諸國百物語卷之二 一 遠江の國見付の宿御前の執心の事
諸國百物語卷之二 目錄
一 遠江の國見付の宿御前の執心の事
二 相模の國小野寺村のばけ物の事
三 ゑちぜんの國府中ろくろ首の事
四 仙臺にて侍の死靈の事
五 六端の源七ま男せし女をたすけたる事
六 かゞの國にて土蜘女にばけたる事
七 ゑちごの國猫またの事
八 魔王女にばけて出家の往生を妨げんとせし事
九 ぶんごの國何がしの女ばう死骸を漆にて塗りたる事
十 志摩の國雲松(うんしやう)と云ふ僧毒蛇の難をのがれし事
十一 熊野にて百姓わが女ばうを變化にとられし事
十二 遠江の國堀越と云ふ人婦(よめ)に執心せし事
十三 奧州小松のしろばけ物の事
十四 京五でうの者佛の箔をこそげてむくいし事
十五 西江伊予(さいごういよ)が女ばうのしうしんの事
十六 吉利支丹宗門の者の幽靈の事
十七 紀伊の國にてある人の妾死して執心來たりし事
十八 小笠原どの家に大坊主(をゝばうず)ばけ物の事
十九 もりの美作(みまさか)どの屋敷の池にばけ物すみし事
二十 ゑちぜんの國にて亡者よみがへりし事
諸國百物語卷之二
一 遠江(とをとをみ)の國見付(みつけ)の宿御前(しゆくごぜ)の執心(しうしん)の事
京よりあづまにくだる人、遠江の國見付の宿にとまりけるが、さよふけがたの事なるに、つぎの座敷に女のこゑとして小(こ)うたをうたひけるが、この男、あまりになつかしくおもひて、そのこゑ、うるはしくやさしくて、きくに、なかなかたへがたかりしかば、次の座敷にしのび行きてみれば、灯(ともしび)もなし。いとふしぎにおもひて、まづ詞(ことば)をかけてこゝろみけるは、
「是れにまします御方(おんかた)さまは、いかなる御人(ひと)にてましますぞ。われは都のものにて候ふが、かやうの音曲(をんぎよく)はいまだ都にてもきゝ侍らず。あまりたへがたく候ひて、是れまで、しのびて候ふ也。ひとへに佛神の御引きあわせにてもや候ふらん。ねがはくは御そばにそひねをもゆるし給はらば、夜(よ)とゝもに御物がたりいたさん」
といへば、女、云ふやう、
「いやしき我等が身として、いかで都の御きやくにまみへ申し候はんや」
と、さもやさしげなるこはねにて、はづかしさうにこたへければ、この男、いよいよあこがれ、心もうちやうてんとなり、
「何とてさやうに御つゝしみなされ候ふや。わが身もいまださだまる妻とてもなし。此うへは二世までもちぎり申さん心ざしにて候ふ」
といへば、女、云ふやう、
「まことさやうに覺(おぼ)しめさば、一期(いちご)の妻とも御さだめ候はんとの神かけてのせいごんにて候はゞ、そのうへは、ともかくも仰(をゝせ)にしたがひ申さん」
といへば、男も、日本(につほん)國中、あらゆる神をせいごんに入れ、さもおそろしき神言(かみごと)をば、さまざまのべてくどきければ、女も心うちとけて、ひよくのちぎりあさからず、一夜を千夜とあかしける。程なくその夜もあけがたになりて、かの女のかほを見れば、成ほどみにくき御前なりければ、男をどろき、宿のていしゆにいとまごひもせず、にげ出でて、あづまのかたへ下りなば、さだめて、あとからおつかくべしと思ひ、ひつかへして都のかたへのぼりければ、天りうのわたしにて、あとを見かへりければ、かの御前、あとより、をつかくる。男、せんかたなくて、
「あとより來たる御前を切りころし、此川へながしてたべ」
とて、船頭をたのみ、脇指(わきざし)に金子(きんす)拾兩さしそへわたしければ、船頭、よろこび、かの御前を切りころし、水のふかみにしづめければ、男、よろこび、いそぎ、さきのしゆくにつき、日くれて宿(やど)をとりければ、夜半ばかりに、何ものともしれず、門をけわしくたゝきける。ていしゆ、たち出でゝみれば、けしき人にかはりて、すさまじき女にて、
「此うちに宿とりし都(みやこ)人にあわん」
と云ふ。ていしゆ、おどろき、身の毛もよだちて、
「いや、此うちに宿とりはなし」
といひて、門(かど)の戸、さして、うちにいり、たび人を藏(くら)のうちにいれ、さらぬていにてゐければ、かの女、門(かど)の戸を、けやぶり、うちに入り、こゝかしこと、たづぬるけしきなりしが、藏の内に、「あつ」と云ふ聲、きこへける。されども、ていしゆ、すさまじくおもひ、夜あけて藏にゆき、見ければ、かの男を二つ三つにひきさきをきけると也。すさまじきともいふばかりなし。
