院生 梅崎春生
日本棋院には院生という制度がある。囲碁の早期教育、少年少女に対する囲碁の専門教育のことだが、東京新聞からそれを見に行けとの電話があった。私が囲碁の素人三段であり、かつ文壇随一の棋力の所有者と目されていたせいであろう。欣然(きんぜん)として引受け、出かけることにした。
院生たちは学校に通う関係上、けいこ日は土曜日と日曜日に限られている。土曜日は午後だけ、日曜日は朝から夕方まで。だから日曜日の午後一時、高輪の日本棋院に車を走らせる。
刺を通じて二階に登ると、四五十人の子供たちがぴーちくぱーちくとさえずりながら、碁を打っている。これが院生なのである。
子供たちといっても八歳ぐらいから十七八歳ぐらいまで。棋力もさまざまで、十八級ぐらいから一級まで。これが初段となると、先生ということになり、院生でなくなるのである。院生は全部で八十人ぐらいいるそうだが、この日は五十人ばかり出席していたようだ。
大正時代までは、棋士となるには内弟子に入って修業しなければならなかったが、日本棋院が養成に乗出し、院生制度を定めたのは昭和初年のことだ。現在院生出身の高段者には、坂田九段、藤沢九段、杉内八段などがあり、なかなかの好成績を上げているのである。
だからここにひしめく五十余人の間から、将来どんな強豪があらわれるか判らない。
先にぴーちくぱーちくと書いたが、大広間はたいへんなにぎやかさで、一面一面を見て廻ると、手も非常に早い。われわれ素人の碁よりも早碁なのである。さすがに一級二級クラスは、日曜日一日かかって一面か二面しか打たないそうであるが、七八級どころになると、十面ぐらい打つのだそうだ。
少し考えて打つ習慣をつけたらどうかと、指導の福原五段にたずねてみたら、子供の時分は考えるより盤数を多く打つことが大切で、そうしないと伸びないとのこと。つまり野放しにして、打ちたいだけ打たせるという方針らしい。
対局の行儀もあまり良くないし、がやがや騒がしいし、それを許して置くというのも、その方針のあらわれなのだろう。
院生の三分の一は女子である。そして院生は養成部(一級から七級まで)、幼稚部(八級以下)と分れている。折角来たのだから、院生と対局してみようという気になったが、女の子を相手にして負けたら、どうも具合が悪い。結局手の空いていた七級の佐藤少年(十一歳)を相手に盤を囲む。
初め私が白を持ち、少しふるえて不覚を取った。されば今度は黒番で、押しつぶしてやろうと力戦奮闘し、途中まで調子がよかったが、大石の取り合いとなり、これまた見損いで投了のやむなきに至った。
三段の肩書が泣くようであるが、ことほどさようにこの子供たちは強いのである。
院生の大半は、家が碁会所であるとか、隣が碁会所だとか、囲碁に親しむ機会の多い環境だそうで、この佐藤少年もたずねてみると家が碁会所で、お父さんが素人初段なのだそうである。
碁会所のおやじの初段なんて、めっぽう強いのが多いものだが、お父さんとどんな手合かと佐藤少年にたずねてみると、僕が白を持ちます、との答えであった。
そういうのが七級ぐらいにいるのだから、専門家というのは、卵であっても強いものだ。
面白いことは、専門家も初段以上になると、段位は上ることはあっても下ることはないが、卵の院生になると上り下りするのだそうである。幼稚部から折角養成部にのし上っても、成績が思わしくなく、また幼稚部へ逆戻りして来るのもいるそうだ。だから院生間の競争ははげしい。強くなるのも、あたりまえだ。こうやって競争し合って、とにかく十八歳までに初段にならねば、原則として見込みがないということである。楽なものではない。
ついでに勝敗の点数を記して置くと、同じ級の場合、白番勝一〇五点、黒番勝七五点、白番負四五点、黒番負一五点、持碁は白七五点、黒四五点ということになる。
この制度によって早いのは十三歳か十四歳で初段になる。藤沢九段もたしか十三歳で初段になったはずである。
つづいて福原五段の稽古(けいこ)碁を見学する。二面並べての稽古碁で、相手の少年は一人は八級、一人は九級、どちらも井目(せいもく)置いている。見ているとなかなかしっかりした碁で、われわれみたいな筋違いの手は打たない。結局八級少年は投了、九級少年に対しては福原五段が投了した。とにかくこの少年少女たちは、碁が好きでこの道に入った。土日はここに通い、平日も学校から帰ると家で打っているだろうから、学校の勉強をする暇があるのか。そう思って福原五段にたずねてみると、院生の学校成績は平均してよいという話であった。
やはり頭のいい子が、碁も上手になるということか。
日本の碁が他国に比べてレベルが高いのも、囲碁人口が多いせいでもあろうが、この院生制度による専門教育に負うところも多いと思われる。
もしわが子にその才ありと思わるる親御たちは、是非その子を院生にして上げるとよろしかろう。月謝は一月三百円である。
ただし前にも書いた通り、十八歳以上はおことわりである。
[やぶちゃん注:昭和三三(一九五八)年二月二十八日附『東京新聞』初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。ルポのロケーションは昭和二三(一九四八)年に建った港区高輪の日本棋院の棋院会館(昭和四六(一九七一)年に千代田区五番町の市ヶ谷駅前に新会館が建設されて移転、現在に至る。ここはウィキの「日本棋院」に拠った)。私は囲碁の打ち方も知らないので、以下、例外的に個人名などの本文注は一切打たないこととする。なお、ネットを調べると、「日本棋院」公式サイト内の「院生募集」頁や、個人サイトかと思われる「院生,棋士採用試験,入段後の棋力評価」という頁などがある。興味のある方は、どうぞ。
なお、本篇を以って底本の「エッセイⅢ」は終わっている。]

