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2016/09/23

佐渡怪談藻鹽草 寺田何某怪異に逢ふ事

     寺田何某(なにがし)怪異に逢ふ事

 

 寺田彌三郎、下戸の役館に、【御番所向ふに二ケ所役地有、上の段の役家なり】居住しける頃は、享保のはじめなるが、或(ある)日御番所勤番にて、同役泊番に引渡して、暮六ツ半頃、御番所より出でゝ、私宅へ歸りけるが、纔(わづかに)、五七間歩行して、裏町通りの小路へ懸(かゝ)るに、いとゞくらき闇の夜の、猶しも東西をわかぬ程に、くらく成(なり)て、向ふへ行(ゆか)ば、物つかへるやふに成て、ゆかれず。どちらへ行て見てもをなじければ、私宅の方角をも失(うしなひ)し程に、暫(しばらく)心をすまして、又行て見れ共、つかへて行事(ゆくこと)ならねば、

「是は何條狸などの仕業、ござんなれ、いで物見せん」

とて、刀を拔(ぬき)て切拂(きりはら)へば、少し手ごたへする樣にて、明るくなり。行て見れば、どちらへも自由なれば、宿所へかへらず、大津屋小右衞門と言へる、問屋宅の、燈のあかり明らかに見ゆれば、門よりつと入(いり)て、燈臺の下へ至り、刀を拔て、すかしみれは、切先に少し血付きたり。されど、隨分のかすり手と見ゆれば、詮なく思ふに、小右衞門家内のものは、

「何事故(ゆえ)、かくは刀をぬき給ふや」

と、恐れわなゝひぬるを、

「氣遣の事にはあらず。かよふかよふ」

と物語て、暇乞(いとまこひ)、立出(たちいで)ぬ。扨(さて)、前の通りかゝりけれ共、何の事なく、歸宅せしとぞ。其頃窪田松慶、二ツ岩團三郎方へ、療治に行し沙汰有(あり)しが、此彌三郎が説も、同じ頃の事なり。

「必定(ひつじやう)、彌三郎が、手を負(おひ)せし物の療治せしに、疑(うたがひ)なし」

と、聞(きく)もの、奇異の思ひをなせりけるとぞ。

 

[やぶちゃん注:素晴らしい! 前話窪田松慶(くぼたしようけい)療治に行(ゆく)事とほぼ同時制の出来事を、別班体勢で撮ったサイド・ストーリー・ホラーではないか! お美事!! 脱帽!!!

「寺田何某」「寺田彌三郎」末には「其夜、寺田彌三郎と言(いふ)士、下戸御番所の邊にて、怪異の物を切(きり)しよし」とあった。

「下戸」「おりと」。注参照。

「役館」官舎。

「御番所向ふに二ケ所役地有、上の段の役家なり」下戸(おりと)御番所の向うには二ヶ所の公用地があり、その上の段に作られた官舎である。

「享保のはじめ」注参照。

「暮六ツ半頃」不定時法であるが、の初めに初冬とあったから、午後六時十五分頃でる。松慶の所に急患往診の使者が来訪したのは「亥の刻」、午後十時頃である。本篇の事件は午後六時半を回った辺りから遅くとも七時前までに発生したと考えられるから、松慶の治療を受けたのは受傷後、凡そ四時間も経過した午後十一時前と思われる。

「五七間」九~十二メートル強。

「物つかへるやふに成て、ゆかれず」何か目に見えないものが前に塞がっていて、それにぶつかってつかえるような感じになって、先へ進むことが出来ない。「くらく」なって、と前にはあるが、視認出来る物体があって塞がっているのではないのである。暗いけれども、ぼんやりとではあるが、辺りの様子は見えるのである。但し、その場所の見当識はないのである。その絶妙な語りが上手い。

「何條」「なんでふ」の当て字。副詞で反語。

「ござんなれ」実際には「ごさんなれ」「ごさなれ」の方が原型に近い。「~であるようだ・~のようであるな」の意。断定の助動詞「なり」の連用形「に」+係助詞「こそ」+補助動詞「あり」の連体形+推定伝聞の助動詞「なり」の已然形からなる、「にこそあるなれ」の変化形である。

「いで物見せん」「物見」ではない。「(目に)もの見せむ」で、「よしッツ! 目にものみせてくれるわ!」という喝破(かっぱ)である。

「明るくなり。」句点はママ。

「宿所へかへらず」に、最寄りにあった「大津屋小右衞門と言へる、問屋宅の」前に未だ灯してあったところの、夜警のための門「燈のあかり明らかに見ゆれば」。

「隨分のかすり手と見ゆれば」この「隨分」は用法としては異例(というか誤用)である。「思ひの外のかすり手」である。確かな手応えががあったから、寺田は相当な血糊を期待していたのであるが、案に相違して、少しばかり、対象を掠っただけの様子(太刀の刃の血糊が浅く、しかも少ない)であったので、ちょっと期待に反したのである。だから「詮なく」、しょうがねぇか、と思っているのである。

「小右衞門家内のもの」そろそろ門灯は消す時刻であり、また人の足音や太刀を抜く音なども聴きつけたから、家内の者らが皆、玄関へと出てきたのであろう。

「かよふかよふ」「斯樣斯樣(かやうかやう)」。歴史的仮名遣は誤り。

「其頃」これは「その同じ時期の(怪奇な)話として」の意。同時刻の意ではない。寺田の帰宅は遅くとも七時半から八時前で、先に述べた通り、「窪田松慶、二ツ岩團三郎方へ、療治に行」ったのは午後十時過ぎ以降である。この附加文によって、前話窪田松慶(くぼたしようけい)療治に行(ゆく)事との同期が素敵に完成するのである。

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