諸國百物語卷之一 十八 殺生をして白髮になりたる事
十八 殺生をして白髮になりたる事
ゑちごの國高田と云ふ所に、樋口木工左衞門(ひぐちもくざへもん)とて、かくれもなき文武二道のさぶらひありけるが、つねに殺生(せつしやう)をこのみ、屋敷より一里ほどわきに辨才天のみやありけるが、此みやのまへに大きなる淵(ふち)あり。此ふちへ木工左衞門、よなよな、とうあみをもたせ、殺生しけるが、あるとき、一僕もつれず、自身(じしん)、殺生に、かのふちへゆかれけるに、むかふより、二八ばかりなる女、川をわたりきたる。木工左衞門、ふしぎに思ひ、
「いかなるものぞ」
と尋ねければ、かの女、云ふやう、
「われは此川むかいのものにて候ふが、用事候ひて、此あたりのだい所までまいり候ふが、物をわすれて參りたり。御無心(ごむしん)ながら取りに歸るあいだ、是れをあづけ申したき」
と云ふ。木工左衞門、ふしぎにはおもひけれども、
「やすき事」
とうけあへば、かの女、ふところより、まつ白なる丸き物をとり出だし、木工左衞門が手のうへに、のせたり。木工左衞門、ふしぎにおもひみれば、なにともしれず、たゞなまぐさきかさしけるが、ほどなくかの女も歸りて、くだんのあづけ物をうけとり、一禮をいひてかへりぬ。木工左衞門も文武二道の人なれども、何とやらん、その夜は、きみわるくて、あみをもゝたずかへりぬ。さて、屋敷のうちへ入らんとしければ、内儀、長刀(なぎなた)のさやをはづし、木工左衞門に切つてかゝる。木工左衞門をどろき、
「こはいかなる事ぞ。われは木工左衞門なるぞ。そつじし給ふな」
といへば、内儀をどろき、
「是れはいかなるありさまぞ」
とて、鏡をとりいだし、みせければ、髮びんひげも雪のごとくに白くなりける。木工ざへもん、いよいよふしぎにおもひ、よひよりの事ども物がたりして、
「扨(さて)は、こよひの女ばうは辨才天にてまします也。池の魚をとることをおしみ給ひてかくのごとくにし給ふとおぼへたり。今よりのちは殺生をとまるべし」
とて、それより佛道に入り給ふと也。今にその子孫、方々に奉公してゐられけるよし、かくれなき事なり。
[やぶちゃん注:挿絵の右キャプションは「せつしやうをして白髮になりし事」。左上部の堂の前廂に「弁才天」の文字があるが、額でないのは奇異な感じがする。
「ゑちごの國高田」高田藩城下町として栄えた新潟県西部の上越地方の旧中頚城(なかくびき)郡高田市。現在、上越市南部の高田地区。
「樋口木工左衞門」不詳。
「とうあみ」「投網」。「とあみ」。
「もたせ」「持たせ」。普段は下男を連れていたから「持たす」か。
「自身(じしん)」私は「おのづと」と訓じたいところ。
「二八」十六歳。
「此あたりのだい所」「此の邊りの(知れる家の)臺所」であるが、この「臺所」は、とある知れる婦人のところ、と解した方が自然。
「御無心(ごむしん)ながら」分別なき勝手我儘なるお願い(にて失礼ながら)。「無心」には「分別や考えがないこと」の意の他に、「人に無心する」と今も使うように、「人に何かを呉れ・何かをして呉れとねだること」の意があり、ここはそれも含む。
「まつ白なる丸き物」これが何であったのか、作用物としての機能は最後に明らかになるものの、最後までその実体は隠されている点で(腥(なまぐさ)いというところがこれまた恐怖のミソである)、実に正統的ホラーと言えるのである。
「なまぐさきかさ」「生臭き氣(かさ)」。通常は「かざ」と濁り、「におい・かおり」の意。「香」等の字も宛てる。
「あみをもゝたずかへりぬ」ここ、「網をも持たず歸りぬ」でも必ずしも絶対的におかしいとは言えない(殺生を止めて出家するという結末への伏線として、ここで自身、理由もなく、網を打ち捨てて帰ったとするのである)が、どうも私にはピンとこない(そのような見え見えの伏線は寧ろ、あざとい)。私は実はここは「あみをもたゝずかへりぬ」或いは「あみをもたてずかへりぬ」の誤刻ではないかと踏んでいる。投網(とあみ)を立てる(打つ)ことなく、漁を全くせずに帰宅した、が元の文章だったのではなかろうか? 踊り字「ゝ」の原稿或いは彫り位置の誤り、又は原稿の「て」を「ゝ」と誤読した可能性である。
「そつじ」「卒爾」「率爾」。名詞。軽率なこと。粗忽なこと。失礼なこと。
「髮びんひげ」「髪・鬢・髯」。
「おしみ」「惜しみ」であるが、歴史的仮名遣は「をしみ」が正しい。残念に思い。]