佐渡怪談藻鹽草 仁木與三兵衞大浦野にて狢をおびやかす事
仁木與三兵衞(よさべえ)大浦野(おおうらの)にて狢(むじな)をおびやかす事
延寶二五年の事ならん、仁木與三兵衞、橘浦目付役たりし時、相川の舊友をしたひ、慕われて、二夜三夜の間には、國府(こうの)に出て、友に交る。其(その)行(ゆく)程、二里に近(ちかけ)れば、生得(せうとく)強機(ごうき)の士なれば、一僕をもつれず、深夜にも往還せしが、或時、一時雨して、晴上る空を賴み、夕餉そそこにしたゝめ、木履に竹杖を突(つき)て、もよひいで、漸(やうやく)、日の海に沈む頃、相川に着(つき)て、安田與一右衞門(よいちえもん)【此與一右衞門も剛勇の人物力量の事世人の知る所なり】宿を尋ね、例の腕立を好む同士、四五輩集(あつま)りて、咄し合ひ、子の刻さがりに、皆々別れて歸る。與三兵衞も、兼(かね)て止宿嫌らひなれば、暇乞(いとまごひ)して出(いで)しが、神無月の半(なかば)にて、月夜ながらも、曇りがちにて、途の程も覺束なけれど、凹に水たまりて、ひたすらの草履道にもあらず、木履がけにて立歸りしが、下戸町より鹿伏(かふす)にいたり、大浦野を四五丁行(ゆき)て、澤へ下り、江川を渡り、向ふを見れは、途中に、黑犬の如く成(なる)もの、伏し居たり。折節、空かき曇りて、其形、見え分(わか)ざれば、そと寄(よせ)て窺ひ見るに、狢の伏(ふし)たるなりければ、
「何とせよ、おどして慰(なぐさめ)ん」
とて、携(たづさへ)たる竹杖にて、したゝか打ければ、驚き起(おき)て、右の岨へ逃(にげ)去りぬ。扨(さて)、與三兵衞宅にては、亭主の他行なれば、いも寢られず、いとゞ徒然なるまゝ、老母は、綿車の糸も長き夜を繰り倦(うみ)て、隣家の老母、或(あるひ)は下部の女など打交(うちまじは)り、四方山(よもやま)の咄(はなし)して居たりしが、子の刻半にも、及びぬらんと思ふ頃、門に人音して、戸にさわり、
「爰(ここ)は、橘の御浦目付樣の御宿か」
と問ふ。内より下女、
「しかしか」
と答ふ。件(くだん)のもの申けるは、
「是(これ)の旦那殿、相川にて口論を被成(なされ)、相手を御打擲(ごちやうちやく)、今頃は、生死の知れぬ騷動ゆへ、爲御知申(おしりなしまうす)」
と言捨て、行けり。老母立出て、呼かけぬれ共、再びいらへなし。其時老母のいわく、
「士の人を打擲とは、先々安堵なり。兼ては、又しれものゝ醉狂し、かゝる事言ひぬるもしれず」
迚(とて)、以前のごとく、糸車ひきて、さらぬ體(てい)ながら、胸の内、決し難くぞありける。與三兵衞は、彼(かの)獸を打(うち)て、しずかに野道をたどり、大浦野にいたれば、燈の見ゆる家もなく、夫(それ)より磯傳ひ、高瀨村を過(すぎ)て行(ゆく)時、向ふより、弐三人來るもの有(あり)。近くなりて見れば、各尻つぼりあけて、夫(それ)へ御出被成候(おいでなされさうらは)ば、
「橘の御旦那樣にてか」
とゆふ。
「成程、與三兵衞也」
と答へしかば、先立(だち)たる男、腰をかゞめて申(まうす)は、
「御老母樣、暮過(くれすぎ)より、御煩ひ、以(もつて)の外にて、食滯(とゞこほる)と御見え候得共、いまだ咄も無之(これなく)、殊の外、御苦しみゆへ、名主殿はじめ、皆々集(あつま)り居られ、我々共に、相川の醫者衆、迎ひに參り候」
と言(いひ)すて、相川の方へ走りぬ。與三兵衞、以の外、仰天して、其儘木履を脱(ぬぎ)て捨(すて)、素足になりて、一さんに宿へ歸り、門の戸、あらゝかに引明(ひきあけ)て、内の體(てい)を見れば、老母も、いまだ綿車に向ひ居られしが、つい差置(さしおき)て、出迎へ、
