譚海 卷之一 二十八宿幷五星運行の事
二十八宿幷五星運行の事
〇二十八宿天にみゆる事百八十日也。地に隱れて又百八十日にしてみゆる也。是(これ)地に隱るゝといふにはあらず、その百八十日は晝の間(あひだ)天をめぐる故、人間にみえざるゆへ也。亦五星の行(ゆく)道は一づつあやをとりて行(ゆく)なり。すゝんで又退(しりぞ)き、あやをとりてはすゝむ事也。五星をのをの行(ゆく)道同じからず、別々也。惣(すべて)星(ほし)の中にもむかしはみえて今はみえざる星あり。二十八宿のうちにも殘らずみゆる星はおほからず、皆かたはしを見てしる也。望遠鏡にて月をみれば、月中のかたちさまざまにわかれたり、黑點(こくてん)等もあり、崖のくづれたるやうになる所もあり、半月の時よくみゆる也。日輪もソンカラロをかけ望遠鏡にて見れば、黒點二つありとぞ。宵の明星も盈虛(えいきよ)有る事月のごとし、然して月と同時にはみちかけせず、惣(すべての)星もみな盈虛すれども、最高微少にして、人間の眼に見る事稀也。
[やぶちゃん注:「二十八宿」は天球における天の赤道を二十八の星宿(エリア)に不均等分割した星官・天官(中国での呼称。所謂、我々の今の「星座」に相当する)。中国及び本邦の天文学や占星術に於いて用いられた。参照したウィキの「二十八宿」によれば、『江戸時代には二十八宿を含む多くの出版物が出され、当時は天文、暦、風俗が一体になっていたことが、多くの古文書から読み取れる』。二十八という『数字は、月の任意の恒星に対する公転周期(恒星月)である』二十七・三二日に『由来すると考えられ』、古来の天文学では一日の間に月は一つの星宿を『通過すると仮定している』。『考古学上、二十八宿の名称が整った形で発見されたのは』新しく、一九七八年の『湖北省随県で発掘された戦国時代初期(紀元前5世紀後半)の曾侯乙墓(曾国の乙侯の墓)から出たものが最古である。そこで発見された漆箱の蓋には青竜・白虎と朱書きされた二十八宿の名称のある図があった』。『日本における最初の二十八宿図は、7世紀から8世紀頃に造られた高松塚古墳やキトラ古墳の壁画で白虎などの四神と共に見付かっており、中国の天文学体系がこの頃には渡来していたことを伺わせる』とある。二十八宿のそれぞれの名称や詳細はリンク先を参照されたい。
「五星」中国で古代から知られている五惑星で五行思想の元とされる。「歳星」(木星)・「熒惑」星(けいこくせい:火星)・「鎮星」(土星)・「太白」星(たいはくせい:金星)・「辰星」(しんせい:水星)の称。五緯(ごい)とも呼ぶ。因みに、この「五星」に「日(太陽)」と「月」を加えたものが「七曜」であり、「七曜」に「計都」星(けいとせい:日食・月食を起こすとされた架空天体。凶兆の星とされた)と「羅睺」星(らごうせい:同前。凶星である点も同じ)を加えたものが「九曜」で東洋の占星ではお馴染みである。
「あや」交差してずれる。それを見かけ上で「退く」と認知したのであろう。
「ソンカラロ」何語なのか不明であるが、如何にも「サングラス」に近い響きではある。昔の理科の太陽の黒点観察に出て来る煤を付着させた硝子板のことか。しかし「をかけ」(を掛け)と言っているから、これはもう、「黒眼鏡」しかないとは思う。識者の御教授を乞う。
「宵の明星」日没後の西の空に明るく輝く金星。
「盈虛(えいきよ)」満ち欠け。盈虧(えいき)という。
「惣星」ここは「そうせい」と音読みしていそうだが、特定の星の固有名詞のような誤解を生むので、「の」を入れて、かく訓じた。
「最高微少」肉眼は勿論、望遠鏡でも極めて微小にしか見えないことを指す。]