諸國百物語卷之一 十一 出羽の國杉山兵部が妻かげの煩の事
十一 出羽の國杉山兵部が妻かげの煩(わづらい)の事
でわの國に杉山兵部といふさぶらい有りけるが、この妻ある夜のことなるに、小用(しやうよう)をかなへにうらへ出でて、やゝしばらく有りて、かへりてねにければ、又、しばらくありて戸をたゝく、
「たれぞ」
とゝへば、兵部が妻のこゑ也。兵部、ふしぎにおもひ、戸をあけ、内に入れ、火をとぼさせて見あわするに、兩人、すこしもたがわず。扨(さて)もふしぎなる事かなとて、夜あけて二所(ふたところ)にをき、色々とこゝろみれども、つゆほども、たがふ所なし。なにともせんかたなく、とやかくと、ぎんみする所に、あるものゝ云ふやう、
「へんげの物は、かならず兩の手、丸きもの也」
と云ひければ、さらばとて、吟味しければ、一人の妻の手、すこし、丸かりしを、是れこそへんげの物よとて、そのまゝ首をうちをとしてみれば、まことの妻也。さては、今一人の妻こそへんげにきわまりたりとて、うちころさんとしけるを、さまざまなげき、うらみけれども、聞きいれず、つゐに首をうちをとしみければ、是れも、まことの妻なり。これは、いかなる事ぞ、とて、あまりにふしんにおもひ、死骸を數日おきて見けれども、かわることもなかりしと也。かゝるふしぎも有ることにこそ。
[やぶちゃん注:本話も「曾呂利物語」巻三の「二 離魂(りこん)と云ふ病の事」と同話であるが、そちらでは夫は『出羽國守護何某』で、最初に殺される女を不審とする理由は書かれていない。挿絵の右キャプションは「かげのわづらひの事」。
「かげの煩(わづらい)」所謂、ドッペルゲンガー(ドイツ語:Doppelgänger)、他者が目撃する、しかも同一の場所で並んで出現する特異な二重身であり、幻視でもない。古くは離魂病などと称した。一人は実は狐が化けているというオチならば、遙かに先行する「今昔物語集」の「卷二十七」の「狐變人妻形來家語第三十九」(狐、人の妻の形に變じて家に來たる語(こと) 第三十九)や、本書より先行する仏教説話系の怪談奇談集に出るものの、ここは二人とも実際の一人しかいないはずの妻であり、死体をそのまま数日放置して観察したものの、孰れもそのままで、変ずる(正体を現わす)ことがなかった、というそのオチのないオチに理解不能な慄然とする正統的ホラー(死体変相の凄惨性も字背に暗示させて)があると言える。
「小用(しやうよう)」小便。
「かなへ」ハ行下二段活用の他動詞「叶ふ・適ふ」で、「望むことを実行する」の意。
「うら」後架。厠(かわや)のこと。
「火をとぼさせて」宿直(とのい)の者に火を点(とも)させて。文脈からは「二人目の妻」に灯火を点させたようにも読めるが、孰れかが変化の者で、二人目がそうだったとするなら、火自体が妖火で幻影を見させるかも知れぬと、私でも考えるによって、採らない。「曾呂利物語」では前に示した通り、出羽国の守護であり、本篇でも後に出る複数の家臣らを見る限り、相当な家格の武士であるからして、宿直がいて当然で、既に怪異が起こっていることは兵部はほぼ感知している訳で、宿直の者を呼ばない方が遙かに不自然なのである。
「見あわする」「見合はする」が正しい。二人を対峙させて見比べたのである。
「すこしもたがわず」「少しも違(たが)はず」が正しい。
「二所(ふたところ)にをき」二箇所の別な部屋に軟禁し。
「とやかくと」同義の副詞「とやかくや」(格助詞「と」+係助詞「や」+「このように」の意の副詞「かく」+係助詞「や」)から転じた副詞で、「何(なん)の彼(か)のと・あれやこれやと」の意。
「ぎんみ」吟味。取り調べ。
「へんげの物は、かならず兩の手、丸きもの也」これは動物、それも狐の前肢を意識したものであるから、この家来は孰れかは狐が主人の妻に化けたと考えていた可能性がすこぶる高い。
「つゐに」「遂(つひ)に」が正しい。
「ふしん」「不審」。
「數日」「すじつ」と読んでおく。]
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