諸國百物語卷之一 十 下野の國にて修行者亡靈にあひし事
十 下野の國にて修行者亡靈(もうれい)にあひし事
むかし一生不犯(ふぼん)の僧、しゆぎやうのために下野の國にくだり侍りしに、折ふし道にゆきくれ、とまりの宿もほどとをければ、とある野はらに一夜をあかし、經念佛(きやうねんぶつ)してゐたる所に、いづくともなく、笛のね、かすかに聞こへける。僧、きゝ給ひて、かゝるさととをき所に笛のねのきこゆる事、ふしんさよと、心すごくおもひ、なをなを念佛してゐられけるほどに、ふえのね、ぜんぜんにちかづくを見れば、年のころ、二八ばかりなる若衆(わかしう)の、そのさま、いとけだかく、なりひらのいにしへもかくこそと、をもひやらるゝ有りさま也。僧、いよいよふしぎにをもひ、かやうの人まれなる野中(のなか)の、ことに夜ふけてきたり給ふは、いかさま、へんげの物とおぼへたりと、眞言陀羅尼(しんごんだらに)などをとなへゐ給ひければ、かの若衆、申されけるは、
「御僧は、なにとて、かやうの所にたゞ一人ましますぞ」
と、とひ給ふ。僧、こたへていわく、
「旅に行きくれ候ひて此所に一夜をあかし申す也。御身はいかなる人なれば、かゝる所へきたり給ふぞ」
と、おそろしげにとひ給ひければ、若衆、このけしきを見て、
「御僧はわれをへんげの物と思ひ給ふと見へたり。なかなかさやうのものにてはなく候ふ。かやうのさやけき月の夜は、ふえをすさみて、なぐさみ申すもの也。かまへて氣づかひし給ふな。わが屋へともなひ、御宿申さん」
といへば、僧も、おぼつかなくはおもひしかども、へんげの物ならば、こゝにありても、あんをんにてはおくまじきとおもひ、ともにつれだち行きけるに、とある在所にいたりぬれば、大きなる城あり。二重(ぢう)三重の門、ほりをとおり、をくへいざなひ入りけるに、きれいにしつらふたる座敷あり。
「是れへ御入り候へ」
とて餉(かれいひ)をとり出だしてふるまい、そののち、茶などにてもてなし、
「是れにしづかに御とまり候へ。われらは此しやうじのうちにいつもいね候ふ也。旅の御つかれさこそと、おもひやり候ふ」
とて、ねんごろに物がたりしてをくに入り給ひぬ。僧はいよいよふしぎにおもひ、夜もねられず、あかしけるほどに、ほどなく夜もあけがたになりければ、人々、あまたきたり、
「こゝにふしぎの僧こそあれ。なに物なればせいどうきびしき城内へ、いづかたよりしのび入りたるぞ。からめて拷問せよ」
とて、ひしめきける。僧、おどろきて、
「いづれもしばらく御待ち候へ」
とて、はじめをわりを物がたりせられければ、人々おどろき、なみだをながしけるゆへに、そのしさいをたづねければ、人々、申されけるは、
「その事に候ふ。此城主のわか君(ぎみ)、さんぬる廿日ばかりに、風のこゝちにてむなしくなり給ふが、御年十五さいにてまします。つねに笛をてなれ給ふゆへ漢竹(かんちく)の笛を佛前にそなへ、茶(ちや)灯(とう)靈供(れうく)をたむけをきけるが、さてはわか君の亡魂(ぼうこん)、此御僧をたつとびて、御居間(ゐま)までしやうじ給ふと見へたり。此うへは、いよいよこゝに逗留ましまして、わか君の御あとをとぶらひ給はれ」
とて、上(かみ)へ、そのむね、申しあげ、此僧をとめをき、いろいろちさうをいたしけると也。
[やぶちゃん注:本話も「曾呂利物語」巻二の「五 行のたつしたる僧には必しるし有事」と同話であるが、本話では出逢ったその夜は「僧はいよいよふしぎにおもひ、夜もねられず、あかし」たとあるだけだが、「曾呂利物語」では、僧は眠らずに(不思議なこと、と薄々、怪異に感づいていたために眼が冴えてしまって、という原因は同じ)経念仏を唱えるうちに、夜が明け、その読経に人々が気づいて集まってくるというところが少し違う。
「經念佛(きやうねんぶつ)」経を読んで、また、念仏をすること。一単語。
「二八」十六歳。
「なりひらのいにしへもかくこそ」「業平の古へも、かく、こそ」。
「眞言陀羅尼(しんごんだらに)」密教の短い呪文の真言と長い呪文の陀羅尼。梵語そのままに発音する。
「すさみて」「遊(すさ)みて」。愛(め)でて。
「なぐさみ」「慰み」。楽しむ。
「かまへて」呼応の副詞で「決して(~するな)」の意。
「おぼつかなく」深夜のことであるので、「いぶかしく」「不審で」、或いはこのような夜更けにこんな美麗な青年が家に見ず知らずの行脚僧を招き入れようとする、その「相手の気持ちが摑めず、却って気遣いしてしまい」の意。
「あんをん」「安穩」。
「ほり」堀。
「をくへいざなひ」「奥へ誘(いざな)ひ」。
「きれいにしつらふたる」正しくは「綺麗に設(しつら)ひたる」であるが(完了の助動詞「たり」は四段動詞では連用形接続である)、これは当時の口語的な「しつろうたる」をかく表記したものかも知れぬ。
「餉(かれいひ)」一度軽く煮た米を保存出来るように干したもの。
「此しやうじのうちに」「此(こ)の障子の裏(うち)に」
「人々」言うまでもないが、場内であるから家臣団の武士である。
「せいどう」「制動」か。勝手な行動(出入)を制止(禁制)すること。
「からめて」「搦めて」。
「ひしめきける」「犇めきける」。
僧、おどろきて、
「いづれもしばらく御待ち候へ」
「しさい」「仔細」。
「さんぬる廿日ばかりに」去る二十日ほど前に。
「風」風邪。
「むなしくなり」「死ぬ」の忌み言葉。
「てなれ」「手馴る」。熟練し。
「漢竹(かんちく)」中国渡来の竹。多く笛に用いた。「唐竹(からたけ)」と呼ぶ。
「しやうじ」「招じ」。但し、歴史的仮名遣は「せうじ」が正しい。
「上(かみ)」城主。若君の父であろう。
「ちさう」「馳走」。]
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