諸國百物語卷之一 十六 栗田源八ばけ物を切る事
十六 栗田源八(くりたげんはち)ばけ物を切る事
びんごの國艫(とも)と云ふ所に栗田源八郎と云ふ人あり。あるとき、屋敷のうしろに草ぶかき野ありけるが、行きてあそびゐられければ、大きなる栗の木のまたに、年のころ、六十ばかりなる女、かね、くろぐろとつけ、しらがなる髮を四方へみだし、源八をみてにこにこと、わらふ。源八、をどろき、立ちかへり、さらぬていにてゐけるが、その夜、月くまなくてりかゞやきてをもしろかりしに、源八、ゑんに出で、月をながめゐけるが、何とやらん、物すごくおぼへければ、障子をさして、内に入り、をきもせず、ねもせでゐければ、晝見たりし女のすがた、月かげに障子にうつろひみへけるが、すさまじき事云ふばかりなし。源八、おどろき、刀をぬきくつろげ、内へいらば、ひとうちにせん、とかまへゐければ、くだんの女、しやうじをあけて、すでに内にいらんとする所を、源八、心へたり、とて、刀をぬき、よこ切りにてふどきる。ばけ物きられて、すこしよわると見へしが、源八も氣をうしなひ、そのまゝ絶死(ぜつじ)しけるが、きりけるときに、
「あつ」
といふこゑにおどろき、をのをの出であひ、見ければ、源八、いきたへてゐける。をのをのおどろき、氣つけをあたへければ、やうやう氣つきて、はじめをわりをかたりけると也。
[やぶちゃん注:本話も「曾呂利物語」巻二の「四 足高蜘(あしだかぐも)の變化(へんげ)の事」とほぼ同話であるが、「曾呂里物語」では場所は「ある山里」、主人公は無名の男で、表題で判る通り(挿絵でも縁先で巨大な蜘蛛を斬る情景を描く)、「曾呂里物語」は最後に、「大(だい)なる蜘蛛の足ぞ切り散らしてぞ侍る」とあって、変化の正体を明かす。本篇でも初出出現時が「栗の木の」股であること、「かね、くろぐろとつけ」(蜘蛛の体色を暗示)、「しらが」(白髪)「なる髮を四方へ」乱している(蜘蛛の巣や吐く糸のシンボライズ)点では確かに考えてみれば蜘蛛の変化とは読めるようには書かれていることが判る。但し、私には「曾呂里物語」の挿絵は恐怖感減衰もいいところで、本篇の妖婆であり続けて終わる方が好ましい。挿絵の右キャプションは「栗田源八ばけ物にあふ事」。
「びんごの國艫(とも)」現在の広島県福山市鞆(とも)地区の沼隈(ぬまくま)半島南端にある鞆の浦(とものうら)であろう。
「栗田源八郎」底本では「郎」の右に編者によるママ注記が附されてある。
「かね」「鐡漿(かね)」。お歯黒。
「うつろひ」「移ろひ」で、これはこの語本来の原義で用いている。「移ろふ」は、自動詞ラ行四段活用の未然形「移ら」に、反復・継続を表わす上代の助動詞「ふ」が附いた「移らふ」が転じて自動詞ハ行四段活用動詞化したもので、「ある主体が場所を変える・移って行く」の意である。実にリアルに、実際に読者が源八となった怪奇映像を動的に見せているのである。
「くつろげ」「寛げ」(他動詞ガ行下二段活用「寛ぐ」の連用形)。(抜身の太刀を)力まずに、ゆるりと持って。
「心へたり」「心得(え)たり」。歴史的仮名遣は誤り。
「ふど」「すっぱりと(斬る)」の意の副詞「ふつと(ふっと)」か、或いは、物が切れる「ぶつと(ぶっと)」(前と合わせて孰れもオノマトペイア)の短縮強調形(前者は濁音化が強調形)であろう。
「あつ」源八が斬り込む際に叫んだ「タアッツ!」といった声であろう。]