「扨、口論の事は誠か」
と問へるにぞ、與三兵衞も、
「母老人の御煩ひ病は、誠に候哉(や)」
と言へば、互にあきれて、詞なし。其時、與三兵衞、
「先々尊體恙なく、安堵(あんど)仕候(つかまつりさうらふ)、私口論の事御尋(おたづね)、曾て以之(もつてこ)れ無き義にて候」
とて、途中にて逢(あひ)し人の事共申ければ、老母も、しらせの人來りし事を咄し、皆々僞りなりければ、與三兵衞、
「實々心付候事の候」
とて、大浦野にて、打し狢の事を、具(つぶさ)語り、互に手を打(うち)て、笑ひぬとかや。
[やぶちゃん注:「仁木與三兵衞(よさべえ)」既に「佐渡怪談藻鹽草 安田何某廣言して突倒されし事」に登場した仁木一族と思しい人物。
「大浦野(おおうらの)」現在の相川の南方、春日崎を廻った佐渡市相川大浦。相川からは徒歩実測で五キロ圏内。
「狢(むじな)」現行では、
哺乳綱 Mammalia 食肉(ネコ)目 Carnivora イヌ型亜目 Caniformia クマ下目 Arctoidea イタチ小目 Mustelida イタチ上科 Musteroidea イタチ科 Mustelidae アナグマ属 Melesニホンアナグマ Meles
anakuma
を指すが、佐渡では、
食肉目イヌ科 Canidaeタヌキ属 Nyctereutesタヌキ Nyctereutes
procyonoides
を「狢(むじな)」と呼んでいたから、ここも狸を指す。
「延寶二五年」延宝は九年までなので、ここは延宝二(一六七四)年から延宝五(一六七七)年頃の意である。第四将軍徳川家綱の治世末期である(家綱は延宝八年に死去)
「橘浦」相川との距離が「二里に近(ちかけ)れば」と出、途中に「大浦野」を通り、しかも「浦」であるとすると、徒歩実測八キロの辺りに佐渡市稲鯨(いなくじら)という港を有する場所があるが、その入り口附近(稲鯨の北西)に「橘」の地名を探し当てた。
「國府(こうの)」天領で島一つで佐渡国を形成していた佐渡島の佐渡金山と佐渡奉行所を置いた佐渡国の中心(国府相当)たる相川のこと。
「強機(ごうき)」「剛毅」。
「夕餉」「ゆふげ」。夕食。
「木履」「ぼくり」。下駄。
「竹杖」「ちくじやう(ちくじょう)」。
「もよひいで」不詳。「催(もよ)ひ出で」。下駄に竹の杖(それに手土産の酒の肴辺りを)準備して立ち出で、の謂いか。
「腕立」腕比べ。腕力比べ。
「子の刻さがり」午前零時前後。
「止宿嫌らひ」外泊が嫌いな性質(たち)。
「凹」「くぼみ」と訓じておく。
「ひたすらの草履道にもあらず」「草履道」は「ざうりみち(ぞうりみち)」と訓じておく。朝日新聞社の「とっさの日本語便利帳」に「草履道」の見出しがあり、そこには『それまで野も山も、田も畑も、泥んこであったのが、砂埃のたつ、乾いた道に変わると、待ちに待った本格的な春が訪れた証拠である。一茶はそれを草履道と呼んで詠っている』とある。ここは、草履ですたすたすたとスムースに歩ける(それが「ひたすらの」の意であろう)ような道ではなく、という意味でとる。
「木履がけ」下駄を引掛けて行くこと。或いは下駄で水たまりなどを飛び飛びにぎくしゃくと「駆け」て行くことかも知れぬ。
「下戸町」「おりとまち」。既出既注。相川の南地区。
「鹿伏(かふす)」既出既注。下戸から南西の海岸域に相川鹿伏(かぶせ)の地名が残る。
「四五丁」四百三十七~五百四十五メートルほど。