[やぶちゃん注:本話も「曾呂利物語」巻三の「四 色好みなる男見ぬ戀に手を執る事」とほぼ同話であるが、「曾呂里物語」では主人公は京から北陸道へ下る商人で、宿駅や川の名は伏せられている。本篇はもう「道成寺縁起」の強い影響下にある。私は道成寺説話のフリークで私のサイトでは「――道 成 寺 鐘 中――Doujyou-ji
Chronicl」という独立ページを作っている。未見の方は是非、お訪ねあれかし。挿絵の右キャプションは「見付の宿(しゆく)ごぜのしう心の事」。
「遠江の國見付」東海道五十三次の二十八番目の宿場である見附宿。ウィキの「見附宿」によれば、『現在の静岡県磐田市中心部。「見附」の名は、京から来て初めて富士山が見える場所であることから付けられたと』されるという。天竜川の左岸(江戸川)に『あたるが、大井川と違って水深があったため』、『主に船が使われており、大井川ほどの難所ではなかった。しかし川止めのときは島田宿』(東海道五十三次二十三番目の宿場で現在の静岡県島田市内。大井川の左岸)『などと同様に、足止めされた人々で賑わったとされる』。
「宿御前(しゆくごぜ)」底本のルビからみてもこれで一語。宿場で出逢った女性(尊称形)の意。瞽女(ごぜ)は盲目の門付女芸人(「盲御前(めくらごぜ)」の略。古くは鼓・琵琶などを用いて語り物を語ったが、江戸時代以降は三味線の弾き語りをするようになった)であるが、彼らを導く仲間の中には弱視や視力のある者も含まれていたから(本話の女性は視覚障碍者としては描かれていない)、この謂い方には、彼女が唄がうまいことを考えると、そうした広義の門付の流しを呼称するニュアンスも含まれている気はする。
「さよふけがた」「小夜更け方」。「小夜」は一種の美称に過ぎず、特に意味はない。
「たへがたかりしかば」「耐へ難かりしかば」。何か琴線に触れる艶やかな感懐を引き出すものであったがために、それとなく聴き流し、無視することがどうにも出来ずなって、の謂いである。
「灯(ともしび)もなし」灯し油も勿体なく思う恐らくは門付の賤民なのであるが、これ自体が怪異の伏線である。次に闇を照らすのは情念の焔(ほむら)、裏切られた女の男への執心の恋の炎であり、そうして、殺された憎しみの大紅蓮(ぐれん)なのである。
「そひね」「添ひ寢」。
「御きやく」「御客」。
にまみへ申し候はんや」
「こはね」「声音」。
「うちやうてん」「有頂天」。
「せいごん」「誓言」。
「さもおそろしき神言」如何にも大層な内容の神仏に誓った起請の文句。
「ひよくのちぎり」「比翼の契り」。
「成ほど」「なるほど」。副詞で「随分」「えらく」「なまなかではなく」。
「いとまごひ」「暇乞ひ」。「にげ出でて」とあるところを見ると、女中に宿賃+αを握らせ、ダッシュで出たのであろう。金を払わないで出ては、犯罪となり、女以外の追手まで心配しなければならなくなるから、絶対にそれはしないはずである。
「おつかくべし」「追つ驅くべし」。
「ひつかへして」「引返して」。
「天りうのわたし」「天竜の渡し」前の「遠江の國見付」注の引用を参照。
「たべ」「給べ」。懇請の尊敬語。
「脇指」脇差。当時は一般庶民でも旅では普通に「道中差し」と称する護身用の刀である脇差を所持していた。
「さしそへわたしければ」「差し添へ渡しければ」。
「かの御前を切りころし、水のふかみにしづめければ、男、よろこび」とある以上、天竜の右岸川岸の物蔭で、男は秘かに依頼した殺害の成り行きを見守っていたのである。
「さきのしゆく」「先の宿」。天竜右岸の浜松宿(現在の静岡県浜松市中心部。浜松城城下町)か、或いは、その「先」の舞阪(まいさか:現在の静岡県浜松市西区舞阪町)かも知れぬ。
「けしき人にかはりて」「氣色、人に變りて」。当然である。最早、生者ではない怨霊であるのだから。
「いや、此うちに宿とりはなし」「いや! ここの宿屋内(うち)にはお前さんの言うような都人風体(ふうてい)の者などは泊まって、おらぬ!」
「さして」「鎖(さ)して」。鍵を掛けて。
「さらぬてい」「さ(あ)らぬ體(てい)」素知らぬふりをすること。
「けやぶり」「蹴破り」。
「あつ」男の断末魔の叫びである。
「ひきさきをきける」「引き裂き置きける」。但し、「をく」は「おく」が正しい。]