夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅸ) 昭和四(一九二九)年 (上半期)
昭和四(一九二九)年
冒頭
わが胸の白く涯なき砂原に
赤裸の女がノタうちまはる
兒等ねむり妻もねむりて冬の夜の
何か悲しく風吹きわたる
四十越すわれと思へば冬の夜の
風そことなく眠られぬかな。
遠山のまだらの雪の悲しさよ、
日かげうら、に風のわたれば。
殺しても殺してもまだ飽き足らぬ
憎い男が葉卷を吹かす。
[やぶちゃん注:最後の一首の「殺しても殺しても」の後半は底本では踊り字「〱」。実はこの日記冒頭には、
木戸を出て空仰ふげば星靑し
世の大なる僞りのごと。
という一首が記されてあるのであるが、その直後の下方には、
(作者不明。淺香會員)
とあるので、採用しなかった(「淺香會」とは久作も参加していた福岡を活動拠点とした短歌結社)。これに続く以下は、明らかに猟奇歌の系譜で彼の短歌であるから問題ない。そもそも最初の、
わが胸の白く涯なき砂原に/赤裸の女がノタうちまはる
は前年末尾(十二月二十九日分)の、
胸のはてなく白き砂原に/裸身の女がノタウチまはる
の改稿であるからである。]
一月三日 木曜
天地のあらたまるらし、新玉の曉とほく雪のふりしく
[やぶちゃん注:この日は雪が終日降っている。日記本文内に、
池内君より「天地の命、ひやゝかに改まり、うつそみの我のむなしき悔ひじ」。吾が返し
として出る返歌である。]
一月六日 日曜
あの山が、白くなつたら歸らんせ、まねく芒が穗に出たら。
[やぶちゃん注:単なる俚謡の一節かも知れぬが、一応、挙げておく。]
一月八日 火曜
雨風のいく日を過ぎて芒山
けふは悲しくまだら雪積む
一月十一日 金曜
冬川の底に見付けぬ日の光り
冬の日のとすりの倉に殘りけり
[やぶちゃん注:「とすり」不詳。識者の御教授を乞う。]
一月十二日 土曜
井目が夜の明ける頃對となり
[やぶちゃん注:「井目」は「せいもく」で、囲碁の盤面に記された九つの黒い点のこと。「聖目」「星目」とも書く。但し、私には意味は分らない。]
一月十三日 日曜
これからが怖いのだよと靑くなり
一月十五日 火曜
霜の町議論してゆく男づれ
一月二十日 日曜
死にゆきし人は悲しも石塔に水打ちてやれば乾きてゆくも
一月二十二日 水曜
春なればなどかく妻子いとしきぞ
雲輕らかにわたるをみても
一月二十五日 金曜
滿月のまひるの如し屠殺場に
暗く音なく血潮したゝる
一月十二日 土曜
◇何者か殺し度ひ氣持ちたゞひとり
アハアハと高笑ひする
[やぶちゃん注:「アハアハ」の後半は底本では踊り字「〱」。これは昭和四(一九二九)年七月号『獵奇』に初出する「獵奇歌」の巻頭の一首、
何者か殺し度い氣持ち
たゞひとり
アハアハアハと高笑ひする
(「アハアハアハ」の後ろの二つの「アハ」は底本では孰れも踊り字「〱」)の初稿。]
一月二十八日 月曜
◇人淋し吾亦淋したまさかに
アハ……と笑ひてみれば
[やぶちゃん注:前の猟奇歌の本来の感懐、面目は、実はこの寂寥なのであろう。]
二月十一日 月曜
妻の味枕にしつゝ思ふかな
どこかひとりで旅行してみたしと
三月二日 土曜
この思ひ忘れむとするこの心
ひとり悲しも春の夜の風
三月四日 月曜
世知辛くなつたと甘い奴
三月十七日 日曜
山のあたり春の夜の風立つらしも
ねむらむとする心はるかに
三月二十九日 金曜
◇雨の夜半、自分の腹を撫でまはせば、
妖怪に似て、生あたゝかし
[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年六月号『獵奇』初出の「獵奇歌」の、
妖怪に似た生あたゝかい
我が腹を撫でまはしてみる
春の夜のつれつれづれ
の初案か。]
三月三十一日 日曜
◇自殺やめて壁をみつめてゐるうちに
ふと湧き出した生あくび一つ
◇こんな時ふつと死ぬ氣になるものか
枯れ木の上を白い雲がゆく
◇伯父さんへ此の剃刀を磨いてよと
繼子が使ひに來る雪の夕
◇埋められた、死骸はつひにみつからず
□山おかし、靑空おかし
◇知らぬ存ぜぬ一點張りで行くうちに
可笑しくなつて空笑ひする。
◇死に度い心、死なれぬ心、
互ひちがひに落ち葉ふみゆく、落ち葉ふみゆく
[やぶちゃん注:一・三・四・五・六首目は昭和四(一九二九)年六月号『獵奇』初出の「獵奇歌」の中の、以下の五首、
自殺やめて
壁をみつめてゐるうちに
フツと出て來た生あくび一つ
伯父さんエ
此の剃刀を磨いでよと
繼子が使ひに來る雪の夕
死に度い心と死なれぬ心と
互ひちがひに
落ち葉踏みゆく落ち葉踏みゆく
埋められた死骸はつひに見付からず
砂山をかし
靑空をかし
知らぬ存ぜぬ一點張りで
行くうちに可笑しくつて
空笑ひが出た
の初稿であろう(発表順列順)。以下、四月と五月三十日までのほぼ二ヶ月間の日記には詩歌は一篇も記されていない。]
五月三十一日 金曜
◇昇汞を飮みて海邊に叫ふ女
大空赤し赤し
◇人形の髮毛むしりて女の兒
大人のやうにあざみ笑へり
◇お白粉と野菜と血潮のにほひを嗅ぎて
吾は生きて居りカフヱーの料理番
[やぶちゃん注:「叫ふ」はママ。「赤し赤し」の後半は底本では踊り字「〱」。
「昇汞」「しようこう(しょうこう)」は塩化第二水銀で、ここは「昇汞水」、塩化第二水銀を水で薄めたもののこと。ウィキの「塩化水銀(II)」によれば、嘗ては消毒液や防腐剤として使用されていたが、『毒性が強いために現在では使用されていない』。塩化第二水銀は『腐食性で非常に強力である。生物の血液に付着すると無機の水銀は蛋白質に結合』、『皮膚に直接触れると皮膚炎や神経系の異常を起こすことがあり、いらだち、不眠、異常な発汗などの原因に繋がる』。『水で薄めた昇汞水の致死量でも』〇・二~〇・四グラムほどで、『誤って一滴でも飲んでしまうだけでも生命にかかわる』とある。
「あざみ笑へり」の「あさみ」は「淺(あさ)む」が古形で「侮る・蔑(さげす)む」の意。]
六月一日 土曜
いつしかにふる出でにけむ軒の樋
おどろに鳴りて春の夜更けぬ
六月八日 土曜
畠中に雲雀ひた啼く曇り空
何かうれしくうなだれて行く
六月十一日 火曜
停電のともりし刹那故郷の
妻の戀しく起きて文書く
六月十三日 木曜
美しき衣着てゆく人の群れ
夜更けぬればわけて悲しも
六月十九日 水曜
紫のなすびの花のしみしみと
嵐のあとのまひるはるかも
[やぶちゃん注:「しみしみ」の後半は底本では踊り字「〱」。「〲」ではない。]
« 明恵上人夢記 52 | トップページ | 私は客観的にも主観的にも自分自身に飽きた。 すべてに、すべてに関するすべてに飽きた。 »