に倒れた上に旅の資金が尽きたために彼女を殺した。後に回信は還俗し、泊まった宿の娘と惹かれ合って枕をともにしたところ、娘の首が伸びて顔がおよつと化し、怨みつらみを述べた。回信は過去を悔い、娘の父にすべてを打ち明けた。すると父が言うには、かつて自分もある女を殺して金を奪い、その金を元手に宿を始めたが、後に産まれた娘は因果により生来のろくろ首となったとのことだった。回信は再び』、『仏門に入っておよつの墓を建て、「ろくろ首の塚」として後に伝えられたという』とある。]

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