「澤」「江川」並び方見ると、明らかに地名と思われるが、不詳。
「そと寄(よせ)て窺ひ見るに」そっと音を立てぬように近寄っていって、用心しながら仔細に観察してみると。
「慰(なぐさめ)ん」「ぐっすり眠って、気づきもせぬ。ちょうどいいわい! 儂(わし)の気晴らしに、してやろう!」。
「岨」「そだ」。崖。
「他行」「たぎやう」。外出。
「いも寢られず」「寢(い)」+係助詞「も」+動詞「寢(ぬ)」の未然形+可能の助動詞「らる」の未然形+打消の助動詞「ず」で、眠ることも出来ず。
「綿車」「わたぐるま」。綿繰(く)り車のこと。採取されたままの綿花から、繊維と種子とを分ける簡単な機械。一対のローラー状の物の間に綿花を送り込み、繊維を向こう側へ、種子を手前に毟(むし)り取る器具。
「下部の女」「しもべのをんな」。下女。
「子の刻半」午前零時半前後。
「爲御知申(おしりなしまうす)」「取り急ぎ、お知らせ申し上げます。」。
「士の人を打擲とは、先々安堵なり」「一方的に息子が殴りつけたとのことなれば、息子は無事。まずまず安心じゃ」。豪傑の子に、この母あり!
「兼ては」正常の使い方ではないが、「或いは」の意でとる。
「しれものゝ醉狂し、かゝる事言ひぬるもしれず」「痴(し)れ者(悪戯好きの者)なんどが、酔狂にありもせぬ噓を言い放って、このような悪しき物言いの悪さをなしたものかも知れぬし。」。
「胸の内、決し難くぞありける」流石に、胸中はこれ、穏やかでは御座らなんだ。やっぱり、お母さんだもんね!
「高瀨村」大浦の南、現在の佐渡市高瀬。
「各」「おのおの」。
「尻つぼりあけて」不詳。尻端折(しりはしょ)り(着物の裾を捲くって、その端を帯に挟むこと。しりからげ)の意でとっておく。「しりっぱしょり」とも言い、これを「しりつばしをり」と書き換えて見ると、「しりつぼり」の文字列に近似するからである。
「夫(それ)へ御出被成候(おいでなされさうらは)ば、」不審。底本編者本間純一氏には失礼ながら、この次の鍵括弧開始位置は間違いではないか? ここは既にこの部分からが、その出逢った男たちの内の一人「先立(だち)たる男」の台詞であって、しかも末尾の「ば」は「は」であり、
「夫(それ)へ御出被成候(おいでなされさうらふ)は、橘の御旦那樣にてか」
なのではるまいか?
「成程」肯定を表わす感動詞。いかにも。既出。
「いまだ咄も無之(これなく)」問うてもみても、応答も出来ぬ状態にて、の意でとっておく。大方の御叱正を俟つ。
「名主」橘(村)の名主(なぬし)。
「つい差置(さしおき)て」すぐにその作業をやめて。母の心配がその動作によく表われている。この作者はなかなかなシナリオ・ライターとみた。
「先々尊體恙なく」「まづますそんたいつつがなく」。
「私口論」「わたくしこうろん」。私的な言い争い。
「曾て以之(もつてこ)れ無き義にて候」ここは「腕自慢の力比べは日常茶飯なれど、口争いからの乱暴狼藉なんどという女々しい(差別用語だがピンとくる語がないので使わせてもらう)仕儀は、これ、未だ嘗て一度として成したことは御座りませぬ!」という与三兵衛がその気風(きっぷ)のいい矜持を表明するシーン。浄瑠璃の台詞のように小気味よいではないか。
「實々」「まつことまこと(まっことまこと)」と訓じておく。これで一語の感動詞で、感動詞「まこと」(ふと思い出したり、話題転換する際などに発する語。「ああ、そうそう」「ああ、そういえば」)を重ねた強調形。
「互に手を打(うち)て、笑ひぬとかや」このエンディング! いいね!!!]