諸國百物語卷之二 十 志摩の國雲松と云ふ僧毒蛇の難をのがれし事
十 志摩の國雲松(うんしやう)と云ふ僧毒蛇の難をのがれし事
雲松といふ僧、熊野より志摩のくにへ行脚しけるが、この國に、海をかゝゑたる、よき景なる洞(ほら)ありしが、雲松、このほらにしばらくすまいして、しゆぎやう、とくどうして、あさゆふ、念佛をこたらざりしが、此ほらのうち、すさまじくなまぐさき事、かぎりなし。雲松、おそろしくをもひ、經をよみ、ねんぶつ申してゐられける所へ、にわかに大蛇、ほらより出でて、雲松をのまんと、口をひらきてまちかまへしが、此經念佛のこゑをきゝて、かしらをうなだれ、口をとぢて、ほらのうちにかへりたりける。雲松なをなを、念佛、をこたらざりし所へ、たちまち、衣冠たゞしき人きたりて、雲松をらいはいし、しばらくありていわく、
「われはこれ、此ほらのぬし也。このほらにすまいする事數萬年也。つねに人けだものをゑじきとする事、そのかずをしらず。今、たつとき僧のこれにましまして、ねんぶつのこゑをきゝて、われらがあくしん、ことごとく、めつせり。こよひの雨は、われらがよろこびのなみだなり。わがかたちの大なる事、この雨にてしろしめすべし。今よりのち、いよいよ惡心をひるがへし、佛道にいらんことの有がたさよ」
とて、かうべを地につけ、らいはいしてうせさりぬ。
[やぶちゃん注:挿絵の右キャプションは「僧とくしやの難をのかるゝ」か。なお、この挿絵は雲松の顔面部分が頭部全面が痘瘡も痕のように無惨である。当初は毒龍の腥い息のために爛れているのかと思ったが、話柄から見ても、どうもただの著しい汚損としか思われない。原本を確認出来ないのでどうしようかとも思ったが、あまりにも雲松が哀れに感じ、恣意的に顔面部のみを拡大して、違和感のないように清拭処理を施した。大方の御批判は甘んじて受ける者である。
「しゆぎやうとくどうして」「修行得道」。歴史的仮名遣は誤り(正しくは「とくだう」)。「得道」は仏道修行して悟りを開くこと。「悟道」に同じい。
「をこたらざりしが」「怠らざりしが」。歴史的仮名遣は誤り。
「らいはい」「禮拜」。
「ゑじき」「餌食」。
「われらがあくしん」「我らが惡心」。
「めつせり」「滅せり」。]


